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ヒグマ出没で2名死亡 注意喚起も人気スポットで悲劇|北海道・大成町|昭和52年

本記事は書籍『日本クマ事件簿 〜臆病で賢い山の主は、なぜ人を襲ったのか〜』(2022年・三才ブックス刊)の内容をエピソードごとにお読みいただけるように編集したものです。


はじめに

本稿では、明治から令和にいたるまで、クマによって起こされた死亡事故のうち、新聞など当時の文献によって一定の記録が残っている事件を取り上げている。

内容が内容ゆえに、文中には目を背けたくなるような凄惨な描写もある。それらは全て、事実をなるべく、ありのままに伝えるよう努めたためだ。そのことが読者にとって、クマに対する正しい知識を得ることにつながることを期待する。万一、山でクマに遭遇した際にも、冷静に対処するための一助となることを企図している。

本稿で触れる熊害ゆうがい事件は実際に起こったものばかりだが、お亡くなりになった方々に配慮し、文中では実名とは無関係のアルファベット表記とさせて頂いた。御本人、およびご遺族の方々には、謹んでお悔やみを申し上げたい。

事件データ

  • 発生年:1977(昭和52)年5月27日、9月24日

  • 現場:北海道大成町

  • 死者数:2人

5月から9月まで続いた事件
人気のエリアが事故現場に

1977(昭和52)年5月27日。町内の農家・A(55歳)は大成町たいせいちょう内の峠丸山に、ネマガリタケを採りに1人で入山。帰宅時間を過ぎても戻らなかったため、家族が消防団と営林署に連絡。15人で捜索にあたったところ、午後6時、うつ伏せになっているAの遺体を発見した。

遺体は右頭部と顔面が削り取られており、シャツは破られ、胸部と腹部が露出した状態で、食べかけの獲物を隠すようにササが被せられていた。

現場は国道229号から西に3kmほど入った山中。付近は山菜の宝庫として知られていたが、この年はクマの出没が多く見られ、それまでに5頭が捕獲されていた。そのため、大成町役場では単独の入山を控えるよう、呼びかけていた矢先の事故だという。

『北海道新聞』1977(昭和52)年5月28日

第二の事故
炭鉱の沢で単独釣りの会社員

第二の事故が起きたのは9月24日。熊石町くまいしちょう(現・八雲町やくもちょう)の公務員・B(36歳)は午後1時頃、大成町内を流れる小川へ1人で釣りに行った。

午後3時頃、小川沿いの林道を走っていた運転手が通りかかったところ、停めてあった乗用車の陰からヒグマが飛び出す。

そばに車を停めて辺りの様子を窺ったところ、うめき声を上げながら倒れている人物とヒグマを発見。助けを呼びに警察まで車を走らせ、ハンター4人を含む15人で現場に戻ったところ、先ほどの現場から20mほど離れた窪地でBを発見、遺体にはササなどが被せられていた。

現場は国道229号から林道を3kmほど入った所で、5月の事故現場とは山一つを挟んだ位置関係。「炭鉱の沢」と呼ばれる小川はイワナ、ヤマメ、山菜やキノコの多い人気のエリアだが、5月の事故以外にもヒグマの出没が認められており、1人での入山を控えるよう、呼びかけられていた。

加害したヒグマは翌日午後3時40分頃、遺体が発見された現場の右岸斜面から出てきたところを射殺された。体長は166cm、推定年齢4歳の雌グマだった。遺体への対応が似ていることから、二つの事故を起こしたクマは同一のものだと考えられている。

『北海道新聞』1977(昭和52)年5月25日

(了)


本エピソードは『日本クマ事件簿』でもお読みいただけます。明治から令和にかけて死傷者を出した熊害ゆうがい事件のうち、記録が残るものほぼ全て、日本を震撼させた28のエピソードを収録しています。

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