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「クマの通り道」で事故 山菜採りの女性が襲われる|北海道・白糠町|平成13年

本記事は書籍『日本クマ事件簿 〜臆病で賢い山の主は、なぜ人を襲ったのか〜』(2022年・三才ブックス刊)の内容をエピソードごとにお読みいただけるように編集したものです。


はじめに

本稿では、明治から令和にいたるまで、クマによって起こされた死亡事故のうち、新聞など当時の文献によって一定の記録が残っている事件を取り上げている。

内容が内容ゆえに、文中には目を背けたくなるような凄惨な描写もある。それらは全て、事実をなるべく、ありのままに伝えるよう努めたためだ。そのことが読者にとって、クマに対する正しい知識を得ることにつながることを期待する。万一、山でクマに遭遇した際にも、冷静に対処するための一助となることを企図している。

本稿で触れる熊害ゆうがい事件は実際に起こったものばかりだが、お亡くなりになった方々に配慮し、文中では実名とは無関係のアルファベット表記とさせて頂いた。御本人、およびご遺族の方々には、謹んでお悔やみを申し上げたい。

事件データ

  • 事件発生年:2001(平成13)年4月18日

  • 現場:北海道白糠町

  • 死者数:1人

沢沿いで「クマだ!」の叫び声
かけつけるとそばにはヒグマがいた

白糠町しらぬかちょうの山菜加工会社女性社員・A(42歳)は、長男B(19歳)と同僚男性C(46歳)の3人で、アイヌネギを採りに山に入った。

事故が起きたのは、町内御札部おさっぺのオサッペ沢支流沿いの道を、オサッペ沢の分岐から約1.1km上流方向へ進んだ地点だった。

午前11時ごろ、Aは途中でほかの2人から50mほど離れたところでアイヌネギを採っていた。すると、Aの「クマだ!」という叫び声とヒグマの吠える声を、離れた場所にいた息子と同僚が聞き、声のする方へ駆けつけたところ、沢沿いの斜面にAが倒れており、そのそばに1頭のヒグマを目撃。二人はなす術もなく、直ちに下山して110番通報した。

猟友会会員6人や警察署員らが現場へ到着した午後12時30分ごろにはヒグマの姿はなく、オサッペ沢支流の岸辺、南斜面の上方約23m地点にAの遺体を発見し死亡を確認した。

その際には死後硬直が始まっており、遺体に食害の痕跡は見られなかった。遺体は頭が東向き、足が西向き、あお向けで倒れており、死因は外傷性ショック死だった。Aは鳴り物や武器などは携帯していなかった。

猟友会会員が同日午後4時過ぎまで、加害ヒグマを探したが発見することはできなかった。また、翌日19日も同様に発見できない結果となった。

現場付近ではたびたびヒグマが目撃されており、地元でこの辺りの沢沿いは「クマの通り道」と呼ばれていた。

町内では、1998(平成10)年と2000(平成12)年に、ヒグマによる事故は起きていたが、いずれも鹿狩り中のハンターが突然、ヒグマと遭遇し負傷したもので、死亡事故が起きたのは初めてだった。

白糠町には山菜加工会社が複数あり、シーズン中には各社関係者らが、山奥まで山菜を採りに入山していた。

『北海道新聞』2001(平成13)年4月19日(16版)

子グマを連れた母グマに遭遇
知らずに近づき襲われたか

事故後に行われた現地調査では、アイヌネギの生えている斜面の途中にヒグマが駆け下りた跡があり、その下に採ったアイヌネギが散乱。

さらに10mほど斜面を下った場所にもアイヌネギが落ちており、血痕が残っていた。また、そこから右斜め上方向約4mの斜面に、採ったアイヌネギやAの長靴、軍手などが散乱していた。

捜索に入った猟友会会員の話によると、雪に残った足跡から母グマと、足跡の横幅約6cm以上の1歳2カ月と思われる子グマの親子連れだった可能性が高いという。

現場や受傷状況からAは、アイヌネギを採りながら斜面を上がっている際、10数m以内の至近距離に、突然母グマが現れ、立ち上がった状態で正面から足の爪で瞬間的に襲われたものとみられる。

まずは前頭額部を引っかかれ、Aは反射的に頭を振り、さらに左右顔面と頸部、右前胸を引っかかれ、あお向けに倒れたところをさらに腹部を攻撃された。

その後に執拗な攻撃がないこと、食害の被害がないこと、そして声を聞いて駆けつけた息子と同僚男性には向かってこなかったこと、その後は逃げて姿を消していることから、ヒグマがAを襲った理由は、たまたま子グマを連れて歩いていたところ、知らずに近づいてきたAと遭遇。子を守るために排除しようとして襲ったものとみられる。

(了)


本エピソードは『日本クマ事件簿』でもお読みいただけます。明治から令和にかけて死傷者を出した熊害ゆうがい事件のうち、記録が残るものほぼ全て、日本を震撼させた28のエピソードを収録しています。


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