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素直な人たちと、育った時代が素直になることを許さなかった人たちと/2月18日

この25時間の間に、今年1年分くらい人に褒められた。と言ったら、大げさだろうか。

昨日の夜。お字書きあそびした、書の動画をプライベートなインスタアカウントのストーリーにアップした。すると6人もの「友人」たちがリアクションをくれた。
(ここで「友人」としたのは、結構幅が広いから。最近ZOOMで会話した友人から、高校卒業以来会っていない同級生まで、様々。)
ストーリーなんて自己満足で、流し見で、1日で消えて、消費されていくようなものだと思っているから、そんなにたくさんのメッセージが来ることを想像だにしていなかった。嬉しかった。

いただいたメッセージを、私のためにここに書き残しておく。本当に、自己満足。
「ほの花の字ほんとうに素晴らしい。筆運びまでまじまじとみてしまった」
「いつも思うけど達筆!」
「『あ』の字、めっちゃ好みですっ!」
「好きな日本語『冬型の気圧配置』わろた けどほの花が書くとかっこよすぎて惚れ惚れする」
嬉しい、嬉しいぞ。みんな。感謝御礼申し上げたてまつる。

きっと、みんなそれぞれのインスタアカウントのストーリーには、誰かのおいしそうなご飯や、しょーもなくて笑える小ネタ、ファッションアカウントの新作着画、好きな芸能人の近況、そんなものが流れていただろう。そんな中に、いきなり筆を振り回し、しかもあまりに無意味な言葉を無意味に美しめに書く、インパクト。まあ、コメントせずにいられなかったお気持ちも察する。

それでもだ。

私は素直な人がだいすきだ。自分が「いいな」と思ったものに対して、理屈を越えて反射的に「いいな」と言えること、これはすごい才能だと思うのだ。

素直でいるためには、自分が何ができて、何ができないかをよく知ることが大事だと思っている。
自分にできることがある、という事実は、自分の価値を自分の中で高めてくれる。まずは自分の心を自分で満たすことができてこそ、外に向かって誰かを気にかける、ということができるようになる。
一方で、何ができないかを知る、というのも大事で、自分ができないことを認めるからこそ、相手がそれをできることに対して、自然と賛辞を送ることができる。
私にメッセージをくれた「友人」たちは、きっとそんな素直な人たち。
みんな、なんだか幸せでいてほしいな、と思った。多分私が願わなくても、その素直さは、彼女ら・彼らを幸せにすることに、違いはないのだけれどもね。


そして今日、めずらしく仕事でも褒められた。ちまちまとパワポで作っていた提案資料をもとにした、ちょっと長めのプレゼン。
どうやったら人にわかりやすく伝えられるだろうか?というのを考えながら、見えるものや話す言葉を考えるのが結構好きだから、私にとってそれらの仕事(というか作業)は全く苦痛ではない。なんなら時間を忘れて没入してしまうまでもある(そうしてPC作業の姿勢が悪くなり、首の付け根がゴリゴリになるのだが)。
作った資料をもとにしたプレゼンを見ていた上司からは、有難いお褒めの言葉を頂戴した。
上司の世代は、基本的に褒められて育った世代ではないと想像する。私は、自分の職場に対して、もっと気軽に人を褒める文化があればいいのになァと、のん気に、常々思っているのだが、職場に多い世代の人たちは、多分平成生まれの私が考えるのとは全く異なる時代を生き抜いてきた人たち。
でもそう考えると、褒め言葉の出し惜しみをしている世代の人たちから褒められる「レア感」も、これはこれで貴重なのでは。ウンウン。都合の良い解釈で、自分の機嫌を良くするのは得意な方である。

素直な人たちと、育った時代が素直になることを許さなかった人たちと。
自分の好きなことに没頭して、素直に生きていたら、めっちゃ褒められて、ただただ気分がよかったし、「有難い」なと漢字で書きたくなる、そんな1日。

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