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小さく揺れ続ける/2月11日

昨日は意味もなく夜更かししてしまった。
今日は目がさめる時間まで寝て、起きた。ありがとう祝日。

起きてから、洗濯機を回した。
ゴトゴトという音をBGMにして、ベッドの枕とは反対方向に体を横たえて、読もうと思っていた小説を手に取った。

章立ての少ない物語。主人公の人生の「今」から始まり、「天皇」と同じ年に産まれた過去まで遡り、今、過去、今、を繰り返す。

ゴトゴトというBGMが終わったことには気づいた。でも、本から手も目も心も離せない。
洗濯物がしわくちゃで偏っていることは想像に易かったが、それでも今、読みたかった。

面白い!どんどん先を読み進めたい!と感嘆符を打つような内容では、正直ない。
だけど、自分の全く知らない世界への想像が広がり、今自分が置かれている場所との違いに戸惑い、揺さぶられる。
それは、一過性のものではなく、微かに持続し続け私の琴線を揺らし続ける、そんな物語だった。

結局一気に読み終えたのだけど、多分、また少し時間を置いて、戻ってくると思う。


この小説、最後は東日本大震災の描写で締めくくられる。
ちょうど、あと1か月で「震災から丸10年」だ。

高校を卒業した後の、長めの”とある春休みの一日”が、私にとってのその日だった。
震源地からはかなり離れた実家にいたが、その振動は間を取って伝わってきた。
その後、想像もしない光景がテレビで流れ続けた。
どこか、違う世界のことなんじゃないかとも思った。


あの時、人並みにテレビの向こうの悲しむ人に同情はしたと思う。
なんとなく、使うあてもなく貯めていたアルミの貯金箱丸ごとを、地元のテレビ局に募金しに行った記憶もある。
高校の友人の親戚が津波に巻き込まれて連絡がつかない、という話を聞いた記憶も、おぼろげながらある。
ただ、当時は自分の幼さから、それに対する国の対応、その狭間で苦しむ当事者の方々、背景にある根っことなる問題。そんなところにまで想像が及ぶことはなかった。

あれから10年経たないうちに、今度は日本中、世界中が前とはまた違った脅威にさらされることになった。
私は「大人」と呼ばれる年齢になった。今なら、あの時よりももっと広い視野で考えることができる。想像力は、少しは成長していると思う、思いたい。

だから、10年前に気づけなかったこと、10年経ったからこそ見えてきたこと、変わっていないこと、それらを改めて知って、学び直したい、今はそんな気分。
「10年という節目」なんて言葉は、外の人が勝手に都合よく区切りのついたわかりやすい言葉を当てはめているだけに過ぎない。

私にできることなんて、何もないんだろうけど。
でも、知らないゼロの状態では、何も始まらないから。

知ること、想像すること、想いを寄せること。

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