顔色、声色、あと何色がある?/2月9日
・今日の朝はなかなか起きられなかった。少し身体が重い。昨日、月曜日にも関わらず、仕事をちょっと飛ばしすぎたか、それともくだらないマスクの話を書き出して止まらなくなったからか。だけど、朝1分でもいいからお稽古をしよう、「おはよう」を書くんだ、と気持ちを奮い起こした。
・書のお稽古、やりたいことが3つぐらいある。「習字」を教えるお手本書きの練習。「古典臨書」…最近は半切サイズ(135cm×35cm)の大きな紙に書くことにトライ中、これがまた楽しい。あとは小筆を使った実用書の練習。どれをするかは、朝起きた時のコンディションで決める。今日は本当は臨書をしようと思っていたけど、少し寝坊してしまったのと、四つん這いの体勢がしんどいのとで、諦めた。代わりに実用書の練習を。先生からいただいた添削を復習する。自分の名前すら十分に書けなくて、くう、悔しい。その度に、もっと書かないと、と思う。
・午後から、社外の人と1対1で、オンラインで打ち合わせをした。自分が一生懸命話そうとすると、話すことに集中してしまう。実際に会っていれば、たとえ話すことに集中していても、目の前に相手がいるので否が応でもその雰囲気が情報として入ってくる。だけどオンラインとなると、相手がどんな顔をしているのか、表情の表面温度が分からない。私の発言に返答する声も、音の波が一度電気の波に変換されて、生まれ変わった人工の音の波として、伝わってくる。うーん、改めて、難しいな。言ってしまえば、「顔色」とか「声色」とかが分からない。…と考えていると、やたらと、そういう”雰囲気”みたいなものに、日本語は「色」という字を当てはめるのだなと、気になった。オンラインは、そんな「色」を取り去ってしまう。もちろん、便利なこともあるけどね。
・特に力まず、頭のデトックスくらいの気持ちで、これを書いている。毎日続けるぞ!ほど意気込んではいないけど、今日何書こうかな〜と思って生活していると、少しだけ、見える景色や、目の前で起こることの捉え方が変わった気がした。別に方向性も何もない、今のところ。だけど手さえ動かしてれば、何か生まれるかもしれない。まあ、別に何も生まれなくても、いいや。そんなライトな心持ちで、明日も、何か書こう。
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