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手書き文字の旅/2月12日

今日は何を書こうかな、と暗い帰り道を歩く。

新月だから、なおさら光が少ない。

そのぶん星は明るく見える気がして、見上げた空と私とのあいだ、ほんの近いところに枝垂れ梅の先に小さなまるがたくさんぶら下がっているのを見つけた。
きっと綻ぶのは、もうすぐだろう。春は確実に近づいてきている。

そう思いながら家に帰ってポストを開けたら、綺麗な白色の、少し厚みのある封筒が。
思い当たる節があった、すぐに彼女の顔が浮かんだ。春の、結婚式の招待状。

宛名書きは、直筆だった。彼女の文字を見ただけで、記憶が一気に小学校の時まで遡る。ちょっとくせのある文字。

私は普段自分自身が「美しい文字」を書けるように練習をしているけど、その一方で、ひとが書く、それぞれに個性豊かな手書き文字も大好きである。(というと、あなたは字が綺麗に書けるからそんなこと言われるんでしょ、と言われるかもしれないが。)

みんなが共通に読める「文字」を異なる人が書いても、ひとつとして同じ線で成り立つことはない。文字を構成する線を、あっちに跳ねたり、こっちに跳ねたり。まっすぐに見える線も、ちょっと反っていたり、ゆがんでいたり。二本の線が交わる場所も、微妙にずれたり。このちがいが愛おしい。絶対、機械には真似できないから。

文字には視認性の高い、バランスが取れた文字、といったような客観的な「美しさ」はもちろんあるが、それは人の性格に例えるならば、真面目でなんでもできる人が「いい人」と呼ばれるのと似ているのではないかと思う。もちろん真面目でなんでもできる人は素晴らしい。信頼できる。だけど世の中のみんながそんな人だけだったら、ちょっと面白くないかも。楽天家も、心配性も、せっかちさんも、のんびり屋さんも、いろんな人がいろんならしさを持っているから、楽しい。性格がその人らしさを浮き彫りにするように、文字もその人が持つ個性。文字を書くことを教えてもらったあの日から、亡くなるその時まで、ペンを握って頭から指先まで、人の身体と心から表現される折り重なる線、それが積み重なって文字になり、言葉になり、時にそれは情報になり、ある時には想いになる。

…こんなことを考えていると、「美文字」なんて言葉が陳腐に聞こえてくる。表面を取り繕ったきれいさよりも、もっともっと深いところに、手書きの文字の「美しさ」があると思わずにはいられない。


彼女とは小学校からの付き合いで、大人になっても、たまに一緒に旅をしていた。
旅のあるシーンで字を書くことを求められた時に「私の字、ほーんと、ちっちゃい時から変わらんやろ〜?」と、ニコって、笑ったら目がなくなる顔で、少し恥ずかしそうに声をかけてきたことが、昨日のことみたい。

手書きの文字、たったそれだけ、だけど、記憶の旅をさせる魅力がある。
変わらないけど、どこか美しい、彼女のくせのある私の名前を眺めて思う。

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