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クラス対抗リレーから考察する/2月15日

中学校の運動会に、「クラス対抗リレー」という競技があった。

クラス対抗リレーは、文字通り、クラス全員が、一人100m(半周)ずつを走り、バトンを繋ぐ。私は走るのが得意だったので、リレーはおてのものだったが、今思い返せば、走るのが苦手な、嫌いな人からすれば、ただの見せしめ罰ゲームだったろうと、容易に想像ができる。(田舎の、平和な中学校だったから、誰一人としてクラスメイトを責めたり、ということがなかったのがよかった。)

そこで、優勝するチーム(クラス)の特徴は何か。
いかに速いスターメンバーが揃っているかどうか、か?

否である。
そんなように見えて、実は違う。

いかに“遅いメンバーが少ないか、そしてその遅さがいかに抑えられるか”が勝利の鍵である、というのが中学時代、友達と話し合って出した私たちの結論だった。

速いメンバーが多いか、と、遅いメンバーが少ないか、は同じように見えて、実は違う。

速いといっても、人類が走る速さなんて、上を見上げても、もう天井が見えている。ましてや中学生レベルの「速い」なんて、想定の範囲内。

だけど、走るのが遅い、というのは思った以上に際限がなかったりする。同じ学年にいた、隣のクラスのSくん。大変申し訳ないが、彼は驚くほどに、走るのが遅かった。彼がいるクラスにどんなスター選手が揃っていようとも、その貯金を一瞬で食いつぶす力がSくんにはあった。それを隣のクラスから見ていた私。

別に、十数年前のことを掘り起こしてSくんを責めようだの、走るのが苦手な人を貶めようだの、そんなことは全くない。
ただ、最近暮らしていて、その事実とリフレインするなあと思うことがある。それは、好きなことを伸ばそう、というのと同時に、好きじゃないことを減らそう、ということの重要さだ。

クラス対抗リレーを、自分の性格、人生に当てはめるとしたら、個々の走る速さの能力は、自分が持つ特性・性格に置き換えられる。自分のいいところ、悪いところが出っこみ引っ込み存在する。それぞれの能力を発揮するのに、好きなことは「好きこそものの上手なれ」の言葉通り、すくすく伸びていくだろう。
だけど、好きじゃないこと、苦手なことがあり(あるのは誰でも当たり前として)、かつ、それらに直面する環境に身を置いて暮らしているとどうなるか。
好きなことでぐんぐん伸びたいのに、そのプラスを食いつぶすように、苦手なこと・その時に感じたいや〜な感情がはびこって、足を引っ張ることになる。クラス対抗リレーで、クラスにスター選手が揃って無敵モードなのに、Sくんがリードをチャリーンと清算してしまう、あの状態。(本当に、Sくんには何の恨みもない。ごめんね。)

最近の自分のテーマは、好きなことをする、プラス、あんまり好きじゃないことをやらない、そしてそのためにはどうすべきかを考えよう。である。

人生、もちろん面倒なことはつきものだけど、なるべく、好きなこと、得意なことに触れて生きられる環境を作って、身を置いて、ぶっちぎっていきたいものです。


そして今日は、クラス対抗リレーのチームメイトだった地元の友人から、とっても嬉しい便りが届きました。バタバタした月曜だったけど、その一報ですべてがどうでもよくなり、ハッピーになったよ。好きな人のしあわせを喜べるって、しあわせだ。


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