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『見えない性的指向アセクシャルのすべて』を読んでみた。

僕とアセクシュアル

僕が気付いたのは

性認識は男性、身体は女性のまま。
既婚者で子供が1人いる。
僕がアセクシャルで性認識が男性と確信したのは、中山咲月さんのフォトエッセイ『無性愛』を読んでからだ。(これは以前にも書いた)
まさに青天の霹靂だった。
僕は中山さんを『映画 刀剣乱舞ー黎明ー』の酒呑童子役で知った。
これは僕と同じだ。
僕の感覚と全く同じだと実感した。
誰に対してもSEXしたいとは思わず、恋愛感情が湧くこともなかった。

2人の夫と僕

前にも書いたが僕は10歳年上の人と事実婚を6年8ヶ月、3歳歳下の夫と入籍しての正式な結婚を15年している。
いずれも恋愛感情がなく、成り行きだった。
自分から求めたことはない。
婚姻関係の理由も「一緒にいて楽しい」と言う理由と、子供ができたという物理的な理由なだけだ。
僕に恋愛感情的なものは今もない。
なぜSEXをしてしまうのかというと、恋愛感情を抱かない不憫な相手への償いで、せめて心がないなら身体だけでも提供しようと言う理由だけで、自分からSEXしたいとも思わないのだが応じてしまう。(今はもう何もしない)
感じることは嫌悪感だけ。
行為が終わるとすぐにシャワーを浴び、念入りに身体を洗う。
キモチワルイからだ。

子供ができたのは大誤算だった。
僕の人生プランが全部狂った。
最悪

脱線ばかりでごめんなさい

一口にアセクシャルと言っても、かなり細かく分類化されている。
僕はグレイ・パンセクシュアルでアロマンティックなようだ。
でも、よくわからない。
恋愛感情がないのに彼女がいたり、夫がいる。
僕は受動的な方で好かれるとそのまま好きな様にさせる。
しかし、こちらからの要求はない。
まず、他人に興味がないからだ。
他人に興味がないのにテレビや映画で観たりする舘ひろしさんやドン・ジョンソンには憧れる。これは10歳前後でアセクシャルになるか否かの時期に憧れた人だ。(舘さんは4歳からのファンで、ドン・ジョンソンは11歳からのファン)
憧れと恋愛感情は別だと思っているのだ。
僕は舘さんやドン・ジョンソンのドラマや映画の役柄やテレビで時折観るご本人の人となりに憧れている。
理想の男性像はあるが、女性に憧れることはない。

僕はややこしい。
完全なトランスジェンダーになろうとは思っていない。
つまり身体を男性にしようとは思わないのだ。
脳は男性脳だし、服装もデニムにTシャツやスニーカーと言った男性の好みそうな服装をしている。スカートを着ることは滅多にない。
また乳房を切除したり、男性器を形成したり、ホルモン注入をしたりしなくてもいい。
身体は現状のままで満足している。

結局、僕は何者なのかよくわからない。

『見えない性的指向アセクシャルのすべて』を読んでも、僕が何者なのかは判明しなかった。
性認識が男で、恋愛感情がなく、性的に惹かれることがないことは確かだ。
これは10代から揺るがない。
結婚した後で気が付くことがあるとの記述があったので、僕の場合はそれに該当する。
薄々他の人とは異なると気付いていたが、今までのことを省みると合点がいく。
しかし、この本の中で分類されるものに納得のいくものがなかった。
読み込みが足りないのかもしれない。
まだまだ自分自身と向き合い、勉強をしないとアセクシュアルのことを知ったことにはならないのだろう。
それくらいセンシティブなセクシャリティなんだと思う。
これからわかっていきたい。

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