地域医療とは地域に出ることである:半農半医の一成果


地域医療とは、まず地域に出ることである

在宅医療は地域医療の1つである。在宅医療が地域医療として根づくためには、まず医療者が地域に出ることが肝要だと考える。特に、自分のように外から地域に入ってきた者は、地域に積極的に出て、住民と交流し、地域の歴史・風土・文化を肌で知る必要があると感じる。そうすれば、患者さんの生活背景そのものを知ることができて、自ずと患者さんと世間話をするきっかけになり、ときには会話も弾む。まず地域に出よう。

そこで、一関市内(岩手県)を歩いて見た。

季節は春。桜が咲き誇る。ふと車を走らせていると、磐井川沿いに桜並木と歩道がある。車の通りも少ないため、次から次へと人々が春の彩に誘われて、ゆったりと桜の下を歩いて思い思いの時間を過ごしている。

磐井川沿いの桜並木

歩いて見た。とても気もちがよい。心が晴れやかになる。

ふと桜並木のまわりを見渡してみた。河川敷だったであろうエリア一面に、小さく区分けした農園がいくつも広がる。市民たちが各々の食卓や体を動かすことの楽しみのために野菜を作っているのであろう。

折しも、去年、紫波町の体験農園での収穫がとてもよかったので、今年もやるぞという意欲が湧いていた。いま目の前に広がる農園も気になってきた。

50代くらいの男性が子どもを連れて農園の土を耕していた。声をかけてみる。
「精が出ますね。この畑は借りているのですか」
「この畑は先祖代々守っている畑ですよ」
「先祖代々ですか。それはすごいですね」

思わぬ展開

そこに、Aさんが軽トラックに乗って帰ろうとしている。その方にも声をかけてみた。
「ここの畑は皆さん先祖代々のものなのですか」
「私は借りているよ」

お?借りられるのか?なんだか心がときめいてきた。
「どうやったら借りられるのですか。市から借りているのですか」

自分の素性をまず明かす。4月から開院した在宅診療所の医師である。紫波町でも農園をやっている。農作業はいいですよね。かくかくしかじか —しかし、この時点では、まさかここでも農園をやろうとは思っていない。
「地主さんがいるから、その人に頼めば貸してくれるよ。私もその一人」

そこに、Iさんが現れる。
「私の畑の隣が空いているよ。じぬしさんから借りられるよ。地域おこし協力隊も借りていったばかりだ」

思わぬ展開で、そのまま連絡先を交換して、地主さんにご挨拶しに行って、畑をお借りすることになる。ことの流れに身を任せることにはいつも抵抗がない。これも何かの縁だし、何かの予兆の一つだ。改めて日程を合わせて地主さんにご挨拶に伺うことに。

そして、一関市での農園生活が始まる。春から夏、夏から秋へ、そして冬へ。畝づくりや苗植え付けの際は、診療所のスタッフに手伝ってもらった。

写真:スタッフのTさんと苗を植える
手作業で作った畝の全体像

あとの管理は、週1回だけ、小一時間ずつのスキマ時間を見つけては、畑を訪れて手入れした。雑草も抜きたいけど、そこまで手がまわらないのは仕方ないと割り切る。

それでも、ミニトマト、トマト、スティックセニョール、かぼちゃ、落花生、枝豆がどんどん出来てきたときは嬉しかった。全部うまくいったわけではないが、食卓を彩ってくれた。診療所スタッフにもおすそ分け。

日光に映えるミニトマト

地域を知る

新しい場所で農園をやっていくにあたって、Iさんには本当にお世話になりっぱなしだった。そのIさんには別の顔がある。前述の桜並木を保存する会「残った桜を守る会」の会長なのである。

話を聞く。ここ磐井川は2つの台風に見舞われて大洪水を起こしたという歴史がある(一関市HP資料)。この2つの大水害で約500人の尊い命が奪われたという。土木には詳しくないので専門的なことは分からないが、被害に関する調査報告もあるくらいの大惨事であったことが伺い知れる。
その悲しい歴史を忘れないようにするとともに、水害からの早期復興を記念して、桜の植樹が施された。その植樹の年に生まれたBさん。自宅が桜並木の近くにあるため、桜を守る会の会長に就任したことは必然だったのであろう。

話を聞いた後では、見る景色の意味も異なってくる。尊い命が失われた地。命に関わる医療者としては、胸に痛みが走る。その地域に腰を下ろして、毎年桜を手入れして、人々の心を明るくしようとする住民がいる。
地域への関心や愛着がわいてくる。この地をもっと知りたい・貢献したいという気持ちとともに。

多拠点での畑生活

二か所目の畑を維持するのは大変だ。紫波町とは天気や気温が異なる。病害虫の被害も異なる。それらの影響を受けて、野菜の生育が全く異なることを初めて知った。どこでも野菜は同じ時期に植えればいいというものではないのだ。

加えて、その土地に居住しているわけではないので、ふと気が向いたときに畑に出ることができないというハンディがある。それどころか、畑に出られるのは、夜の待機のために宿泊して、前の晩から体調を整えて、寝る前に「よし、明日の朝は行くぞ」という意欲を高め、かつ患者さんからの急な呼び出しがなく、かつデスクワークも予め整理して、しかも翌朝に雨が降っていないことが必要条件になる。

運よく畑に向かっていても、急な呼び出しがあって、仕事にスイッチが入ったこともしばしばであった。
そういうわけで、畑の前に居を構えるIさんには、すっかり、おんぶにだっこ状態となってしまった。本当に感謝している。

とれすぎ予想でふと湧いた構想

野菜を栽培していると楽しいが、一方で様々な悩みも抱える。そのうちの一つが、「とれすぎ」である。とれすぎて消費できない。

夏の野菜が終わって、秋の大根栽培を始めることにした。畑も新しく開墾する。畝が大きい。畝がしっかりしていると見栄えもあって嬉しい。

ところが、大根を沢山種まきするので、とれすぎるから消費をどうしよう、という不安も脳裏をよぎる。
そこで、ふと思い立った。「そうだ、登米のカフェに届けよう」

もともこの構想はMさんから提案されていたものだ。Mさんは産直の広報を務めていた腕前である。思い立ったらすぐ行動するのがMさんのすごいところである。登米でランチタイムに雑談しただけなのに、もう1時間後にはカフェのシェフSさんに、野菜を届ける商談を成立させている(問題は、この時点では収穫はないことだけど笑)

大根の種まきからほどなく芽が順調に出た。10月は天候に恵まれて生育が順調であった。Iさんの指導のおかげだ。「11月中旬には大根はとれるよ。間引きもしないと」
その一言をゴーサインと受け取って、「一関から登米に大根を運び隊」を発足させた。生育した量だけ、注文した量だけを届ける、無理のないシステム。

とはいえ、素人の作る野菜である。市場の値で売るなどおこがましい。まずは、試食していただくために、間引き大根を少しずつ届ける。

朝採り大根

そうしたら、こちらの不安をよそに、シェフSさんは、実に鮮やかに大根ピクルスに仕上げるではないか。美しい。テイクアウトメニューであるランチボックスにも大根の煮物が入っている。これぞ生産者の冥利に尽きるというものである。しっかりと購入して、テイクアウトして心躍る。生産者の喜びと消費者の喜びのブレンド。

美しいランチに作った大根が入ってると嬉しい
大根ピクルスという発想はなかった

手ごたえを感じたので、11月29日を大根収穫祭に指定した。診療の合間を縫って、昼休みに実行。(勢いに乗せられて?笑)スタッフも数人、協力してくれた。さて、どうなるか心配が尽きないが、大根がとれるのったらなんの。昔、小学校の教科書に出てきた童話を思い出す(でも、あれはカブか笑)。

昼休みを利用して大根を次々と収穫。霜が降りるようになってきたから全部抜いてしまおう

Iさん夫婦にも声をかけていたが、Iさん夫婦は自身の畑にも我々を案内してくださり、ネギや里芋も大量にいただいた。本当にどうしてこんなに優しくしてくれるのか。

言うまでもなく、大根収穫祭は大盛況だった。

大根を持って「ハイ、ダイコン」

オリジナルな地域貢献

しかし、ミッションがまだもう1つ残っている。自家用車の荷台に大量の大根とネギを載せて、登米のカフェに届ける。あまりの大量さにシェフもびっくり。どうか美味しいメニューに使ってください。

天才シェフSさんに大根をお届け

素人の生産者にとって、野菜の代金をいただくのさえもおこがましい。そこで、代金として支払う代わりに、農園や桜並木の保存のために寄付していただくことにした。

これも地域貢献の一つになるのではないかと考えを重ねた結果である。折しも、桜木が老齢化して傷んできているという話も伺ったからである。これからも、あの美しい桜並木を人々に見せ続けてほしいと願うばかりである。

医師という役割だけでない自分があってもいい

医師の偏在と言われて久しい。
しかし、実は、地方で働きたい医師は5割以上いる。しかし、現実的には、都市と地方の医師偏在はまだ解消できていない。地方にどうしたら医師が来るのか。年収だけでは医師は来ないことは歴史が示してきた。それでは、福利厚生の充実なのか。専門医資格を取得・維持するための環境なのか。研修プログラムが整った環境なのか。一人医師とならないような体制づくりなのか。
そういう現実的な部分もあるだろうが、医師として働くこと以外の魅力がクローズアップされてもいいのではないかと感じる。

今回の野菜の生産者としての働き方は、医師という仕事や役割にとどまらない自分を見出すことにつながった。
長い人生において、職種を一つに限る必要はないのではないだろうか。
医師ではない自分があってもいい。

半農半Xという言葉が1990年代くらいから提唱されてきた。農業をしながら、Xもして、生計を立てるとともに、生きがいを見つけることだと理解している。
地方創生、セカンドライフという文脈の中で農業にも焦点が当たるようになった。
X=医療ということもあってもいい。

地方で働くとは、単に地方の医療機関に務めるだけでなく、地域に出て、その魅力を肌で感じ取り、さらには半農(でなくてもいいが)して、医療という枠組みの中の社会的な役割から飛び出すことかもしれない。それが結果的に地域医療に結びつけばよい。もともと医療は生活を支えるための一要素なのだから。

(農業医療フェロー)

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