私は「構ってちゃん」
おはようございます!
ケミオです。
まだ仕事前。
今日は朝から書いています。
初めてで、何か心境の変化があったのかと聞かれれば、特にありません。
心と体の赴くままに、PCに向かっただけです。
さて、何を書こうかというところですが、ちょうど直前に、とあるYahooニュースのコメントに、このようなことが書いてありました。
「悪口ばかり言う人といると酒がまずくなるし、いつか人は集まらなくなる」
これ、やっぱりそうですよね。
だから私も、母と同じ空間にいるのが嫌になる。
でも振り返れば、私もそうでした。
酒ではないですが、中学校の最後の方から高校にかけて、私は誰と話しても悪口や嘆きばかり言っていた。
それがそのまま理由というわけではないですが、今に続く中学と高校からの人付き合いはありません。
人と心を通わせることができなかったし、高校では無視されることも経験しました。
このことはべつに、トラウマではありません。
なぜなら、私がよろしくなかったから。
相手は相手で、当然の態度を取ったと思うのです。
言ってみれば、私は「構ってちゃん」だったと思います。
相手のことを考えず、とにかく自分の言うことを聞いてほしいだけ。
このこと自体は、それから鳴りを潜めました。
特に努力をしたわけでもなく、自然に。
でも「構ってちゃん」精神は、まだきっと私の中でくすぶっている…。
そんな気も、するんです。
もちろん、「自分の話を聞いてほしい」のは、おかしな欲望ではないと思います。
でも、相手がいることを忘れてはならない。
相手の反応にすべてを委ねるのもまた違うと思いますが、要は、自分の欲望を叶えつつ、相手のことも尊重しなければならないと言ったところでしょうか。
書いてみると、当たり前のことを言っている気がします。
でも、理屈ではわかるこうしたことも、その通りの行動は自然に咄嗟に取れないのが、アダルトチルドレンの闇というか…。
このnoteも、本当なら人が元気になったり明るくなったりするようなことを書きたいと思う。
そもそもの動機と目的がそれではなかったので、違っても「まぁいいか」といえば「まぁいいや」で済ませるわけですが。
とはいえ、そんなでも読んでいただいて、ありがとうございます。
また、すいません。
とにかく今日も、良い一日を!