人の話をよく聞くようになるかも…しれない?
こんばんは!
ケミオです。
一昨日のことになりますが、私は過去のトラウマから、次のような思考が根付いていることを記しました。
「自分は希望を持ったり言ったりしてはいけない」。
これに対しては、EMDRを通じて、「自分は自由に物事を考えていいし、したいことやりたいことを実現しようとして良い」と思えるようになればいいわけです。
このことに関連して先ほど、なんとなく考えてしまいました。
確かに、自分はずっと心から湧く希望もなければ、それを表明するなんてこともほぼ無かった。
小さなことから、大きなことまで。
唯一の例外は、「早稲田に行きたい」だけだったと思います。
話は変わりますが、実は昨日、父とお酒を飲んでいました。
その中で、「お前は人の言うことを聞かないきらいがあるよな」と言われた時。
私は、「まぁ、確かにそうかもしれない」と思いました。
ただ、このことについては少し考えて、思いました。
父の言う通りに、私が人の言うことを聞かないのだとしたら、それも「自分は希望を持ったり言ったりしてはいけない」という思考が関係しているのでは?
希望を持っても言ってもいけないというのは、つまるところ、私は自由に物事を考えることも、言うこともできないということです。
私が考えられるのは、周囲の状況からの「自分はこうすればいい」という理屈だけ。
それを言うこともできませんから、何か自分のやろうとしていることに対して、人の話を聞こうというチャンスも考えも起こりません。
結果、私がすることはいつも、自分の頭で結論付けたことを誰にも言わずに、ただ自分で実行することのみ。
そうなっていたのではと、思いました。
とはいえ、そんな屁理屈をこねなくても、単に子どもの頃に受けた心の傷から、他人を信用できなくなったからとも言えそうですが。
一方で、私の中に芽生えさせるべき、「自分は自由に物事を考えていいし、やりたいことを実現しようとして良い」という思考。
ちょっと、わかってきたような、です。
具体的に何かが見つかったとかではなく、その思考そのものについてです。
「俺って、何を考えても自由なんだよな」みたいに思うことがあります。
また、それに付随してでしょうか。
現実の色んな物事が、だんだんクリアに見えてきている気がしています。
人の話をよく聞くようになるかも…しれない?
なお私は、酒を飲んだそんな父との間に、大きな問題はありません。
機能不全家族であっても、それが唯一の救いと言えば、救いかもしれません。
今日もお疲れさまでした!