3.11後の希望をくれた2人の仮面ライダーの話
たまには現行作品の感想以外のことも書きますよ。
今日は3.11、あの日から9年…ということで、
まあ、あんまりそういうのに乗っかるのは好きではないんですが、
あえて避けようとするのも一周回って不誠実な気もするし、
書く以上はより多くの人に読まれたいという下心もあるし、
どうせ書くなら今でしょ。
ということで、
私の推しライダー2人の話をしようと思います。
仮面ライダーウィザード:
「今を受け入れて前に進む」
まず、これもあんまりしたくないんですが、自分の話を少ししないと、この先の話がスムーズにいかないので書きますね。
原発にそんな近くもないし別に避難とかもしてないけど、無関係と言えるほど遠くもない、みたいなところに実家があります。同じ高校には対象地域から通ってる人もいた、くらいの距離感。
東京の大学に行って、今は県内に戻って働いています。まあ、うちの県、めちゃくちゃ広いんですけど、今いるのも太平洋沿岸です。宮城寄りの北のあたり。
今年は、いよいよ太平洋沿岸を走る常磐線が全線復旧ということで、
避難指示解除の動きも活発になってきました。
そしてテレビや新聞で、毎年のように繰り返される、戻りたい、戻れない、そういう話。
まだ避難指示が解除されてないから戻れない、っていう話だけではなく、
避難先で新しい生活を始めてしまってるからとか、
自分だけ戻っても生活インフラが十分でない、とか。
大学生の頃、まだ若かった(?)私は、こんな報道を目にするたびに、思っていました。
そんなに無理なら、戻らなくてもいいじゃん、と。
なんでそんなに、戻ることにこだわるの?って。
この頃は、自分が田舎から東京に出て、ヒャッハーしてた頃だったんですね。
だから、新しい環境、都会って最高!が転じて、みんな新しい環境を楽しめばいいじゃん!何もあんな田舎にこだわることないよ!
…って、思ってました。
若気の至りにもほどがある。
そんな私も今やもう、社会人3年目を終えようとしています。時の流れって早い。
それでも、今でも、同じことを思います。
無理してまで、元に戻そうとしなくても、いいんじゃない、って。
変わったのは、そう思う理由。
元に戻そうとすることが、どんなにしんどくて、無理のあることか、わかってきたから。
そして、元に戻そうとすることをやめるのは、決して後ろ向きの諦めなんかじゃなく、
むしろそれこそが、未来に向かう強さなんじゃないか、って思えたから。
やっとここでウィザードの話につながります。
彼のことを一言で言うと、「受け入れる強さを持った人」なんですよ。
両親を失っても、サッカー選手への道を断たれても、望まぬサバトに巻き込まれても、受け入れて。その過去を悔やむのではなく、むしろ過去から生まれる責任感まで、背負いすぎるほどに背負って、あれほどまでに強がって、戦い続けてくれて。
そして本編終盤、コヨミを取り戻そうとする笛木と、戦ってくれた。もちろん、サバトに大勢の人を巻き込むわけにはいかない、ってのがあってのことだけど、それでも、そんな方法で蘇らせるのは間違ってる、って言ってくれた。
さらにコヨミを失ったあとも、当然ショックを受けたけど、最後にはまた立ち上がってくれた。彼女の魂のために。以前と同じ悪事を働こうとするソラを止めるために。
だから彼というよりも、物語として、なのかな。
失った命を取り戻そうとした魔法使い、人間に戻りたいと願うソラ。
それに立ち向かって、どんなに望んでも元通りにはならないこと、を容赦なく描いてくれた、その物語が好き。
サバト直後の回想が描かれたときだったかな…ちょっとどこだったか忘れてしまったんですが、晴人からコヨミへのセリフで「今を受け入れて、今を生きようぜ」っていうのがあって。ちょっとうろ覚えですが。
この一言に、彼の強さが表れてる気がします。
そして小説版では、晴人の受け入れる強さがよりはっきりと描かれました。
TV本編の晴人って、いろんなことから手を離し続けてきた人なんですよね。夢も、コヨミも。そしてそれを受け入れてきた。
でもやっぱり、全て手に入れたかった、もっともがきたかった、っていう気持ちが、どこかにあったんじゃないの?っていうところから、
手を離すことをよしとしなかった、もう一人の晴人が現れ、押さえつけてきたかもしれない自分の未練と戦うことになる…っていうのが、小説版のあらすじになるんですが。
実は、全部諦めたくない!ってもがく方が、楽なんですよね。激情のままに動いていたほうが、実は楽だったりする。
激情に溺れているうちは、つらい事実から目をそらしていられるから。
理屈では無理だとわかっていても、全部取り戻す!っていうポーズを取り続けていれば、いつか本当にそうなるかもしれない、って自分をだますことができるから。
もう一人の晴人も、まさにそんな、激情のままに行動する人でした。
でも、本当の晴人は、そんな自分の後悔さえも、そこにあるもの、自分の一部、として受け入れる決断をしました。
後悔ももちろん認める、でも目の前に厳然としてある事実は事実として、静かに受け入れる。そうすることは難しいけど、それができることが晴人の強さなんだ…ということを描いてくれたのが、小説版でした。
ほんとおすすめで、Kindleで読めるので買ってください。ちなみに、ダブルヒロインへの決着のつけ方も、なるほどこう来たか納得!ってなります。
ここで一つ補足を。
何かがなくなってしまう前に足掻くこと、それ自体は間違ってないと思います。むしろ、足掻けるうちは、後悔しない様にやりきっといた方がいい。
自分、アイヌ文化が好きなんですが、これってまさに、なくなってしまう前に活動してくれた先人たちがいるおかげで、今でも伝わってるわけですよね。
だから、何かがなくなろうとするとき、あるいは変わろうとするときに、それを止めたい!って動くことそのものは、全然アリだと思います。って謎の上から目線になってしまって申し訳ないのですが…うまく言えなくてこうなってるだけです許してください…
でも、その一方で、何かがなくなってしまったり、変わってしまったならば、それを受け入れることも必要じゃないかな、って思うんです。
受け入れることこそが、本当の強さであって。
そしてそれこそが、未来に進むために、いちばん必要なことなんじゃないかな、と思うわけです。
というわけで、晴人がくれたのは、
変えられないことを受け入れて前に進む、その強さ。
いつまでも悔やんだり悩んだりしていられないんですよ。現状は刻々と変わっていくわけだから。
対照的だな、と思うのがオーズですね。
最近また、ペアリングですか?割れたタカメダルを模したアイテムが発売されたようですが…どれだけいちゃつくんだあの二人は…
そう、震災当時、現行ライダーだったオーズが最後に語ったのは、
「いつかの明日で、また会えると信じて」というメッセージでした。
消滅したアンクと、「いつかの明日」を約束した映司は、希望を胸に旅に出る、というラスト。
確かにあのときは、壊れた街も壊れたままだったし、まだ行方不明扱いのままの人も多かった。「いつかの明日」を信じなければ、到底やってられない、という状況でした。
だから、あのリアルタイムのメッセージとしては、ものすごく意義があったと思います。
そしてオーズのあと、とにかく明るく!という志向のフォーゼを挟んで、ウィザード、という放送順でした。
その2年の間に、きっと、求められるヒーロー像が変わったんだなあ、と思います。
オーズがくれたのは、うーん、有り体に言ってしまえば、目先の希望、というか…もっとうまい言い方ないんかな…諦めなければ、願って行動し続ければ、きっと未来には願いが叶う!という、無邪気に信じたい感じのメッセージだった。もちろん、それが必要な場面も多々あります。
そして2年経ち、ウィザードが教えてくれたのは、「今を受け入れて前に進む」ということ。それは決して諦めだとか逃げだとかのマイナスなものではなく、むしろそれこそが強さなんだ、と肯定してくれたんです。
そう、「今を受け入れる」ことを、ヒーローが仕方なく選び取った選択肢、本当は悔しくて不本意だけどこうするしかない、みたいな描き方ではなく、
受け入れることこそ、強いんだ。って肯定的に描いてくれたことが、本当に、好きなんですよ…。
だから、もう2年どころか、9年経ってるわけですよ。
今、私たち(って言っていいのかどうかも微妙なところですが)に必要なのは、晴人のような、受け入れる強さなんじゃないのかな、なんて思うわけです。
だからってじゃあ、復興しなくていいのか、避難指示解除しなくていいって言うのか、って、そういうことではなく。
あくまで、元通りに戻したり、元の土地に戻ったりするのが、難しいなら。それがしんどいくらいなら、もう9年も経ってるわけですし、今を受け入れてみても、いいんじゃないかな、って。
戻りたい人は戻ればいいし、戻らない選択肢も、それはそれで尊重されるべきだと思うんです。戻らない人は、今の生活の現状を受け入れた結果、そういう決断をしたわけですから。
だから、戻りたくても戻れない、みたいな、悲劇に仕立てんのやめろ!マスコミ!そういうとこだぞ!!
まあ、ウィザードのメッセージを、そのまま震災に当てはめることは、あまりに乱暴すぎる…ということは、重々承知しているつもりです。
自分は当時高校生で、そのあと大学進学、就職と、生活環境が大きく変わる年代だった。環境が変わることに対して柔軟に対応できる年代だったわけです。まあ正確には、進学や就職に伴う環境変化以外の選択肢はなく、対応しなきゃやってられなかった、といったところですが。
そんな自分と、例えば生まれてからずーっとこの村で暮らしてきました、みたいな70代80代の方とでは、環境変化に対する耐性が違う。
若いうちは、進学や就職でどんどん環境が変わっていくのがむしろ当たり前ですが、70を過ぎてから親しんだ土地を離れるとなると、そりゃ無理だ、戻りたい、ってなるのも、わかります。
きっと私の書いていることに対して、薄情だとか、被災者のつらい現実をわかってないとか、そういう意見もたくさんあると思います。
でもそれでいいと思ってる。
私が何も書かなくたって、本当にまだつらい人、復興したって思えない人はそれなりの数いるだろうし、またそれを、1を10に誇張して伝えるマスコミもいる。
だから、私一人くらい、こういうことを書いたって、いいんじゃないかと思うんです。
あとね、余談ですが、何もこの、晴人がくれた強さって、震災に対することだけじゃないんですよ。
受け入れなきゃ前に進めない、ってのは、人生のどんなことにも当てはまるから。
日々の些細な失敗から、自分が生まれた環境まで、小さなことも大きなことも全部、受け入れて、前に進む。そして今を生きる。
もう一つ余談。この、これまであったことを受け入れて肯定する、っていうテーマ、実はウィザードだけじゃなくて、特撮にわりとよく出てくるんですよね。
最近、魔王も似たようなこと言ってましたし。過去は変えられない、でも未来なら変えられる、って。このソウゴのセリフ好き。
ウィザード以前では、Wの劇場版で、亜樹ちゃんがありったけの感情を乗せて放った「死んだ人は、もう還ってこないよ」というセリフがありました。これも好き。
戦隊で印象的なのはゴーカイジャー。世界を作り替える選択肢を、選ばなかったわけですから。
あと、ちょっとズレますが、運命を受け入れる、って言って戦ったのがウルトラマンジードですね。生まれとか、もう、変えられないから受け入れるしかないものの代表格ですし。
まあつまり、受け入れる強さ、って、結構繰り返し描かれていて、わりと普遍的に求められているものなんだなあ、って話です。
逆に、世界を作り替えちゃったのがビルド…って、そのへんのこと書いた過去記事もありまして、こちらもお時間あればどうぞよろしくお願いします。ええそうです、宣伝です。
さてそろそろ次は、キバについて語りたいと思うんですが、少しだけフライングして、キバの好きなところを一つ。
過去と現在をめぐる壮大な物語のわりに、ラスボスがなーんか小者なんだよな、っていう評価を下されがち…かどうかは知らないのですが。
終盤は、渡と太牙のケンカがメインなので、ラスボスはまあ確かに存在感薄いんですよ。覚えてます?ビショップが復活させた、過去キングの亡霊みたいなやつです。
でも結局、その亡霊も、そしてビショップ自身も、倒される。これ、ウィザードと同じで、失った命を取り戻そうとすることが、過ちだ、として描かれるんです。だって現実には、そこはどうやったって反転できないものだから。
死は、どう足掻こうが、受け入れなくちゃいけないものなんです。この厳しさが好き。
はい、というわけで次行きましょう。
仮面ライダーキバ:
「ここにはもういない人」への思いで、人はここまで強くなれる
キバはリアルタイム視聴してないんです。
震災後、ちょうどウィザードがリアタイの頃だったかな、ニコニコチャンネルで週1話ずつ無料放送していたのを見て、見事にハマりました。
前項でフライングしたように、キバについては好きなところがいっぱいありすぎて語りつくせないのですが、今回は、見出しの一点に絞りたいと思います。
ここにはいない人への思いで、人は強くなれる。
キバの物語は、主人公の渡や、女戦士の恵がメインの現代編と、渡の父・音也、恵の母・ゆりがメインの過去編があって、二つの時間軸が複雑に絡み合いながら展開していきます。
きっとね、タイムトラベルもので大ヒットしちゃった電王のあとで、大変だったんですよ、それを本当に、よくこんな素敵な物語を…!って、いかん脱線した。
で、この過去と未来なんですけど、物語内での因果関係はものすごく緻密に描かれるんですが、
登場人物がタイムスリップして、過去編と現代編の登場人物が会うのって、基本は一人一回、多くても二回で、本当に少ないんですよ。(パラレルワールド的設定の劇場版は除く)
本編のほとんどは、親世代が遺した思いを、子ども世代が汲み取って、親世代に想いを馳せる…といった調子で進むんです。
ちょうど今、似たような構図で、ドラマ「テセウスの船」が放送中ですが。
あれは、主人公(ライダー出身の竹内涼真!)がタイムスリップして、過去と深く関わることで、現代が変わる…というか、変えようとする、という話。
仮面ライダーキバは、それとは全く異なるアプローチをしたドラマです。
親世代の思い、過去に何があったか、視聴者はわかるんですけど、それは現代編の登場人物たちには直接伝えられず。
特に前半の渡がそうなんですけど、父さん、あなたはどんな人だったの?何を考え、どう生きた人だったの?って、ずっと悩んでる。
あ、言い忘れてた、音也もゆりも、現代編では他界しています。
もうここにはいない、親への思い。
でも、その思いを受け継いで、渡も恵も、戦って、成長していく。
現代で必死に生きる中で、いつしか、親と想いがつながっていく…って、キバはそういう話なんです。
だからきっと、誰かや何かを大事に思うこと、っていうのは、
その対象と、必ずしも一緒にいなきゃいけない、わけじゃない。
遠く離れたものにでも、人は、想いを寄せることができる。
そしてそうやって想うことだけで、強くなれる。
それが、渡と恵が見せてくれた、一つの生き方です。
失った人は、もうそばにはいないけれど。
戻れないふるさとに、実際に戻らなくても。
そこに想いを馳せること、それだけで、人は生きていけるんじゃないかと思うわけです。
遠くから想うこと。
渡と恵は、時間的に遠くから。
死者を思うときには、住む世界の遠さを。
そして戻れないふるさとに対しては、距離的に遠くから。
遠さの意味は違うけれど、想う対象が目の前にない、という点では、同じ話だと思います。
そして、どんな意味での遠さがあろうとも、想うことは、いつでもどこでも誰にでも、きっと、できる。
だから、前項とも話が重複するけれども、
戻らないこと、戻れないことは決して、悲劇でも不誠実でもなんでもないわけですよ。
だって、戻らなくたって、遠く離れた場所から想うことはできるから。
何が何でも、目の前の現実として取り戻さなきゃ!って気張らなくても、想いを寄せること、それだけでも、いいんじゃないかな、って。
そう、人間には、ここにはないものを思う力が、あるじゃないですか。
「想像力」という、人間だけの特権が。
(もっとも最近、動物でもいろいろ考えてる、という研究結果が出ていたりするらしいですが)
これも特撮で何度も描かれてます。トッキュウジャーのイマジネーションだったり、今度始まったキラメイジャーのレッド、充瑠くんの能力もそれだった。
人間には、遠くのものに想いを馳せる力がある。
だから、目の前に現実として取り戻すことだけが、大事に思う唯一の方法、ではないと思うんです。
少し酷な言い方になりますが、取り戻せなくてもいいじゃないか、と。
だって目の前になくったって、想うことはできるから。
そしてそうやって想うことで、人は生きていけるはずじゃないか、と。
渡も恵も、そうやって強く生きていたから。きっと私たち(だからどこ目線?)もできるはず、そう思うわけです。
まあだから結局これも、元に戻らないこと、取り戻せないという事実を、受け入れる、って話に収束していくんですけどね。
目の前に取り戻さなくても、想うだけで強くなれる。
このことを信じて初めて、取り戻せないということを受け入れられるのかもしれない。
そう、テセウスの船とキバで、違う点がもう一つ。渡は一度だけ過去にタイムスリップして、音也と共闘しますが、そこで彼は一切、過去を、そして未来を、変えようとはしませんでした。
それは、父が死んでいて、望まずにいろんなことを背負わされていた現代での自分を、受け入れていた、ということの証左ではないかと思うんです。
もっとも渡の場合、受け入れるというよりは、消極的に流されると言った方が正確かもしれませんが…
それでも、変えたいとは望まなかった。やっぱりある程度、受け入れていたということだと思います。
渡も、消極的にではあれど、晴人と同じ、受け入れる強さを、どこかに持っていたような気がします。
渡と晴人、二人の主人公ライダーの共通点。それは、大切な命を失ったことは受け入れつつ、目の前には存在しないその魂と共に歩む決意をした、ということじゃないでしょうか。
さっき、ウィザードの映画の話をしませんでしたが、ここでしましょう。
TV本編終了後、次作の鎧武とコラボした、通称”冬映画”。正式名称は『仮面ライダー×仮面ライダー 鎧武&ウィザード 天下分け目の戦国MOVIE大合戦』だそうです。長いわ。その中のウィザードパートの話です。
コヨミという、もうこの世から切り離された魂。でも、その魂を安らかに眠らせるために、晴人はもう一度戦うのです。
これって、現代にはいない人への思いで戦っていた、渡や恵とも、通じるものがある気がします。
そして最終的には、未練を断ち切る、のではなく、その未練さえも自分の中にそっと置いて、一緒に生きてゆこうとする…このシーンが本当に美しくて儚くて、思い出しただけで泣きそう。
これはもちろんフィクションの描写ですが、実際にだって、人間の想像力を駆使すれば、同じことができるんですよね。
ここにはないものへの、想い。想うだけで、強くなれる。
人の持つ、想像力、想うことの、力強さ。現実にはないもの、遠いものにも、想いの力は働くから。
想いの力、を信じたとき、どうしても元に戻さなきゃ、というある種の呪いから、解放されるような気がします。
なんだかウィザードの話に戻ってしまいましたが、キバの好きなところ、他にもいっぱいあるんですよね~。
女性の活躍をしっかり描いてくれたところとか、
ギャグに走りつつも捨てキャラが誰一人いないところとか、
種族が違うがゆえにわかりあえない、そのわかりあえなさをなあなあにハッピーエンドにせずに容赦なく描いてくれたこととか。単発のエピソードではわりとバッドエンド多いからな…
そしていちばん好きなポイントは、ここで書いた、遠い人を想うこと、なんですけど、
同じくらい好きなのが、恋愛を丁寧に緻密に描いてくれたこと…!
世間では「恋愛」の一言で済まされてる感情って、あるじゃないですか。雑な恋愛ドラマだと、それっぽい雰囲気だけ出しといて、世間で言ってるアレと同じでーす、あと解釈よろしく、って視聴者に丸投げするやつもあるし。
そこをキバでは、この人のこの思いと、この人のこの思いで、愛になるんだ…!ってのをね、誰とも同じじゃない、その登場人物だけの、愛の形を描いてくれたこと…。
脱線が過ぎる。単にまとめづらくなって脱線したんですけど。
よし、見出しをつけることで強引にでもまとめに入る作戦、決行。
まとめ
書き始めたときには、こんなにいろんなことが出てきて、なおかつ、こんなにいろいろ話がつながるとは思わなかった。
こうして書いてみて改めて、自分の震災への態度をはっきりさせて、かつ、推しのどこが好きなのかを再認識できました←大事!
来年で10年ですか。きっといろんな区切りがつけられることでしょう。例えば式典とか、10年目を最後に、ある程度はなくなるんじゃないかと予想してます。そしてストーリー仕立ての報道はむしろ今からどんどん減れ。
区切りをつける、それでいいと思うんです。
だって、過去を何度反芻したって、もう変えられないから。受け入れるしかないから。そうやって前に進むしか、今を生きるしか、ないから。
もちろん、前に進むために、災害の教訓を伝える、とかは大事ですよ。こうやって備える、こうやって逃げる、とか、そういう学びを、この日を機会にやることは、いいことだと思います。
ただ、未練やこだわりでしかないようなものは、もう置いていっていいと思う。
そして、適度な距離感を持った過去のこととして、遠くからそっと想いを馳せる。それだけで、十分なんじゃないかと思います。人にはそれができるから。
忘れろ、って言ってるように聞こえてしまうかもしれませんが、もうそれでもいい。
だって、メディアが忘れさせてくれないんだもん。
考えてみればおかしいよね、震災とかそういう、みんなが一斉に共有する物語的な死、だけが、こうやって語られ続けて、消費され続けるなんて。
だって、そんな災害じゃなくっても、日常的に人は死ぬし、つらいことだってバンバン起こるんだよ?
なのに、災害だけが、忘れることさえ許されないかのように、こんなに何度も何度も語られるなんてさ。歪んでるよ。
だから、一人くらい、こういう逆のこと言う担当(?)の人が、いてもいいよね。
私一人、こんなnoteの片隅で、好きなこと書いてたって、いいよね。
ああ、まとまった気がする。
今日の朝から書き始めて、なんとか今日という日のうちに、間に合わせることができました…。
9千字越え。ここまで読んでいただいた方、いらっしゃいましたら、本当に、ありがとうございました。