黑世界~日和の章~感想
昨日、配信にて雨下→日和と一気見をキメまして、無事に重度の繭期の中におります。
雨下と同じく、視聴後の書き殴りをベースにしておりますので、まとまっておりませんが、感想を書いたので、投下しておきたいと思います。
→10/3 2回目見たので追記・編集しました。
雨下の感想はこちら
コクーンの過剰摂取で死にそうです。
雨下の作家陣トークで「日和はTRUMPシリーズではめずらしくほっこりしてますので」って末満さんが言ってて、でも配信前のコメント欄では「日和の方が泣ける」って皆さん言ってて、???って思ってたんですが、理解しました。いつもは絶望に叩き落されて、泣くどころじゃなく茫然自失になってるんだと。日和はこう、ほっこりする人の心を残しているからこそ、辛くて泣けるんですね。いつもは完全に人の心がないので、本気の「なんでこうなる?????(呆然)」ですが、今回は、救いのようなものを感じる分、「よかったねーーー(涙)」でした。
「家族ごっこ」
なんかこう、タイトルからしてもっと不穏な寄せ集め家族みたいな、イニシアチブで無理矢理家族ごっこしてるみたいな(それは完全にソフィの疑似クランや)のを想像してたんですが、ぜんぜんちゃんと家族してるじゃん!!!っていうまずそこが衝撃でした。
そして、有能な元血盟議会議員のエルマーを演じたのが、中山義紘くん。そう、SPECTER初演の臥萬里(先代)。彼の本当の名はソフィ、そしてかつての妻は、リリー…。よしくんが演じるエルマーに、正真正銘のリリーを、擬似的な妻としてあてがうって…鬼か…。(どうにか末満さんの鬼要素を見つけないと落ち着かない)
そしてリリーに、子どもを連れて逃げろ、と頼む。ソフィだった頃の萬里はきっと、腹の子と一緒に逃げろ、とリリーに叫びたかっただろう。その萬里の思いを今、同じ身体に宿した魂で、よしくんが演じるエルマーが思いを遂げたように見えて…勝手に役者さんつながりで深読みするオタクは死にました…。
死なない場面を目撃されたリリーは彼らのもとを去る。でも、ラッカは、いやノクもエルマーもおそらく、リリーが不死者であることを、気味悪がってはいなかった。なのに避けたのはリリーの方。これまで、どれだけ気味悪がられてきたんだろう、とも思ったけど、違うな。リリー自身が、自分が見た不死者を…ソフィを、気持ち悪いと思ってるから。自分の中に深く巣食っている価値観がそうさせる。
だってここ、ノクは「化け物だ」って言ってしまってますけど、エルマーは「君は…?」って言うだけだし、ラッカは「待って、ママ、行かないで」って言ってるんですよ…。
まあね、手を下していないとはいえ、あのときと全く同じ方法で大量殺人をやってしまってるわけですからね…。イニシアチブ取った、のあと、襲撃の命令を忘れて帰れ、なんならもう誰もエルマーを襲わないよう細工しろ、のような命令を下すのかと思ったら、まさかのですよ。長い時の中で人の死を見すぎたが故なのか、あれが切羽詰まったときに見えるリリーの本性なのか…。
リリーのバッドトリップが、マリーゴールドでソフィが見ていたのと同じ紫蘭・竜胆に責められるものなのは、何かつながりがあるんでしょうか。
血が同じだと意識も共有してしまうのかもしれない。ノクの血がノクの意識をリリーに残したように、ソフィの意識もリリーに影響しているのかも。
ソフィにとって双子は、ただ不老にしただけではなく無理矢理協力させている相手だから、罪悪感も深くて、幻覚で責められるのもわかる。
そしてリリーに対してのこの二人は、双子の、特に紫蘭の、生きたかった、という思いがそうさせている気がします(小説参照)。紫蘭は、たとえ共同幻想の中だとしても、生きたかったでしょうから…。
永遠の孤独の中で泣いてろ、という紫蘭・竜胆のセリフは、かつて自らがソフィに放ったものでしたね…。
あ、そうだ、これだけはどうしても言っておきたい、
末満さん、Patchメンバーでどうしても一笑い取りたかったんですか?(笑)
雨下では、この役を語ってくれるのは誰かしら、で素直に父母役が出てくるのに、日和では、紫蘭・竜胆役に最初、MIOちゃんYAEちゃんじゃなく、中山くん三好くんが名乗りを上げる(笑)ここの一笑い、好きです。
「青い薔薇の教会」
この話が黑世界の中でいちばん好きでした。
許しています、と語る神父がもう、初手から嘘だな、とわかる。それは三好くんの芝居でもそうで、本心を隠してみせているのがわかる。集会か何か?で信者に語りかけてるようなときは、そうでもないんだけど、モスカータが隣にいる状態でリリーに語るときが、すごく、嘘っぽくて、無理してる感じ。そこから後半、感情をむき出しにして吼える神父様が、その芝居が大好きすぎる。この激情を秘めたまま、最初は神父の顔をしている、いや、しようとしているんだな、ってのがわかって。そしてなにより、末満さんが舵を取る世界の中でそんな言葉はまやかしだとすぐにわかりました。
妹を奪われて、許せるわけがない。クランの仲間を殺して、許されるわけがない。
それでもその終わりなき旅路を行かなければならない。赦しなどという終わりはそう簡単には来ない、それをわかった上でなお、歩き続けなければならない。さながら青い薔薇を探すかのように。
この、しんどいのは嫌というほどわかりきってるけどそれでも生きねばならない、というのを言ってくれるのが好きなんです。終わりとか救いとか、そんなのはないけど、でも、それでも辞めちゃいけない、諦めちゃいけない。
しんどくないよ、とか、いらない。しんどいねえ、でも、生きるしかないよ、っていう、そういう励ましが好き。(励ましなのか…?)答えが出たり、楽になったりすることはなく、ただ、続けるしかない、その覚悟をくれる。
「生きてください、罰されるためにではなく、いつか赦されるために」この神父のセリフが好き。
きっと罰の方が楽で、だからモスカータもそれを求めてここに来た。でも旅はそう簡単には終わらない。もしかしたら赦しよりも死の手の方が早いかもしれない。それでもその道を、生きて赦しを待つ地獄を行かなければならない。
神父が神父の職にあってよかったなと思いました。
前半は、本当は罰したいのに、罰を与えないという教義に縛られて実行できなくて引き裂かれているのかな、というようにも見えましたけど、そうじゃなかった。
だって実際に罰を下してしまったら、それこそモスカータやリリーと同じ罪(人数が違い過ぎるんですが!)を背負ってしまうから、苦しんでしまうから。
教義は、神父を縛る鎖なんかじゃなくて、神父を救うため、モスカータと同じ道を行かせないための優しい拘束だったんだなあ、と。
第5話が「二本の鎖」ですけど、神父もまた、二本の鎖に縛られていたような気がします。
赦したい、神はその力を与えてくれているはずだ、という気持ちと、もう1本、まったく相反する、赦せない、赦せるわけがない、という気持ち。
だから、モスカータと笑い合うたびに、罪悪感に引き裂かれそうで。それは赦したいと赦せないの二本の鎖が神父を真反対の方向に引っ張って引き裂こうとするようなものだったのではないでしょうか。
教義の影響もあるでしょうけど、赦したいも赦せないも、どちらも等しく神父様の本心で、だからこそ苦しんでいるように見えました。
あと、いちばん好きだと思ったセリフがこれ。
「彼を赦すのも赦せないのも、罰するのも罰しないのも、私だけに与えられた権利だ」
本当に、これ。吸血種だ人間だって周りの人間はそれだけ見て勝手にくちばしを挟んでくる。でも、この道は、赦しという星へ手を伸ばし続ける道は、神父が一人で行かなければならない。いや、一人じゃないか。モスカータと一緒に、二人で。それを何人たりとも、邪魔してはならない。
最初に「森で怪我をするのも私の権利」って言ってるのも伏線だったんですね。(どうでもいいけど三好くんが罠にはまったって言ってると刀ステの朝尊先生思い出します)
あと、リリーに赦せてないように見えるって言われたときに、「赦せるか赦せないか、決めるのは私だ」って言うのも好きです。そう、誰も他人の思いを決めたり判定したりすることなんてできない。例えそれが、赦す、というポジティブなものであろうとも、他人から与えられるそれには何の意味もない。罪も罰も赦しも、全部自分のものだ。
リリーの罪も、孤独も。もちろんクラウス、ソフィ、それぞれの罪も孤独も。なにも不死者でなくても、それぞれの思いを抱えてみんな生きている。それを、誰とも分かち合うことはできないし、分かったような顔をして首を突っ込むことなど許されない。だって、分かったような顔をする人は、本当に分かっているわけではないのだから。本当に分かり合うことなど、ないのだから。
それぞれの戦いはそれぞれのもの。それぞれが背負わなければならないし、そうすることしかできないもの。聞いてますかソフィ。クラウスを憎むのは勝手だけど、それはあなたが一人で行くしかない道なんですよ。
しかしまあ、よそ者へ厳しい視線を向ける話を、よりによって劇団Patchの中山くん三好くんが出てくる話でやるとは…。しかもこの日和の章、第3話も第5話も似たような、隔離された村とか、隔離された森の中とかが舞台で。あのSPECTERを2回も演じた二人に、さながらネブラ村のような環境の話をこんなにも演じさせるなんて…。やっぱり鬼。
「静かな村の賑やかなふたり」
作家トークで岩井さんが言ってたとおりの受け取り方したけどこれで正解でいいんですよね?「なーんも残んなかったけどめっっっっっっちゃくちゃ面白かった!!!!!」
前話で涙ボロボロ流して、つぶれるんじゃないかってぐらい部屋のクッションを強く抱きしめて、うああああああしんどいよおおおでもそこが好きいいいい、ってなってたところに、急に大爆笑したから、情緒が迷子になりました。こんなんぶっ壊れるわ。
理生さんの声量がほんとにすごい!!!シンプルに笑い転げて聞き惚れました。
2回目では、笑いどころだってわかってたので、よーし笑うぞー!って気持ちで楽しく見れました。リリーのセリフ変わってるところも好き。声量がやべえ→声量がぶちヤバすぎるぜ、になってましたwアドリブ進化してるって言ってたしきっといろいろあるんだろうな!
あと、洗濯物の話な。めっちゃわかる。なんでそこ乾いてないー!ってなるよね…ここ共感しかないですねw
順番前後して「二本の鎖」
いやーーーーーこういうの!!!!見たかった!!!!好き!!!!!
印象的なのが、アントニーが「星を落とす」って言ってたこと。
不死者たちは死という星に「手を伸ばす」けれど、アントニーは、高いところに自分の手が届くとは思っていない。フィロという星を、この手に落とす。
そんな発想をしなかった、しなくてよかった?これまで見てきた手を伸ばす人々は、なんて恵まれていたんだろう。あるいは、なんて高潔だったんだろう。もっとも、死という星は、落とそうなどという発想が浮かばないくらいに遠いのだけれど。
イニシアチブを使わなくても愛し合っているはずの二人は、イニシアチブでより強固に結ばれたのだと、そう信じたい。これはきっと幸せなイニシアチブなのだと。
2回目、終演後生コメントで、中山くんが「SPECTERとつながりもあったりして、え、ない!?(末満さん)」ってくだりがあったけど、アントニーのセリフに、亡霊のように、ってありましたもんね。クランに行かないアントニーとフィロは、スペクター。
「血と記憶」「百年の孤独」
なんで!リリー!ラッカの記憶を奪った!?
ソフィを恨んだのは、永遠の繭期に閉じ込められたこともあったけど、もう一つ、記憶を奪い続けていたこともあってだろう!?
スノウと親友だった、という記憶を奪われていたことを知って、それで怒っていただろう。
なのになぜ!?ラッカから記憶を奪うような真似を!?
永遠をさまよい続けて、記憶を奪われた痛みと怒りなど遠い過去のものになってしまったのか。
自分が覚えきれないほどの出会いと別れを繰り返しているうちに、不老不死でない人間の一生にとっての思い出の重さが、わからなくなってしまっていたのか。
リリーにとって確かに5年は長くはない。でも、普通の人間にとっての5年、ましてや、人生の初めの方にしかない子ども時代の5年ともなれば、それがラッカにとってどれほど大きかっただろう。それがもうリリーにはわからなくなってしまっていたんだね。
誰か大切な人がいたとして、そりゃその人と一緒に生きられればいちばん幸せだろうけど、何もずっと一緒にいなくても、その人と過ごした思い出があれば、それで人は強く生きられる、幸せになれる。
ソフィは4500年経ってもなおあの焼けたクランに舞い戻って昔話をしていた。リリーは?かつてのクランのことを、ソフィのように懐かしんだりは…しないか。ソフィはクラウスに噛まれるまでは、リアルタイムではそうと自覚していなかったけれど、親友との大切な時間をクランで過ごすことができた。でもリリーは、まやかしのクランにいて、しかも親友との記憶は奪われている…。
雨下のときに、リリーはソフィよりいろいろ恵まれていてさらに努力もしたすごい人、っていう感想を持ちましたけど、クランの思い出…自らが依って立つ思い出があるかどうか、という点では、ソフィの方が幸せなのかもしれない。ソフィはクランがいい思い出だからこそ自らもクランを模したわけなので。
うーん、真面目に考察をすると、リリーがソフィとイニシアチブのヒエラルキー上同等になったなら、ソフィに奪われた800年分のクランの記憶を取り戻してはないのかな?過去に下された命令を、さかのぼって撤回することは、さすがに無理か…?
そう、話を戻すと、リリーには、依って立つような大切な思い出がない。だからラッカにもあんなことができたのかな、と。人は思い出で生きられる。強くなれる、ということを知っているのは、リリーではなくソフィなんだな…。なんだか意外ですね。もっともソフィはその思い出に縋りすぎなんだけれど!
ウルという思い出はあれどそれに縋りすぎて狂気に身を落とすソフィと、スノウという思い出に溺れることなく(奪われているから?)気高くあてどなくさまよい続けるリリー。どちらが幸せなんでしょうね…。
ところであのハンターは、正規のハンターではないんですね。ギルトには属してねえ、って言ってましたし、名前もG・A・V・I、ガヴィって歌ってたから、和名を持っていない。ああいうのがのさばってると思うと怖いんですが…え、雨下のライザ?雷山?お前はなんなんー!ってなりました。
リリーのお芝居は全編通してすごいんですけど、自分がいちばん震えたのが、地下水脈を通って流れた血を媒介に再生が始まった、ってときの、身体の遣い方。不気味な生物が、一からその身体を作っていく、その、うねうねとぐにゃぐにゃと、形のない、人間ではない生物のような動き。
こんなことをずっと繰り返しているなんて…っていう残酷さが迫ってくる。爆発させられたあいつもこんな感じだったのかな…(小説版参照)
あと、今さらですけど、血盟議会って女性も入れるんですね。
これまでのシリーズ見てると、血盟議会は男性しか出てきてなかったから、幼いラッカが血盟議会に入る!って言い出したとき、えっ女の子でも入れるの?とか思ってしまいました。デリコ家の当主、みたいな言い回しがあったり、グランギニョルでも貴族の妻は働いてなかったりで、ゴリゴリの封建制&家父長制的価値観が支配する世界なのかと思ってたから、ラッカが血盟議会に入り、ヴラド機関にスカウトされたのが意外だったし、よかったね…!ってなりました。
グランギニョルの時代から時が経って吸血種社会も変わったんでしょうか、あるいは、ただエルマーの娘だったから入れた、という可能性も…女性の政界進出はまず実績のある男性の血縁からというのは歴史上もよくある話なので…
終わりが完全にTRUMP本編と同じで震えました。
たとえこの世が終わろうとも、あいつに死が訪れることはない、
探さなくちゃならない、イニシアチブを握られている、死を望んでもらわなくちゃならない。
でもこれ、マジレスすると、たぶん、ソフィがリリーの死を望んでもダメな気がするんですよ…
ソフィがリリーに対してイニシアチブを発揮しているのは、クランの生活での辻褄合わせの記憶操作であって。リリーを不死にしたのは、ソフィのイニシアチブではなく、ソフィの血。
つまり、今、クラウスの「不死であれ」というイニシアチブが、ソフィの血を介してリリーにも効いている状態、なのでは?
だから、リリーが死ぬためには、ソフィではなく、クラウスに、死を望んでもらわなければならないのでは…?
あれ、もしかして、不死者三人が出会ったとき、クラウスが、この女なんですか邪魔ですね、とかって言って、さっくりリリーを殺してしまうのでは…?クラウスは、ソフィさえいればいいんだから。ソフィが幸せになるとか、ソフィの願いを聞くとかには1ミリも興味ないのは、ウルに何もしてくれなかったことで実証済みですしね…。
最後、ノクまで出てくるのはずるいです。これは救いがある。だからこその涙腺決壊。確かに末満さん基準ではほっこりでしょうね…。
朴さんの演じ分けや理生くんの超絶歌唱をもっと堪能したいので来週また見ます。→見ました。
これも「鎖」でした。
ノクには、ラッカがリリーの思い出という「鎖」に縛られているように見えていた。
でも、その鎖は、ラッカを縛っていたのではなくて、ラッカを形作ってくれていたものだった。
そのことにノクは、ラッカが記憶を奪われ、自らも死んでから気づいたんですね。そのときまでは、その思い出がラッカを苦しめ滅ぼすと思っていたから、ラッカからリリーを遠ざけようとしていたけど、でも、そうじゃなかったんですよね…奪われたラッカを見て、その思い出こそ、ラッカの依って立つものだと気づいたのでしょうね…。
思い出という鎖は、人を「縛る」のではなく、「形作る」ものだなあ、と思いました。だって、何の思い出もなかったら、ただの人形、というか、その人がその人である根拠、のようなものがなくなってしまう。人はそれぞれが積み重ねてきた思い出で出来てるんじゃないかと思います。
でも、リリーにはそれがない。あてどない旅の中で、一つの思い出にこだわるような素振りを、雨下でも日和でも、彼女は一切見せませんでした。
おそらく、楽しかった(※思い出美化補正)クラン、そしてウル、という思い出に縋りついて狂ったソフィを見て、ああはなりたくないと思ったから。でも、何にも縋るものが、彼女を形作るものがないなら、じゃあ、リリーって、何者…?もしかしたらスノウがリリーを支えてくれるのかもしれないけど、でも、自分で殺したから…。
そう、なんか、黑世界のリリーは、何者にもなりたくない、という感じがしました。それは、不死者である自分が、誰かにとっての何者かには、なれない、と自分から諦めているようで。だから、ラッカにママとして望まれたときも、ラッカにとってのママ、という者になってしまうことを恐れ、拒んだ。
一つの思い出にこだわらずに、誰かにとっての何者にもならず、また自分も(チェリー以外の)何者かを欲することもせず、あてどない旅を行くリリー。
なんだか、あのクランにいたころのスノウみたいですね。
一カ所に留まって思い出を作っていく、ではなく、短いスパンであちこちをさまよって、リリーはいろんな人の人生に通り過ぎ、いろんな人がリリーの永遠の時をただ通り過ぎていくだけ。ラッカたちの前から姿を消し、記憶さえも奪う。
どうせ失われるからって、友達との思い出を作ろうとしないスノウ。一つの思い出に縋る狂気を知っているからか、みんな自分よりも先に死ぬからか、ひとところに留まって思い出を作ろうとはしないリリー…。
というかノクとラッカは両想いなわけじゃないですか。
でも、リリーがラッカから奪った記憶には、幼い日に、ひっそりと語り合った恋の話もあって。
だから、互いに打ち明けることなく、兄妹のまま二人は両思いだった、って知っているのは、リリーだけ。
ラッカはリリーだけに恋心を打ち明けたわけでしょう、その、そんな大事な記憶まで奪うなよ…!って、最後のラッカとリリーが歌っているところでいちばん泣きました。
リリーだけとの恋の話、それが大切な思い出だったのに、その思い出が奪われたら、その恋は、誰にも話さなかった恋、ってことになってしまう。
誰かに話したことのある思いと、誰にも打ち明けられなかった思い、それはぜんぜん違う。誰かに話せた、というその思い出が、どれだけ大きいか…。
誰かに知ってもらえた思い、って、すごくすごく大切だと思うんですよ。
青い薔薇の教会のところで、わかりあうことなんてない、わかちあうことなんてできない、って書きましたけど、それは、本心から同じ思いを抱くことはない、って話であって。
こうしてラッカがリリーに打ち明けたように、誰かにその思いの存在を知ってもらうことはできる。
誰にも知られることのなかった思いと、誰かに知ってもらえた思い、それはぜんぜん違うと思うんですよ。誰にもカミングアウトできないのと、誰かにカミングアウトできたのでは、ぜんぜん違う。(そういう意味ではアントニーもフィロもリリーに言えてよかったね…)
だから、リリーに言えた、知ってもらえた、という思い出は、きっとすごく強くラッカを支えていたはずだと思うんです。なんでそれを奪ったんだよ…!返してくれたけど!!!ほんとに間に合ってよかったよおおおお……。
もしかしたらですけど、リリーがラッカの記憶を奪ったことで、ラッカの中のノクへの恋心が、なくなったor小さくなったのかな、とも思いました。
老いたラッカがこれまでの人生を語るときに、ノクが好きだったとか言わずに、故郷に戻ってきて結婚した、って言っているんですよね。
だから、もしかしたら、ノクへの恋心をリリーに話した、という思い出が奪われたから、その恋心そのものも奪われてしまったんじゃないかと思って…。
だから!!そんな大事なことを!!奪わないで!!って話で。
ラッカにとってのリリーは、ママ、ってだけじゃなくて、秘密を打ち明けることのできた唯一の人、だったわけですよ。その人が記憶から消えたら、それはそれは大きな穴になってしまうよ…。
ああまとまらない。でも最後は救いがあってよかったです、ほんとに。
少女純潔の歌で見送られたリリーは、ノクが祈ってくれたように、散ることはできるのでしょうかね…。