「マリオネットホテル」観劇
ネタバレあり
今作だけでなく過去シリーズ作全てのネタバレあり
劇場を出るとき、おそらくシリーズ作品未履修と思われる方が「めっちゃよかった~~~!!幸せじゃーん!!!」とはしゃいでいるのを、その方を連れてきたであろうお連れさん始め、皆が温かい目で見守っている謎空間が生まれた。そうか、初見だとそう見えるのね。こっちはもう悲劇のあまりの丁寧さに恐れおののいているというのに。
ジョーがフリーダなのは、エゴが「お姉さま”たち”」と言わず単に「お姉さま」と言うからすぐわかったけど。
繭期の予知夢。それは、小さな命が夫妻の運命と交錯したところで途切れる。あの言い方、フリーダ自身もわかっているような、いないようなだったけど、まず、二人の間の子ではないかもしれないこと。そして、そこで夢は途切れ、寂しい気持ちになること。
もしかしてグランギニョルでのフリーダは、ダリがお腹の大きいスーを引き取った時点で、すべての運命を悟ったのではないだろうか。夢に出てきた小さな命はこれだ、って。だって、動揺こそすれ、嫉妬するような素振りはなかった気がする…。むしろ、使用人たちの騒ぎをよそに、堂々と受け入れていた。いつかこうなると予期していたからこそ。
その子は希望なの、とも話していたから、あの惨劇の中で、どんどん答え合わせされていくような気持ちだったのかな。この時点ではスーの故郷の言葉は知らないだろうし。
さらに、新聞記者ジャック・ブレアを噛んだこと。いくらなんでもやりすぎとも思えたけど、もしこれが、自分の死期が近いことを悟ってのことだったら。これ以上新しい命令をすることはないし、噛んだ方が死んでも効果は保たれることはこのホテルでの出来事で知っているから…。
何年も前の舞台にすでに答えが仕込まれてるって、末満氏の頭の中どうなってるんだ。どこまで完成してるんだ。
そしてまた、音楽。この夢を「呪い」と語るとき、流れるのは「愛という呪い」…。
音楽といえばやっぱり、プロポーズ版ライネス。おそらく先述の初見の方がいちばん盛り上がってたであろうシーンで、我々はライネスのアレンジであることに気づき絶望するという。
死屍累々のときのサビが激しいライネスじゃなくて、あれ新しいアレンジでしたよね。なんかうまいことめでたい曲みたいにしてたけどオタクは気づくやつ。
そしてラストシーン、エゴの独白では、「回旋するトラジェディ」。グランギニョルのオープニングとも言える曲。そう、これはグランギニョルに向けて仕組まれた助走だから…。
あと「今宵は黒き夜」をまさかこんな形で生で聴けるとは!!!すごい迫力だった…。
古い歌、クランで習った、ということは、もともとは吸血種社会の歌が、原初信仰とともに人間たちにも広まっていって、黒薔薇館でも歌われるようになったのかな。
そして、クランで習うような歌なら、もしかしてTRUMP本編・LILIUMでソフィが「少し踊ろうか」って言うのもこの曲なのか…!?同じ3拍子のワルツだし。
あとはマーガレット姫の舞踏会でもこの曲が使われるのだろうか、というのはフランチェスカちゃんと同一キャストがゆえの妄想。いやほんとに一瞬マーガレット入ってたよね?(笑)
序盤でわかりやすいほどに「俺は他人を噛まない」を強調してくるのも…。つまりグランギニョルのラストは、ダリがその禁忌を破るほどのことだった、ということ。
考えてみれば、クロードもダリも、「子のためならば自らが対峙してきた禁忌を犯す」という全く同じことをしているんですね。
クロードは異端審問官として長年、原初信仰と戦ってきたのに、最期に望んだのは、原初信仰者たちの方法でTRUMPを子の前に呼び出すこと。
そしてダリもまた、自らのポリシーとも言える、不殺ならぬ不噛の誓いを破った。ウルへの希望を込めて。
まあただ自分は、この重複イニシアチブ(ウルは父ウルとダリの2人に噛まれている)のせいで、ウルの繭期がひどくなった説、を提唱しているのでなんとも言えないんですが。
最初劇場ロビーに到着して、グッズの意味がわかんなかったんだけど、観ていくうちにわかってくるという。8つつなげると円になりますってそういうことかい。いやでもシャルロッテをグッズにした意味はわかんないな???公式HPの小説読んじゃうと余計に???
原初信仰者のやってることって、ダンピールの心臓を捧げるとか(SPECTER)、ちょっとオカルトじみてるし実効性ないんだろうな…ネブラ村にクラウスが現れたのも、ハリエットとクラナッハの関係があったからで、別にローザの儀式に意味があったわけじゃないだろうし…と思ってたけど、マジでガチの降霊術的なやつが、まさか実現可能だとは。憑依してる間だけ不老不死って、そんなことできるのか…。
モネが…切なかった…
きっと、慕ったクロードが、任務の必要性以外でその身に触れてくれたのは、あのときが最初で最後だったんだろうな、となんとなく思った。あれは紛れもなく、たった一度の、愛の儀式だったのだろうな、と。こういう、婉曲的にだけど確かに性愛を感じる描写、好き。
そして文字通り、「自分の中で生きている」「ずっと一緒にいる」時間を過ごせたわけで。もちろん、人格の入れ替わりだから、一緒にいるという実感は得られてないかもしれないけど、モネにとってはきっとこの上なく幸せな時間だったはず。
我儘なほどに自分を投げ出し捧げること、が愛だなと常々思っていて、モネはそれを承諾して受け入れてもらえたんだもん、きっと幸せだったに違いない。
そして協力者の集め方も優秀っていうね。
ムンクの本職は医者って聞いて納得。エゴが放置されてるときすぐ気を失ってるだけですとか言ってたもんな。あの従業員たちは部下とか弟子とかなのか…?
あと情報屋黒猫、これも皮肉なものだ。ダミアンはイニシアチブにより人格を継承している集団だけど、黒猫たちもまた、同じ生業によって同じ名で呼ばれる集合体なわけで。イニシアチブこそ使っていないけど。グランギニョルでも黒猫がダミアンに殺されてたし、やっぱり対比になってるのかな。禁忌を犯さなくとも役割の擬似的継承は可能なのに、ダミアンはわざわざイニシアチブを用いているあたりが、ってことで。
これを踏まえて星ひとつを見返したいけど怖いな。だってダリは、母と息子をTRUMPに燃やされたことになる。息子の分も追加で殴ったほうがいいよ…。あのあとどんな心境でソフィを匿うんだろう(過去作年表より)…。
星ひとつでのクラウスとの邂逅は、「エゴの身体を通じて会ったことはあるが、顔を見るのは初めて」って状態なのか…。
HPに公開された短編小説を読んで、最後の違和感も解決した。エゴ、オネエ入ってるのか?と思ったけど、そういうことか…。「あたしの」ファム・ファタール、って言ってるときはエマの人格なのか。
ラストシーン、エゴ自身を一人称でなく「エゴ」と呼ぶ人格が2つ以上あった気がして、エゴとダミアン2人だけでは説明がつかなかったけど、やっぱり計4つの人格があるということ。
出てくるなシャルロッテ、というのも。シャルロッテもまた、美しい死に魅入られてしまっている一つの人格であって、4人のうちまともなのはエゴ本人だけ、あとダミアン、エマ、シャルロッテはみんなやばいやつなのか…。エゴ頑張れ、強く生きてくれ。ただしお前の予知夢は現実だがな…。
エゴの予知夢を他の人格もわかってるってことは、4つの人格は完全に切り分けられずに、特異な形で混ざり合ってるってことなのね…。
舞台上で末満氏がリアルタイム演出つけてるのめっちゃ面白かった。「1回休憩する?」とか「もう1回!」とか。これ日替わり要素なのかな。
そして我々も末満氏の演出指導を直接受けてきました(笑)ダリちゃんコール、声が小さいとのご指摘で(笑)楽しかったなあ。やっぱり満席の劇場で共有する空気感はいいものです。