舞台「漆黒天-始の語り-」感想&考察

映画の感想をFilmarks、舞台の感想をふせったーに書いていたのですが、一か所にまとめておきたくなったのでnoteに転記しておこうと思い立ちました。
いずれも初出は別のサイトですが一部推敲しています。



漆黒天、舞台まで見ての結論は、
映画の名無しが元をたどれば陽之介じゃないかというのはなんとなく感じ取れたけど、それでも最終対決の勝敗は確定しない!
ですね…。
あらやんがインタビューで語ってくれたとおり「見る人のコンディションによって結末が変わる」ですわ…。

・陽之介と旭太郎はもともと、互いの感覚や記憶を共有していた。
もうこれさあ…末満さんのこれはもう、紫蘭と竜胆(TRUMPシリーズ)じゃん…玖良間様のお話にもあった、片方に焼きごてを当てるともう片方も痛がり水ぶくれができる、って…双子の感覚共有という、イレギュラー。末満さんよっぽどキルバーン(紫蘭と竜胆が前にいた疑似クラン?の話)をやりたいんでしょうねwこっちもずっと見たいと思ってますけど!!!
映画の時点では、「旭太郎が陽之介に成り代われたのだから、陽之介にも旭太郎に成り代わるポテンシャルがあり、それがあの玄馬先生の前での独白」って思ってたんだけど、なんかもうそういう次元じゃない…。双子という呪いが初めから二人にはあった。私が旭太郎ならそうする、と語るのなんてたやすいことだったわけです。
あと映画で名無しは、旭太郎として富士たちを殺す直前の記憶も、陽之介として富士を抱き起こす記憶もどっちも思い出していたように見えたけど、そう、もともと二人の記憶が共有されていたなら、これだけではどっちなのか区別つかないんですよ…二人とも二人分の記憶を持っているわけだから…

さらに、二人の境界線が初めから曖昧なものだった、と感じた出来事をひとつ。
物販でランダムステージブロマイドを買ったんですが、シチュエーションからして確実に陽之介なのに、あらやんの表情がどっからどう見ても旭太郎にしか見えない1枚があって…。
木刀を構えて蔵近と対峙しているので、確実に序盤のほのぼの稽古シーンだとは思うんだけど…型から見るにおそらく蔵近が参ったと言う直前。その写真のあらやん、すっごい悪い顔っていうか、怖い顔、追い詰めたぞっていう、それも覇気のある真剣な感じの追い詰めたぞ!じゃなくて、伽羅や蒿雀の殺し方みたいな、追い詰めたぞさあこれからどういたぶってやろうかな、みたいな笑みを浮かべてる……そう、笑ってるんですよ、あの妖しい笑みを見せてるんですよ…もう、こんな序盤から、二人の意識は混ざり合っていたのかもしれない…陽之介として木刀を振るいながらも、ふとした瞬間に旭太郎の夢に引きずられて、旭太郎の持つ残虐性がにじみ出ていたのかも…。

・完璧だったはずの討伐計画が洩れたのは、旭太郎が陽之介の経験を夢で見たから。
これ、こんな想定外の出来事がなければ計画が洩れるはずはなかったってことで、玖良間様のすごさを表してもいると思うんですけど…こんなん誰が予想したか…。

・陽之介→旭太郎→名無し
この混濁を生んだのは間違いなく、富士の「どうしてこんなことを」「あなたを愛していました」のところと、伽羅の「ありがとう」のくだり…。
陽之介は妻子を殺されて旭太郎を恨んでいたはずなのに、富士が「自分に殺されたと思っている」というのに引っ張られてしまったのか。妻子を奪われた、という意識に耐えられなくて、それならばいっそ、自分の手で殺した、と思う方が楽だったのかもしれない。富士もそう思っているわけだし。ショックが大きすぎて、それは自分の意識を書き換えなければ耐えられないほどで。一方的な被害者でいるのではなく、自分が望んでしたことだ、と認識を捻じ曲げることが、陽之介なりの心を守るための方法だったのかもしれない。
そして伽羅との邂逅。最期に伽羅が、自分を斬った陽之介に向かって、お前旭太郎だよな、俺を生かしてくれてありがとう、と言う。陽之介としてのショックを受け止めきれずにいて、自分自身でも夢と現実の区別がつかないような不安定な状態で、あんなに確信もって旭太郎だよな、と呼ばれれば、ぎりぎりまで追い詰められていた狂気は、最後の一線をたやすく越えてしまうだろう。
ここでの陽之介は言うなれば、旭太郎の家族とも言える日陰党の一員を殺してしまったわけで。陽之介は旭太郎に家族を奪われたのに、陽之介自身もまた、旭太郎から家族を奪ってしまった。自分が耐えられなかった仕打ちを旭太郎にしてしまった、ではあまりにひどすぎる。だから、そうではない人生の方に逃げ込むしかなかった、のかな。
そして、自分は旭太郎だ、日陰党は壊滅した、討伐隊から逃げ延びなければ、と思って江戸から離れたはいいものの、途中で記憶を失い、映画の名無しになってしまったんだな…。

だからやっぱり、最後の最後に喜多が名無しを殺すの躊躇ったのでは、っていう映画の考察、合ってたかもしれない。だって名無しはもともと陽之介なんだよ…それにあの瞬間気づいたんだよ…。しかも玄馬先生に「命までは取らない」とか言うの、もう完全に陽之介じゃん…。玖良間様や兄弟たちは最後まで名無しを旭太郎だと思ってたけど…。
名無しになる前に崖から身を投げるシーンがあったけど、このときはどういう意識だったんだろう。自分は本当は陽之介であること、全ての真実を思い出して絶望から身を投げたのか、旭太郎の意識のままで、旭太郎なりの仲間が殺されたことへの絶望があってのことなのか…?

・旭太郎→陽之介→映画の討伐隊??
もう一つの人生を夢見た旭太郎もまた、仲間を壊滅させられたことで、陽之介の人生へと自分を切り替えることで、喪失から逃れようとしたのかな…。もともと日の当たる場所を夢想していたというのもあるけれど、成り代わりが一度成功して妻子を騙せたこと、仲間を喪ったことで、こちらも狂気の一線を越えてしまい、自分が最初から陽之介だと思い込んでしまったのかもしれない。たぶんあのあと、陽之介!無事だったか!ってなり、しれっと討伐隊の活動を続けてたんでしょう…?
自分は旭太郎のはずなのに、「旭太郎!お前を許さない!」って叫ぶところの倒錯的な感じが怖いくらい迫力あった。陽之介の人生を羨み、それに成り代わることが実現できてしまった結果、妻子を喪った陽之介の悲しみまでも自分のものとして感じてしまって。だからそれをやったのは「自分=陽之介」ではなく、「あいつ=旭太郎」だ、って思うことにしたんだろう…。

それぞれが自分の意識を捨てて入れ替わるときに、それぞれの大事な人を斬る演出、すごくぞくぞくした…。陽之介にとってそれが富士であるのは疑いようもないけど、旭太郎にとっての仲間もまた、それと同じくらい大切で、しかも仲間(幻影だけど)もまた富士と同じく、旭太郎が変わってしまうことを理解してくれているのが…悪事の限りを尽くしてきた日陰者だけど、だからこそ、歪ながらも支え合ってたんだなってのがわかって…。

・結局同じ人間、でもわかりあえない
この!!!この末満節が好きだ!!!
人はいろんな理由で人を殺す。でも殺すのも殺されるのも、またどんな理由で殺そうとも、それをするのは全て同じ人間。
で、ここで「だからわかりあえる」って持っていかないところが好きなんですよ!!!
むしろ、同じ人間で、同じ殺意、同じ生への執着を持っているからこそ、それはただ互いにぶつかり合うしかないわけで。例えるなら磁石の同じ極のような。同じだからこそ、それが相容れないことがわかる。蒿雀には蒿雀の、兄弟には兄弟の、生きたい理由と殺す理由がある。それは同じ人間の持つものだけど、だからこそ決して共存はできないんだ、と。ここがほんとに好き…
オープニングで殺されてたのがおそらく一郎太にいちゃんですよね…。その命乞いを蒿雀にリフレインさせるという。

そして、弟にあんなにかっこよく人を斬る覚悟を説いた二郎太なのに、復讐を果たして虚しいっていうのもまた好き…。これもまた、一郎太を斬ったのを覚えていない蒿雀と伽羅と同じ、なんですよね…斬ってもただ虚しいだけ、いちいち覚えているものでもない。
それでも兄弟は、その虚しい復讐の道を、映画でも突き進んでるんですね…。あんな芝居を打ってまで、名無し=旭太郎(と思い込んでいる)を殺そうとして。喜多ちゃんにいいとこ見せるため、だけではないでしょう。虚しいとわかっているけどそれでもやらねばならない、富士さんたちの敵を、と思っているんだろうなあ…。

さらに、結局同じ人間といえば、陽之介も旭太郎も、全く正反対ながらも、「自分の信念を持って自分の生き方を貫く」という点では同じだったんですよね…。自分を信じている、いや信じていたいからこそ、全く違う人生を見せてくる夢を二人とも恐れていた。そして夢が夢ではなく現実にあると知ったあの邂逅の瞬間から、二人は自分の貫く生き方だけが正しいなんてとても思えなくなって、より自分と相手の境界線を見失っていくんだ…。
そして、妻子を「奪われた」ことに耐えられなくなった陽之介は旭太郎に、逆に「奪った」ことに耐えられなくなった旭太郎は陽之介に…。なんと因果な陰陽、人間の裏表…。

・嘉田蔵近…!
お前、お前の好きはそういうやつだったんか!!!
同族とも言える千蛇にはともかく、二郎太に見抜かれたのは、やっぱり彼は「人を見る目がある」人だったんだなあ。なおその目をもってしても陽之介と旭太郎を見分けることはできないわけだけど…。
ここでも、結局同じ人間の表と裏。同じ在り方に生まれて、剣の腕を磨いているところまで同じで、でも方や自分の本心を押し隠しながらも日向を生きていこうとする道場主、方や自分の心の赴くままに日陰を生きているけどそれさえも嫌になっている陰間。生まれた場所や家がちょっと違っただけで、きっとこの二人も容易に入れ替わってしまうような人生の表裏なのだろうな…。
そして実は、蔵近は千蛇のことをちょっとうらやましいと思ってたんだと思う。旭太郎が陽之介をうらやんだのと同じく(いや逆にと言うべきか?)、自分の在り方に正直な千蛇にちょっと嫉妬してたんじゃないか。だからあれは、好みじゃないのに好かれてうっとうしいというよりは、同族嫌悪と妬みが入り混じった感情…。


ここからはキャストについて。
加藤大悟くんに千蛇!!!よくこの役を当てたな!!!日陰党の中でいちばん背が高くてがっしりしてるのに、それであのキャラ、あのなよっと見せる動き!!高い声出しても地のポテンシャルがすごいからひっくり返らずしっかり通るし…刀ミュのまんばもすごかったけど、この役を見て改めて、本人が持つ可能性の高さと幅を思い知った。
そして最後に蔵近と戦うとき、めっちゃ際どい体勢になってて…狙ってるでしょあれ真昼から…それもいやらしくなりすぎずにあくまで千蛇の複雑な、嬉しいけど、いや嬉しいからこそ?このまま死にたい、みたいなのを表現してて…。
自分が観に行った日、最初の蔵近とのマッチアップで、刀を落としちゃったんですよね。でもそれを拾う動きがあまりにしなやかで自然すぎて、押されて一度刀を取り落とすけどすぐ反撃する、っていう手にしか見えなかった…全く動揺してなかった…

寛也さんってめちゃくちゃかっこよくてめっちゃイケボだったんだね←今更。ムビステの前2作とかスーパー戦隊親善大使とか、コミカルないじられキャラの面ばかり最近見てたから、そういえばこの人…ヒーローだったわ…ってなった。周りが高い声のキャラクターが多い中で、渋くて深くてどっしりしてる声がすごくよかった…

そういえば話脱線しますけど、日陰党は「江戸じゅうの侠客を潰して回ってる」って話だったじゃないですか?てことは、死神遣いの事件帖に出てきた鬼八一家も…!?と思い出してちょっと悲しくなった。向こうにも寛也さんいるんだよなあ、とか思いながら。もちろん同じ世界の話ではないけれど、ああいう義侠の心で動く侠客もいたはずなのに、日陰党はそれすらも潰しててっぺん取りにいったんですね…容赦ないな…。

話を戻して。ヒーローの声、といえばずっきーさんやっぱり圧倒的だったなあ…真田信繁のときも、出てくるだけでステージの空気が変わるような感じだったけどまさにそんな感じ。
ファンタジー時代劇だけどずっきーさんの声、あと小澤くんの所作、それに藤子ちゃんの佇まいはガチの時代劇のそれだった。小澤くんほんとに動きがキビキビしてて、アスリート!って印象があるんだよな…

会場に映画の半券持っていくとポスターもらえるの忘れててなんてこった!!!ってなったけど、代わりに円盤の予約でA4ビジュアルシートもらえたのでよしとします。
円盤届くまで待ちきれない…TTFCで配信とかしてくれたら映画と舞台を一気見してみたいと思います!また感想が変わったり…するかも?

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