リュウソウジャーを振り返って

長らく下書きに眠っていた記事が出てきたので引っ張り出してきました。
放送が終わってしばらく経ちますが、まあ、キラメイジャーも今日から新規エピソードは中断ですし、
見つけたときがそのとき、ってことで、投稿したいと思います。

全体的には…前年のルパパト、さらにその前のキュウレンが大好きすぎることもあり、あんまり、好きにはなれなかった戦隊だったんですよね…。
ただそこで、好きじゃなかった、で終わるのではなく、どこが納得いかなかったのかをきちんと書きたいと思ってしまうのが、物書きの性というもの。
特に、単に自分の好みに合わなかったっていうだけじゃなくて、
今の時代にこの表現はどうなの?とか、そういう、ポリティカルコレクトネス的な感じのことも、好きになれなかった一因なので、
そういうところも、きちんと書いていきたいと思います。


好きなところ

まずはここから。好きなところがゼロなわけじゃないんですよ(この書き方からしてお察しである)。

とにかくナダがアツい!かっこいい!好き!
そもそも演者の長田さんが元から好きってのもある。
あの、力こそパワー、みたいな作中の価値観…リュウソウ倫理観だなんて放送中はよく揶揄されたりもしてましたけど、そんな戦闘民族リュウソウジャーにあって(戦闘民族ってほんとはドルイドンの名称なんですよね…笑)、力を認められなかった人間の行きつく先、を描いてくれたところが本当に好きで。
だって、何かの価値観を是とするなら、じゃあそこに入れなかった人は?っていうところまで描かないと、なんていうか、独善的というか、片手落ちな感じがしませんか。
そしてこのガイソーグの存在が、争いに走ったリュウソウ族の愚かさを象徴するものなんですよね…

それだけに、ナダはレギュラー化するものだとばかり信じていて、
あの結末をたどったときはショックでもう見るのやめようかと何度思ったか…
同僚のお子さんは「あの武器(マックスリュウソウチェンジャー)がそのうちナダに復活するんだ!」と言ってたそうで…お姉さんもその展開見たかったよ…

あとは結末、というか、地球を作り直そうとするエラスに対しての反論も良かった。
あれですよね、ジオウ劇場版Over Quartzerの平成リセットにも似てるけど、またちょっと違う切り返し。
あちらは、凸凹でバラバラすぎるから美しく平らにならしてやろう、っていうクォーツァーに対して、ならされてたまるか!っていう、個性賛歌であったり、瞬間だったわけですが、
こちらでは、争うなんて愚かだから全部消す、というエラスに対して、愚かだからこそ学ぶ=伸びしろがある、といったニュアンスなのが好きでしたね。失敗しても、変わればいい。
理想の夢の中に眠り続けるのではなく、失敗もするだろうけど、それでも、まだ見ぬ可能性の方に生きたいから。
過去ではなく未来を見る。…あれ?なんだかジオウと似た話になってきちゃったな…(笑)

アスナの描き方に納得いかない

はいここから怒涛の怒りパートいきます。

まず変則2戦隊のあとに、「王道回帰」を掲げた結果が女子1人編成かよ!ってところからそもそも納得いってないんですけども。もうすでにそこで本編見る前から、はああ?ってなってたので、ずっと穿った見方をしてしまってたことは否めません。
キョウリュウジャーのときも女子1人で、このときも確か、変則のゴーバスターズの後で、王道回帰とかなんとか言ってたような…獣電竜に勝った強さを出すため女性は少なく、でしたっけ?どこかのスタッフインタビューで見たこの言葉があまりに激おこ案件すぎて、キョウリュウジャー見てないんですよね。
それでも、キョウリュウジャーは、追加戦士で女性が2人出ましたからね。ところがリュウソウジャーは、ういとかオトとか、女性キャラクターはいたけど、追加戦士は来なかった…。
まさか女子1人戦隊で平成から令和への年号またぎをするとは思いませんでしたよ。
終盤、オトちゃんがロボ戦で生身で活躍するところがありましたけど、めっちゃいい!って思った反面、これで許してもらえると思うなよ、って思ってました(どこ目線?)

劇中、例えば上記のエラスへの切り返しもそうですけど、やたらとアスナがかっこよく描かれるのは、
女子1人にした罪滅ぼしのつもりなのかな、1人だから目立たせようとしてるのかな、っていうふうに見えちゃって、
素直にかっこいい!って思えなかったんですよね…。
後半にかけて、重要なところで重要なセリフを言ったり、主にメンバーを鼓舞する役割を担ってきましたけど、
前半にいろいろありすぎてもうその時点で制作陣を信用できなくなってたので…
前半は主に、アスナが強いことをネタにして笑う、揶揄するような描写が多くて、
その積み重ねを生かしての、後半の「強くてかっこいいアスナ」像だったわけですが、
いやそんなところできれいに描写の積み重ねしなくていいわ。

前半のアスナに関するもろもろのブチ切れ案件については、
旧ブログに書きなぐったものがあったので、
ご興味のある方は読んでくださると嬉しいです。

いやしかし、なんで女の子が強いと、かっこいい!じゃなくて、強い女子(笑)になってしまうんだろうか。
戦士なんだから強くていいじゃん…強い女子を笑うのはつまり、女子は可愛くおとなしくあれ、っていう呪いから来てるわけですよね。いったいどこの誰に、おとなしくない、自分の力で戦う女子を笑う権利があるというのだろう。
ジオウのツクヨミも、そういう感じちょっとありましたよね。武闘派ヒロイン(笑)みたいな。レジスタンスの一員だったんだから武闘派で何が悪いんだろうか。最終的にれっきとした戦士になったのでよかったですが。あれだけライダーと行動を共にしてるんだから、一緒に戦わないのおかしいですもん。
そして現行の唯阿はというと、初めからライダーだからか、そういう、強いことを揶揄する感じはないんだけど、今度は公式が全然活躍させてくれないという…

まあ、アスナの描き方の何が醜悪かって、
Twitterとかで視聴者が勝手に、半ば称えるようなニュアンスも込めて「武闘派」とかって言ってたツクヨミとかとは違って、
制作陣のアウトな価値観がだだ漏れになってるところですね…
視聴者じゃなくて、制作陣が、アスナをおもちゃにして、笑いを取ろうとしてたんですよね。それ、全然面白くないから…

アスナ自体はすごく魅力的なキャラクターなんですよ。
特に後半の活躍を受けて、Twitterでは「最強ヒロイン」なんて言われてましたけども。
でもね、彼女を取り巻く男子たちに、なんでそんな言動をさせる????っていう案件が多発しすぎて、つまりそれは、制作陣が、それで問題ないと、笑いが取れると思ってやってるんですか?ってことで。

前半の話は旧ブログ(再掲)に譲るとしますが、旧ブログに書いてないことが1点。
シアターGロッソのCMについて。
みんなが続々とGロッソに向かうってシーンで、アスナは外でおやつ食べてるんですけど、コウだっけメルトだっけ、誰かが、「置いてくぞ」みたいなことを言うんですよね。
それでアスナが「待って~」って追いかけていく。
…意味わからなくないですか?なんで「ほら行くよ!」じゃダメなのか全くわからない。

そう、アスナをおもちゃにしてるってさっき書きましたけど、
女の子だからとか以前に、同じ仲間としてちゃんと扱ってくれてないんですよね。同じ人間…じゃなかった、同じリュウソウ族としての尊厳がないがしろにされてる。
まあこれ、女子とか以前に同じ仲間としての扱いを!って話から、同格に扱われないのは女だからなのか?って考え出すと、話が堂々巡りしちゃうんですけどね。

アスナがおやつに夢中になるのはいいよ。そういうキャラだよ。
でもなんでそこで、仲間として当たり前の思いやりを発揮できないんだろう。
アスナが女子だから軽んじられてるのか、そもそも思いやりに欠けてるのか。まあどっちにしても、おこ案件なのは確かです。
ちょっときつい言葉使いますけど、こういうところがあるから、脳筋とか蛮族とか言われるんですよ…


おっと前置きと脱線が長くなってしまっていた。
ここで書きたいのは、ラストに納得いってない、って話です。

最後、戦いを終えたリュウソウジャーのメンバーは、それぞれ旅立ちますよね。
それはエラスが見せた夢が伏線になっている人もいれば、そうでない人もいたり…

また脱線しますけど、なんでトワが広い世界を見るための旅立ちなんでしょうね。
当初はそれ、コウのやりたいこととして描かれてませんでしたっけ?
もちろんトワにその気持ちがあることは不自然ではないにせよ、トワが広い世界を見たいと思ってる、っていう描写、ありましたっけ?
エラスが見せた夢で、急に世界旅行のポスター見始めたからびっくりしちゃいましたよ。
全然、そこに至るまでの経緯、積み重ねがないもんだから…

さて戻ります。このようにトワの場合は、エラスの夢がまさしく、今やりたいことを示していたわけですね。
じゃあアスナはどうだったかというと、ラーメン屋らしきところで、大盛りメニュー完食!よっしゃあ!って喜んでました。
それをきっかけに、夢の中じゃおなかは膨れない、一緒に喜び合う仲間も夢の中にはいなかった、って、ここはすごくいいこと言ってたなあ…

まあアスナ食べるの大好きだしな、龍井家に来てからはポテチとか食べまくってたし、人間界の食べ物は物珍しいだろうし、
戦いが終わったらそれこそ世界一周グルメ旅かな、なんて思ってたんですが。

学校ってなんやねん。

テレビの前で叫びましたよ、朝10時に。
結局、女の子には、ケア的な役割をさせるのか!!!!って。

ケア的な役割ってのは、主に妻だとか母だとかが担わされてる、家事、育児、介護、など、人の面倒を見る仕事のことです。
こういう仕事は、往々にして女性に任されがちで、かつ軽視されがち、ってのが、フェミニズムが掲げる一つの論点でして。

学校ってなんやねん(2回目)。
学校ってつまり、子どもの面倒を見るってことですよね。
およそアスナには、そういうことをやってみたいという意志も、また残念ながら適性のようなものも見受けられなかったんだけど、
なんで学校にしたのかな???

それを考えるために、現代日本で言われている女性への呪いの言葉を見てみましょうか。
「家事育児は女がするもの」
「女には家で食事を用意して家族の帰りを待っててほしい」
「子供の面倒くらい女なら誰でもみられる」
まだまだこれらの呪いは現役です。

さてアスナに戻ると。
アスナが開いたのは学校ですが、アスナ自身は教壇には立っていない様子でした。
つまり、教えるという機能を切り離せば、アスナの役割は「子どもたちの面倒を見る」なんですよ。
まさに「女がするもの」とされた仕事を担わされている。

加えて、「みんなが帰ってくる場所を作りたい」ともアスナは言っていた。
つまりそれは、母親的な役割までも、アスナに背負わせているわけです。

…アスナって、そんなキャラだったか?

エラスが見せた夢が伏線なら、アスナの新しい道として、村に人間界のおいしいものを紹介する!とかならわかる。子供相手に限らず村人みんなに。
あるいはシンプルに、村の子どもたちに料理を振る舞うとか。学校給食的な感じ。料理の腕が壊滅的だとこれは無理だけど…
でも、もし今料理ができなくても、それこそ、今から学べばいい!エラスにも、人間は愚かだけど、だからこそ学んで生きていく、って啖呵切ったんだから。

それか、一応女の子同士ってことで、ういとの友情が描かれるなら、人間界との架け橋、でもいいだろうし…
そうだ、アスナが料理できなくても、ういを連れてきて作ってもらうとかでもありじゃん。豆乳とか村に絶対なさそうだよ!?持ってきてもらったらかなりバズるのでは?←

あとマスターたちいなくなっちゃったから、普通に戦闘訓練担当でもいい気がする。
まあそのためには、そもそもアスナ自身が、自分の強さを堂々と誇ってくれないといけないんだけど…女子なのに怪力なのを気にしてる、っていう前時代的設定からいい加減自由になってほしい…自分が強いことを前向きに受け入れて、その強さを伝えてほしい…。

なんて、こんな素人でも、アスナの行く先は、いくらでも考えつくのに。
学校、があまりにも唐突すぎて、ちょっとよくわかんない…

同じく学校、というか教師を目指したハミィちゃんとは全然違いますよね。ハミィはちゃんと、幼い頃は引っ込み思案だった、でも修行して変われた、さらにキュウレンのみんなが強くしてくれた、っていうのがあったからね!?だから先生になりたいって言い出したのも至極納得いった。

アスナに何か、例えば子どもとのエピソードとか、そういう、布石になるようなもの、ありましたっけ…?
さっきのトワの話の繰り返しですけど、積み重ねが本当に甘いんですよね…あのときのこれがあるから今がこう、っていうのがなく、ただ単発でポンポンと出てくるというか。

あと、蛇足ですが、アスナの高貴な生まれ設定はどこいったんでしょうね?
ジュウオウジャーのタスクは、ラストワンカットで、高貴な生まれ設定をきれいに回収していったんですよね…!あれは作劇としても上手いし、キャラクターもかっこよかった。「父上、お話があります」人間界に対して閉じたジューランドに物申すタスク。よかったなあ…。


カナロの婚活

まあこれもね、旧ブログ(再々掲)に書いたこととかなり被るのですが、最終回まで見ての評価ということで、改めて。
この旧ブログを書いた時点ではまだカナロが本編に登場してなくて、婚活キャラという情報だけがあったんですよね。
そのときには、不安はたくさんあるけど見てみよう、って感じだったのですが、
結論としては、不安は見事的中した、といったところでしょうかね…

カナロは結局、子孫を残すためには結婚!だなんて、もう何重にも時代遅れな思想から、最後まで抜け出さないままだった。
いやね、令和の幕開けを彩る戦隊だから、ストーリーが進むにつれて、結婚と子供ってセットじゃないのでは?とか、もはや無理して血のつながった子孫を残さなくてもいいのでは?とか、旧時代の呪いを解いて、新時代の着地点に行ってくれないかな、なんて期待してたんですよ。

家族の形は父母子に限らないし、子どもを持つ持たないは個人の自由。血がつながっていようがつながってなかろうが、家族は家族。
子ども向け番組だからこそ、そういう新時代のメッセージを発してほしかったのに。
ええ、期待した自分がバカでしたよ。


ちょっと、自分が大好きな仮面ライダーキバに出てくる次狼と比較してみてもいいですか。
次狼もまた、カナロと似てて、子孫を残すための相手となる女性を探している、っていうキャラなんですけどね。

まず次狼の場合は、悪役のボスに一族を根絶やしにされてるので、血のつながった子供を、っていう主張に同情できる部分があるんです。
でもカナロは?争いを好まないリュウソウ族が海に潜ったってだけで、元をたどれば陸のリュウソウ族と同じ一族ですよね?
そして陸のリュウソウ族は、村があるくらいには人口がいるんだから、養子とかじゃダメなんですかね…?
というか、最後、もう争うのはやめる的な感じになってましたし、リュウソウ族をもう一回統合して、海も陸もなくせばよかったんでは…?
あれ!?なんなら、陸から海に誰かが移住してくれれば、それだけで、海の暮らしは存続するのでは…!?
こんなに選択肢があるのに、なぜ「血のつながった子供」を求めたんだろう…現代日本の呪いを解くどころか、これじゃドンピシャで呪いの再生産ですよ…。

あともう1点、これは個人の倫理観の話になってしまうので、反対する人もいると思うんですけど、
自分個人としては、恋愛して、結婚して、それから子供を、って手順を踏もうとするカナロよりも、
露骨に子孫を残したい!って迫ってた次狼のほうが、いっそすがすがしくて好み、みたいなところがありまして…

要は、「恋愛結婚子供フルコースの呪い」を解体したいんですよ。
このフルコースを履修することが、人生のミッション、みたいになってるのが嫌なんです。
このフルコースって、全ての履修が求められてるだけじゃなくて、一つ始めちゃったら最後までやらなきゃならない、みたいな呪いもあるじゃないですか。
そうじゃなくて、結婚はするけど子どもは持たないとか、そういう、つまみ食い方式でもいいじゃん?って言いたいわけです。
だから、子どもが欲しければこの手順を踏まなきゃ、みたいなのも、好きになれなくて…欲しいところに一直線に行けないものかなあ、と…
もちろん現代日本では、結婚してた方が子育てには便利かもしれませんけど、それは社会制度がそういうふうになってるからであって…。
全部セットで履修しろ、以外の選択肢が増えればいいなあって思うんです。

さらに言えば、女性はみんな子どもが産めるものだ、っていう刷り込みもやめてほしいですよね。産めない人もいれば産まない選択肢もあるんですよ。
カナロの計画って、結婚してくれる女性が現れたらその人と結婚して子供をつくる、じゃないですか。
重箱の隅をつつくようですけど、もしそのお相手が、子供は欲しくないと言ったり、あるいは子供が産めない身体だったりしたら?っていう視点が微塵もないんですよね。
都合の良すぎる例をでっちあげますけど、例えばカナロを見たお子さんが、「なんであそこのおうちは結婚してるのに子供がいないの?」って言い出す可能性もあるじゃないですか。
いや、子供のうちは言わないかもしれないけど、大人になるまでその考え方を無意識に持ち続けてしまったら、もう、それは、呪いそのものですよ。
これは男女問わず、です。生き方を縛る呪いは男女問わず人を不幸にする。

そしてここで、次狼の話に戻りますけど、次狼は結局、戦士である麻生ゆりこそ、俺の妻にふさわしい、って、ゆりに好意を寄せるんですよ。
でもカナロは、結婚寸前までいった人は1人いたとはいえ、特定の人に好意を寄せるということはなく終わった。
何が言いたいかというとですね、1人の女性への好意に収束していった次狼よりも、
不特定多数にただ子を産むことを要求して回った(語弊がありますが…)カナロは、悪辣というか、趣味が悪いのでは、みたいなことです。

もちろんカナロは、いきなり子供を産んでくれ!って迫ったわけじゃなく、惚れっぽい体質で、いちいち恋に落ちる、という描写はありましたが、
視聴者目線では、でも結局目的は子供なんでしょ?ってなっちゃうから…なんだろう、またどぎつい言い方になりますけど、女性を騙して近づいてる、みたいに見えちゃって。子供という目的を最初から言わずに近づくのが、なんか詐欺めいていて…
これも個人の好みですけど、次狼の方は、ゆりに向かって堂々と、一族の血を残すにふさわしい強い女、って言ってくれてて、こっちのほうが、騙してる感がなくて、いっそすがすがしいんですよ…
いやまあでも、戦隊で、次郎と同じように、開口一番俺の子を産めで口説いたら、それはそれで嫌なんですけどね…難しい。


エラスとの決着

さっき、最終回いいこと言ったなって書きましたけど、
単発で見るとね、めちゃくちゃいいこと言ってるんですよ。
でもね、なんていうか、そこに至る積み重ねがなくてですね…説得力が薄いというか…

コウがエラスに、寂しかっただろう、とか語りかけるんですけど、
前述のとおり、幼馴染であるアスナをあれほどぞんざいに扱ってきておいて、
友情も仲間もあったもんじゃないわけですよ。

アスナをあんな扱いしておいて、そのことに対する反省が作中でも作品外でもない中で、
仲間と一緒に乗り越えていくだとか、何を言われてもぜんぜん響かなかったんですよね…
コウのことも、物語の作り手たちに対しても、ぜんぜん信頼がおけなかったので…

この、クライマックスだけ見るといいこと言ってるけど実はその場しのぎ的に取ってつけたようなセリフでありそこに至る積み重ねがない現象(長い)、
まあ構成の詰めの甘い作品ではよくあることなんですけど、
登場人物と作り手が信用できなくて言葉の重みが感じられない、ってのは、なかなかレアな体験でしたね…。


加えて、リュウソウ族の長い歴史をめぐる物語だからか、劇場版のあたりから、未来につなぐ、的なことがキーワードとしてたびたび出てきましたけど、
先述のカナロのことがあるもんで、どうしても、
ここでコウたちや制作陣が意図してる「未来につなぐ」って言葉は、血を引く子孫を残すって意味ですか???って、穿った受け取り方をしてしまって…
それこそさっきのアスナ学校案件じゃないですけど、子どもたちとのエピソードとか、人間界に何かを残したぞとか、そういう話があればよかったのかもしれないんですが…

リュウソウ族、という一つの民族全体での物語ならばわかるんですよ。実際、劇場版ゲストのユノとの関係はそんなふうに描かれてて、大きな時の流れの中で受け継がれるものを描いてるんだな、ってのは伝わってました。
でもカナロが。どうしてもあいつの思想が邪魔をする。
カナロのようなキャラクターを登場させる作り手たちだからな、って思っちゃうんですよ。そんな作り手たちから発せられる、「未来につなぐ」って言葉はつまり、そういうこと?って邪推してしまって。
まあこれについてはかなり、自分のひねくれた受け取り方のせいだとは思うんですが…


それと最終回についての余談。
メルトだっけカナロだっけ、誰かのセリフに、「全部作り変えようとするのは、ただの逃げだ」的なのがあるんですけど。
ふーん、よく言ったね、って思いましたね(謎の上から目線)

というのは、自分、世界リセットエンドになった仮面ライダービルドがどうしても受け入れられなかったんですよ。…ということを書きなぐったnoteの過去記事もあるのでご興味ありましたらぜひ。
要点だけ言うと、新たなものを創造すれば今まであったものは全部なくなっていいのかよ、そこにも確かに人の生活があったはずなのに、ってことですね。
じゃあジオウはどうやねんってなるんですが、あれは今まであったものをなくしたわけじゃなく、むしろ本編全てを踏まえた上での続きであり、いわゆるタイムリープもので言うところの、前の回があってこそのの新たな周回、ならアリかなあと。加えてあの改変では、大きく変わったのはソウゴの周囲の限られた範囲だろうし。あとなんだかんだタイムリープというよりパラレルワールドに近いという解釈もあり、既存の時間軸を残したまま新しい時間軸を創造したのならそれはリセットではないわけで…

違うわなんでジオウの話してんだ。戻します。
その、世界リセットエンドになったビルドと、今回のリュウソウジャーって、メイン監督が同じなんですよね…
こないだゼロワンでもね、その人の監督回で無理!!!ってなった案件がありまして…おっとまた脱線した。

つまり、その監督の作品で、全部作り変えようとするのはただの逃げ、って、いろんな意味で、よく言ったなあ、って。
だってそれ言っちゃったら、ビルドの結末を否定することになるのに。
いやもちろん、全部作り替えようとするのはただの逃げ、っていう言葉自体には、大いに賛成しますけどね。
人生には逃げが最善手な場合もありますけど、作り変えるっていう発想はない。受け止めるか逃げるか、どっちかですから。


ノれなかったキャラ

言わずと知れたツンデレことクレオンくんのことでございます。

あの、自分、口は悪いが仲はいい、っての、ほんとにわかんないんですよ。
だからずっと最後まで、クレオンとワイズルーの関係性に乗り切れなくて。
Twitterの絵とかでもたびたび見かけて、人気あったのは知ってるんですけど、
いや、だって、あれで仲がいいとか言われても。憎まれ口を叩きあってるあの二人が?え?いつそんな仲良くなりました?ってなっちゃって…
人間関係の見方が幼いと言われてしまえばそれまでかもしれないんですが…

馬鹿にするように茶化したり、けなしたりしてるけど、実は仲がいい、っての、ほんとに無理なんです。
だってそれ、どう見てもいじめる側の理屈だから。
傍目にはいじめられてるように見えてるものを、これ実は仲いいんですよ!仲いいからこその「イジリ」なんです!なんて言われて、信じられるわけがない。
言葉には力がある。たとえそれが本心から傷つけようとしたんじゃなくて、イジリのつもりでしたとか言われても、そんなの関係ない。本心がどうであれ、嫌な言葉をいわれたら、ちゃんと傷つくんだよ。

ほんとにこの、「イジリ」の文化、滅びないかなって思ってます。
よく言われることですけど、やる側は「イジリ」のつもりでも、やられてる側からしたら「嫌がらせ」ないし「イジメ」以外の何物でもないですから。
充瑠くんみたいに、クラスのカースト高い系陽キャ女子に絡まれても、ものともしないような強いメンタルがあれば話は別ですけど。
あれほどのキラメンタルの持ち主でない限り、イジリと称して行われる数々のことは、しっかりと傷をつけるんですよ。

だから、あんなにこき使われて、「イジリ」のような言動をされても、それでもなおクレオンがワイズルーを好きって、なんかもう、極端な言い方をすると(こればっかりですみません)、いじめっ子側の論理の肯定では?って思えてしまって。

自分の持論なんですけど、人の評価とか人間関係って、表現されたものが全てだと思うんです。ほんとはいいやつなんです!とか言い訳されても、そのほんと、が伝わらなきゃ意味がない。
逆に、ものすごい差別的な思想を秘めてる人でも、それをいっさい外に出さないならば、それはそれでいいと思います。つまり差別や攻撃をしないってこと。まあ理論上はそうでも、実際に完璧に外に出さずにいることは難しいわけですし、だからこそ差別的な思想はすべての人に捨ててほしいと思ってますけどね。
「本心」なんて、なんだっていいよ、だって、絶対に見えないもん。思想信条は自由だし、大きな声で言えないようなことを考えていたって、猫かぶり大歓迎です。だってその、猫をかぶろうとする意志や、繕おうとする努力、それが尊いと思えるから。
人は目に見える言葉や振る舞いで評価されるべきであって、察しようがない本当の姿、なんてもので評価しようとするのは間違ってると思うのです。だって、ある人がある人に対して思う「本当の姿」なるものが、本当に本当の姿かなんてわからないじゃないですか。なんなら本人にだってわかりませんよ。

だから何の話かっていうと、クレオンとワイズルー、あとタンクジョウとかの関係には、どうしても乗り切れなかった、って話です。
だってみんなパワハラ上司ムーブしかしてなくないですか…?たまーに優しくしたりするのも、あれ、DVとかと同じ手口ですよ。たまに優しくすることで、相手が自分から完全に離れていかないようにして、いつもはひどいけど優しいところもあるんだ、って思わせる手口。仲良くしたい相手にすることじゃないです。

発せられた言葉や振る舞いだけを追っていくと、みんなクレオンに対しては程度の差はあれど当たり強いなー…ってことしか見えなかったものですから、
いつどこでどう仲良くなった!?わからん!ってなっちゃったんですよね。
それどころか、むしろクレオンは嫌がってるように見えるのに、これを仲良しと称したり解釈したりするって、どうなってんの…?どんないじめっ子論理…?ってなっちゃって。
言葉にならないところ、目に見えないところでは仲良かった?いやすみませんね、言葉にしてもらわないと、目に見えるものじゃないと、わからないもんで!!



ふうう。おかしいな1万字を越える予定ではなかったし、ほぼ完成してる下書きだから手直しするだけ!って思ってたんですが…
でも言いたいことを言えてすっきりしました。

最近、思うんですよ。
好きなことについてだけ語ってればいいのに、って。イライラしたり怒ったりしたことを書くなんて、不毛だし、自分も決して楽しくはないし、って。
でも、それ以上に、思ったことに蓋をしている方が、もっと嫌なんですよね。
だからこのnoteでは、もちろん推し語りもしますけど、
怒りをぶつけたり、文句を言ったりするような文章も、わりと多く書いていくことになるんじゃないかと思います。
そして往々にして、怒りの文章の方が長くなりがちという…。

こんなnoteですが、ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。

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