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改めて三角関数のおはなし。

ちょうど昨今、「三角関数よりも金融経済を学ぶべきではないか」と放言した政治家が話題になっています。恐らく、高校の数学で勉強する項目のうち、三角関数は社会に出てから最も実用性がなく、しかも難解であるということから起こった話だと思います。
確かに、大人になって普段生活していても、「これはsin何度だから〇〇」というように直接三角関数を使うことってありません。「加減乗除さえ知ってればいい」という、さらに過激な主張?もありますが、なるほど一理あるといえばある気もします。
さらに言えば、「歴史なんて勉強しても意味がない」という主張もあります。確かにこちらも、「徳川吉宗が享保の改革を行った」とか「ローマ帝国がヨーロッパを支配した」とか、日頃の生活で使うことなんてありません。もっと過激なことを言えば、「日本に住んでいれば日本語で生活できるんだから英語を勉強する必要なんてない」という主張も有りえます。

では、何故三角関数や歴史や外国語を学ぶのでしょうか。

「知ること」は、「人間である」ということ

「加減乗除は普段の生活に役に立つから学ぶ必要がある」という主張は尤もです。しかし、誰もが普段持ち歩いているスマートフォンには電卓機能がありますし、お店で品物を買う場合も店員に言われた通りにお金を投入すれば、自分で引き算を計算しなくても正しくお釣りが出てきます。ということは、引き算を知らなくても日頃の生活には困らないはずです。
そうやって、毎日起きてから寝るまでに最低限必要な知識だけを教えられたとすれば、それは人間として正しい姿なのでしょうか。人に言われた通りに動き、機械に言われた通りに行動し、普段行われる命令に従って"実行"するだけの機械になったとき、それは人間といえるのでしょうか。何か思いがけない例外が発生した場合、そこでジ・エンドとなってしまう存在に成り下がってしまうのではないでしょうか。

世の中は、時間軸に沿って動いています。これは3次元世界に住んでいる以上、誰にも変えることはできません。そして、未来に絶対はありませんし、未来を知ることもできません。もし未来を知ることができたら、「自分がいつ死んでこの世から居なくなるか」を知ってしまいます。これを知りながら生きていける精神を持っている人間は誰も居ないでしょう。
では、そのような未来を照らすための行いが、「過去に学ぶ」つまり歴史に学ぶということです。例えば、高い崖から飛んだ人間は、必ず高速で落下して死んでしまう。これを知っているから、誰もが高い崖から飛んでみることをしない訳ですよね。怪しいキノコが生えている、これを食べた人は必ず苦しんで死んだ、ああこれは食べてはいけないんだなと知る。同じことです。

全ての勉強は歴史である

学校で習う科目は、「国語」「数学」「理科」「社会」「英語」「体育」「美術」「音楽」…と色々ありますが、実はすべて歴史の勉強であると言うことができます。理由は上記の通りで、過去の人類が積み重ねてきた知見を知る活動が勉強だからです。国語で習う現代文や古文・漢文はもちろんのこと、数学でさえも過去の人類が発見した法則を学んでいるにすぎません。物理や化学、生物なども同様で、過去の人類が世の中の法則や仕組みを知ろうとした行いの歴史的成果を学んでいるにすぎません。
音楽や美術は過去の芸術家が作り上げた作品を知り、その活動に近づこうとする活動ですし、体育でさえ、どのように体を動かし筋肉を使えば身体的能力を伸ばせるか、健康を増進できるか、という知見に基づいた活動です。

ここでは、表題として「三角関数」を取り上げたので、三角関数に的を絞って書いていくことにします。

三角関数はいきなり三角形が登場した訳ではない

高校の数学で三角関数を学ぶとき、まずいきなり直角三角形が登場します。そして角度をθ、辺の長さをa,b,cなどと置いて、これらの間に成立する関係をsin,cos,tanとして表し、「これを必ず暗記してください」と来ます。

sin・cos・tanの定義

その後に来るのは、負の角度の三角関数、90°足したり引いたりしたときの三角関数、そして二倍角や和の角度の三角関数の公式と続き、「これを暗記してください」と来ます。
数学は、純粋に数の性質を吟味する学問ですから、三角関数が一体何の役に立つのか、三角関数の成り立ちが一体何なのか、という点については余り考えません。ここがポイントで、「何の役に立つかわからないのに、訳の分からない公式を暗記させられた」というのが数学嫌いを増やす大きな要因でしょう。

私がここで言いたいのは、三角関数の和とか差の公式なんていうのは、結果論としてそうなっているというだけであり、それよりももっと大切なことがある、すなわち三角関数というのはいきなり直角三角形が登場した訳ではない、ということです。これも「歴史」であり、人間がいかにして三角関数という仕組みを作り上げたか。その話をしたいと思っています。

三角関数は、太陽と地球の関係から生まれた

時は紀元前。人類は、暑い時期と寒い時期が周期的に表れることに気が付きました。また、夜空の星の位置も、それに合わせて周期的に移動していくことに気が付きました。天体の観測によって、どうやら星というのは円を描いて移動していくということにも気が付きます。当時は天動説でしたが、太陽と地球の関係に限って言えば相対的に天動説も地動説も同じですから、当時の人類が地動説を知っていたとして図を描きます。

太陽と地球の関係(手描きの汚い図ですいません…)

すると、スタートした日が冬至だとすると、約90日で春分、約180日で夏至、約270日で秋分となり、そして約360日で元の位置に戻ることが分かりました。円の角度は一周360度とされていますが、これは太陽と地球の関係を円に描いたとき、地球が一日で移動する角度を1度と決めたというのが理由です。

円が一周360度なのは、一年が約360日だから。

円の角度を取るとき反時計回りに取るのは、地球上の陸地がたまたま北半球に多く、北半球で文明が発達したから。北半球に住む人間が、太陽と地球の関係を真上から見たとき、反時計回りに回転していることから、これを正の角度として取った。…のだと思います。

(私が思っているだけ。多分間違いないとは思うけどソースはありません)

90日、180日、270日という点の地球の位置は、互いに直角になっているためすぐに分かるとして、その次に知りたくなったのは、任意の日付の時に一体地球は何処に位置しているのか、ということになります。

そこで当時の人間は考えました。太陽と地球の関係が円を描いているということは、一年を通じて太陽と地球の間の距離は変わらない。したがって、次の図のような三角形を作り、太陽と地球の間の距離(=直角三角形の斜辺の長さ)に対して、角度と他の二辺の長さの関係を知れば、任意の日付での地球の座標が求まる、ということを考えたわけです。

太陽と地球の関係から生まれた直角三角形

このようにして、斜辺=太陽と地球の間の距離、残りの二辺の長さ=そのときの地球の位置のx座標とy座標、という三角形が考え出されたわけです。

これが、三角関数の起源です。

三角関数を知っていると何が得なのか

良く言われるのが「三角関数を知っていると、何が得なの?」ということ。これの答えは、

  • 漢字を知っていると何が得なのか

  • 歴史を知っていると何が得なのか

  • 物理を知っていると何が得なのか

  • 運動を知っていると何が得なのか

  • 音楽を知っていると何が得なのか

  • 美術を知っていると何が得なのか

…などと同じなんです。どれも、知らなくったって生きていけるけど、人それぞれ、人生の何らかの場面で思いもかけず必要になって「知ってて良かった!」となることもあるだろうし、それを知っていることが前提となる仕事に就く人も多いことでしょう。したがって、「得になった」というのは結果論でしかなく、「得になることだけをやる」というのは自ら人生の間口を狭めてしまう行為だと言えます。

何故か?

それは、これまでも書いたように「この世の中が時間軸で動いているから」です。未来が完璧に分かれば、この先の人生で必要なものだけをピックアップすることができますが、分からないからこそ持ち手を広げておくわけです。その意味において、「三角関数の勉強が何の役に立つの?」に対して、「三角関数を使えば、山の高さが計算できる」とか「世の中の知らないところでこんなに三角関数が使われている」という反論が必ず出てきますが、私個人はこれは的外れだと思っています。

未来は誰にも分からないからこそ、色々なことを学ぶ。そのひとつとして三角関数が存在する。そういう話だと思います。

以上。

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