「君は永遠にそいつらより若い」を読んで
「君は永遠にそいつらより若い」津村記久子
を読んで。
ホリガイさんが同性のイノギさんのことを好きなのだと悟るシーンがある。
この「好き」というのは恋愛感情なのか?違うのか?と考えたけど、私はそもそも恋愛感情というものを理解できていないと思う。
私にとって、他者へのあらゆる好意的な感情(共感、憧れ、尊敬、親近感、安心感、触れたいと思うこと、など…)は男女関係なく湧いてくる。
そういった好意的な感情を持つ相手が異性だった場合に、その人を恋愛対象として考えても良いのだと思っていた。
だから
世の中の多くの人たちは
好きになって一緒に生きていきたいと思う相手の中で異性であった人と付き合ってみたり結婚してみたりするのだと。
LGBTの存在を知ったとき(初めて深く考えたとき)、性別関係なく恋愛対象になる場合があるということを知って、
なんだか足元がグラつくような気持ちになった。
私が今まで大切に、特別に、思った存在は、同性(女性)が多かった。
そして、異性(男性)に対して「私は今恋愛をしているぞ」と思ったことは一度もない。
それでも自分のセクシャリティーについて疑問に思ったり悩んだりしてこなかったのは、
大切に、特別に、誰かのことを思うというのは
誰しもがどんな性別の人に対しても抱く感情だと思っていて
それが異性に対しての場合のみ、恋愛であるというラベルが貼られ、
同性に対しての場合はそのような名前のつけられない何かになるのだと思っていたから。
(そもそも私は
ある程度親密にならないと相手を特別に大切だと思うことは難しいのだが、
この世の中、恋愛対象としてではなく異性と親密になることってなかなか難しいような気がしている)
26歳現在の私は、自分のセクシャリティーをはっきりと自覚することができていない。
でもきっと、
人と人との関係は、友達や夫婦など、名前のつけられるものでなくても良いし
本人たち同士のことは、周りに迷惑をかけない限りは好きにすればいいのだと思う。
↑このあたりは凪良ゆうさんの小説を読んで、かなり自分の中でクリアになった考え方
だから、
ホリガイさんとイノギさんの関係は2人だけのもので、それを私が理解できなくても別にいいのかも?と思えた。
全然関係ないけど、
ホリガイさんの「成功」のイメージは中学の頃から一貫していい老人ホームに入ること、らしく
急に親近感が湧いた。同じだよ☺️
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