3 九郎に恋した私です〈Ⅲ〉

<Ⅲ>九郎とのお別れが

8月11日(火)

 朝、いつものように九郎の弁当作り。ケチャップとイチゴジャムをコッペパンに挟み、ラップに包んでいそいそと出勤。
 いつもは私を見つけてすぐ飛んでくる彼が来ません。9時を過ぎてもやってきません。こんなことはないことです。決して、朝、やってこないことなどなかったことです。・・・だけど、来ません。

 9時半ごろだったでしょうか。清掃日誌を書いている当番の子たちに、「カラスがいないけど、どこかで見かけなかった?」と、尋ねてみました。
 「死んどった。前の池に落ちて浮いていた。」「今、埋めてやった」
 何ということ! なぜ? 昨日まであんなに元気だった彼が。

 九郎の姿を見るために、九郎の世話をするために、九郎の声を聴くために、九郎と一緒に歩くために、九郎にちょっと触るために・・・、毎日、九郎を瞼に描きながら生活した1か月半は、このように、はかなく終わりを迎えてしまったのでした。

エピローグ

 彼が死んでいた8月11日の午後6時ごろ、Mo先生からて電話がかかってきました。
 「飼育舎のタヌキが2匹逃げ出して、探し回って1匹は捕まえたが、もう1匹はどうしても捕まらなかった。見つかった1匹は山に返すために、Is先生が車で連れて行き、捕まえた山に放した。しかし、あとの1匹はどこにいるのかわからない。」と。
 九郎がいなくなった日、タヌキもいなくなりました。
 九郎がけがをして学校に保護された日、運動場で猫が腹にけがをして死んでいました。
 彼はそんな因縁の下に学校にきたのかもしれない、とMo先生は言います。
 悲しい運命を背負った九郎だったのでしょうか。

 いや、少なくともこの学校にいた1か月半ほどは、幸せだったのではないでしょうか。野生そのものの生き方ではなかったけれど、中庭を自分の縄張り・安全地帯として棲み、人に甘え、好きなように暮らせたではありませんか。
 それがせめてもの慰めであると思うことにしましょう。

 それにしても、九郎は、どうして、どのようにして、命を落としたのでしょうか。
 子どもたちは、「池のコイをとろうとして、落ちたんと違う?」と言います。そうかも知れません。めきめき強くなった自分の体力を過信し、漁を試みたのでしょうか。
 「水を飲もうとしたのかも知れない。」と、先生方は言います。
 そういえば、ここ4~5日、パンは食べに来るが水は欲しがりませんでした。のどが渇いただろうと水を出してやっても、飲もうとはしなかったのです。不思議に思っていました。校舎を飛び越えて、前庭の池に行き、自分で飲んでいたのかも知れません。
 最後に見かけた日、パンを食べた後、屋上の手すりにつかまってしばらく休み、それから池の水を飲みに降りて体の安定を失い、池に落ちたのでしょうか。

 もう一つ考えられるのは、最も悲しい推測。
 人に慣れていた九郎は、人間が近づいても逃げませんでした。それをいいことに、誰かが捕まえて、池の中に放り込んだということ。
 「そんなことはない。」と、私は私自身に言い聞かせているその後です。

窓際に来て、えさをねだる九郎でした。(1992.8.7)
畑 正憲さんのカラスを書いた文章が小学校の国語の教材として教科書に あったのを読ませていただいたことがある。詳細は忘れたが、そのことが私の頭の中に同居していた。
カラスが貝を空中から落として殻を割り、中身を食べるというテレビ放送を見たことがある。カラスの賢さに感心したものだった。
私は九郎とのほんの短い交わりの中で、今まで言われていた「カラスの賢さ」を本当のことだと実感した。
しかし、それ以上に、野生の動物と心が分かり合える(向こうが私に要求し、私がそれを感じ取って満たしてやれる)感動を味わえたその素晴らしさ、これがこの夏最高の出来事であった。

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 2023年5月27日、NHKテレビ、「ダーウィンが来た」で、交通事故(?)によってくちばしの欠けたオジロワシを治療や訓練によって野生にもどす取り組みを見た。
 九郎のくちばしはこのオジロワシのくちばしと全く同じ状態だったように思われた。
 九郎のくちばしと脚も専門家の手当てに出合えていれば、野生の中で生活できるほどに強い力を九郎に与えられたかもしれない。(2023. 6.19)
 


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