愛想は誰のため


つい数年まえまで、「愛想が悪い人って何が楽しくて生きているんだろう」と思っていた。

会話中は真顔だし、ムスッとしていてなんかこわい。ちょっとくらい笑っても良さそうなのに、などと思っていた。

当時の私にとっては「愛想がいいこと」こそが人付き合いの最たるマナーだった。相槌も話すときもなるべく笑顔。それは決して無理してでも元気っ子を演じたかったわけではなく、小さい頃から自然と「そうであるべきもの」として身についていたのだった。

人によってはそんな私を「ヘラヘラしているな」と敬遠していた人もいるかもしれない。

それがいつしか、仕事上の人間関係や人付き合いで上手くいかない経験を重ねるうちに愛想が悪い人間になっていた。
笑顔を見せたら相手に隙を突かれる、安心できないものとして捉えるようになっていた。
傷つきたくないあまり人の良いところよりも悪いところを敏感に察知して、悪い面ばかりに対して身構えるようになっていったのかもしれない。

いつも真顔で隙を作らないように。そうすれば嫌な思いをしないで済む。

だから自然と笑顔が減る。でもその一方で、笑顔の効能というか「笑顔は最大の防御だ」ということにも気づいている。
以前はできていたことなのだし、笑顔でいることで身を守れていた部分はあったから。

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数年まえまで「あの人、なんで無愛想なのかな」と疑問だった人物像にこうして自分がなってみて、愛想は誰のためにあるのか、ということを考えた。

数年前の自分にとっては「他人のため」、
そして今はきっと「自分のため」だ。

相手を想って笑顔でいようと思えていたのが、相手を遠ざけるため、自分のために笑顔を無くすようになっていた。
そして最近笑顔が減ってみて、なんだか全体的に人生がつまらなく感じている。
必死に守備を固めてきたはずなのに、実際そんなに守れている気がしない。

もともと笑い上戸の私にとって 笑顔を消すのはcoolというより、つまらない事なのだった。

自分のために愛想を良くすることは、笑顔が増えて自分の気持ちをアゲる。そんなハッピーなオーラが結果として身を守ることにつながるのではないか。

回り回って結局のところ「愛想よく生きること」は私にとって切っても切り離せない人生の潤滑油なのかもな、と気づいた日だった。


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