あのね。
私の一日は、誰のものでもない。
とんでもなくひどい日でも、たまらなくつまらない日でも、なんてことない良い日でも ない。
ひとついえるのが、笑えるくらい孤独な日だってこと。
朝は晴れたのに、2度も荒れた。豪雨と晴れの繰り返し。
家族が遊びに外出しただけで、お天気の心配をし、うがい手洗い消毒は?と、声で追いかける。
心は、飛べない窮屈な鳥のよう。
羽があっても、邪魔扱い。
とはいえありきたりの、この世の薄っぺらな一枚のページを、埋めるだけの今日一日。
noteに何を綴るの。
肝心なことを忘れている私の日記。
けれど77年前、何があったか考えると、この日は特別なものになる。
当時1歳だった義母は、78歳になる。
私が見てきた戦後は、経済成長や、バブル、IT革命、、本当かどうか疑わしいニュースは別としても、大きな流れは体感した。
両親を見送り、子育ても一段落したこの身を振り返ると、この薄っぺらな一時は、たくさんの命の犠牲の果てにあるのだと思い直す。
犠牲などという言葉だけで、表せられるものではない。
語ることのできる人が、故人となっていくことで、今まで、伏せられてきたことが、たくさん報道されるようになったことにも時代を感じる。
私は、知らなければいけないのか。
当事者でもないのに苦しい。
国境、この境い目について、私自身の、境界線を重ねる。
間違いもする。
不安にもなる。
お金も必要。
力があると、勘違いして他者を顧みない。
目的を持てば、そこだけを一心に見つめなければならないこともある。
悲しみに蓋をする。
自分さえ我慢すれば、と、自分を空っぽにする。
自分を武器にも。
なんて悲しい戦いを、続けているんだろう。
許せない相手がいる。
自分を守るために、そのことをあたかもモノだと認識するように仕向ける。
集団になった人の狂気は恐ろしい。
私の中にもある。
どちらもある。
夜には寝る。
朝には起きる。
与えられたように、当たり前に存在する。
諦め、許し、仲良くできるか。
心を通わせて、花を咲かせられるか。
大切な人との約束を聞きたくて、私は、毎日、泣いたり笑ったり、息をしている。
そしてまた、晴れてきた。
虹が見えた。
何を教えてくれるのだろう。
自然は。
生き物は。
報道は。
文字は。
私は。
何を語っているだろう
私の目の前の人は。
のんきに虹など撮って、帰ってくる家族を待てる孤独は、何と幸せなことか。
私はなんて自由だろう。
何の上に立っているかということすら、忘れても誰も咎めない。
安心してお住み。
この地球に。
白鷺の声が、聞こえる。
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