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noteを持ってやんわりと   6

必要なものに出会う


半年ほどたった頃
軽トラに乗って伸樹は帰ってきた
バイト先の先輩から
5万円で譲ってもらったとのことだった

それは
伸樹の生まれた年に生産された車両で
今現在、走っているのを見かけることは
ほとんどない

オンボロ!だった
それがどれほどの魅力があるのか
私には全くわからなかった

シートは破れ
部品も全て古い
荷台にはこってりした泥のようなものが
こびりついていた
ブレーキランプも
切れていた
エンジンの音がなんか変だ、
乗っていいのか?という状態であった

でもおもしろい
ひとつひとつ必ず解決することができるから

素晴らしい出会いだ

彼が家活中、
私たちは
ソファカバーの張替えをしたことがあった

3人がけのリクライニングソファで
10年も使ったのだから
合皮のカバーがいたんでいた

夏の暑いさ中、2ヶ月かかった

多分これをやる人は
日本でも何人か、いないだろう、、、

リクライニングソファの仕組みを
知るところから
解体計画、カバー選び
タッカーを始めとする必要な道具についての検討
クッション材の追加
いや、ソファカバーの切り取りと縫い合わせのところでは私が褒められることもあったが
地味に力のいることが多く
ほとんど彼が一人でやった

やろう、と言い出したからには
やれるところまでやる人なので
やめよう、といったとしたら
本当に無理なときだ、と理解している

「楽しくなってきたんじやない?」
「うん、まあね」
たしかにそうだった

しかし
ずっと楽しいわけでもなく
セイノー、!という掛け声で持ち上げるのさえ
私はタイミングを外して怒られていたのを思い出す

なんで怒られなきゃならないの!と思って
夫を見たが
どちらの味方もしない

君っていつもそうだよね!とでも言いたい顔だ

座り心地にまでこだわって
最後の工程を終えたとき
「もう一度、と言われたらやれる?」
「三十万円だね」
二人で讃えあった

実際には布代だけだったので2万円くらいだった

このソファは
布の温もりをかんじるほっこりソファとして
みんなのお気に入りだ
友人が訪ねてきて
関心してやまなかった


この技術を持ってすれば
軽トラのカバーの破れくらいは
簡単に直せるだろうと想像できた

次々に送られてくる自動車部品が
ナンバーのない軽トラに取り付けられ
次第に乗れる車へと変身していった

いよいよ
車検を通るか
このことが最大の関心事になった

これだけ手間暇をかけると
今度は
大切な子どもを
世の中に送り出すかのような
心持ちになるのだろう

車検の日
伸樹の様子はまさにそれだった 
エンジン音を確認しランプを点滅させ
「大丈夫かな」
と久しぶりに自信のない声
「車検の場所まで乗っていけたらイケルって」

自信、がついたかどうかは
わからないが
伸樹は、なにも言わずに
力強く優しく
アクセルを踏んで
出かけていった

もうちょっと専門的なウケ答えできたかな
無理だな


待っていればそのうちわかることだ


大学の二次試験を受けて帰った日
玄関に
「疲れたー」
と倒れこんだ笑顔の彼をねぎらったのは何年前だろう

一年間のワーホリから帰ってきた彼の
スリッパに半そで半パンという姿に日本の3月の寒さがわからなくなったのか?と
笑ったのはいつだ


たとえ居場所がどこであろうと
大丈夫、生きる力を持っている
知恵も体力も
存分に

足りないものを探してる君に

すべて持っている君に

君に
私は教えられた

ありがとう、と伝えたくて伝えたくて
今に至る







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