たとえ誰も味方がいなくても「自分だけはじぶんの味方でいてあげよう」と強く誓ったきっかけ
「自分だけはどんなことがあってもじぶんの味方でいてあげよう」って、ギュッとじぶんにセルフハグしながら誓ったのは、今からちょうど10年前。一緒にバンドをやっていたボーカルから結婚の報告をもらった後だった。
そのボーカルとは約10年一緒にバンドをやってきたけど、「結婚することになった」と聞いた瞬間「はぁ???!ふざけるなよ」と、カーッと一気に頭に血が上って、肩、首から腕全体にグーっっと力が入っていくのを感じながら、必死にその言葉と態度が出ないように我慢して彼女の話を聞いていた記憶がカラダに残っている。
こんなことを書くと「友人の幸せを祝福できないなんてなんて嫌なやつだ」と思うと思う。自分が分かっていないだけで、わたしはそういう人間なのかもしれないし。
だけど、そう思うには今までの経緯があり、それにそのあと今まで散々わたしを傷つけ、苦しめてきたのは他でもない自分自身だったと気が付くことになった。この気づきはかなりショッキングだった。それまでのわたしは、自分のことが本当に大っ嫌いでなにをやっても自分のことは認められなかった。だけど、この気づきがきっかけで自分へ愛を向けられるようになったのだ。だから、わたしにとっては転機になったとても大きな出来事。
今回はその時のことを書いていきたいと思います。
わたしみたいな人、けっこういるんじゃないかな・・・って思う。
自分のことが好きになれない人、自分のことが嫌いでたまらない人、そしていつも自分を責めてしまう人に、自分に愛を向けられるきっかけになってくれたら嬉しいです。
はじめに
はじめに誤解しないでほしいのでお伝えしておきますが、今回の話は彼女のことを悪く言いたいんじゃないということ。彼女はあくまできっかけでしかない。彼女とは、わたしが自分のことをいかに粗末に扱ってきたかということに気が付かせるために出会ったのかもしれない、と今では思っている。
そして、ここでもそうやってじぶんのことをいい人ぶりたいのではなくて、「外の世界は自分の内側の投影(鏡の法則)」だということがはっきりと自分の中で認識できた体験だったという話になります。
唯一の居場所
30歳過ぎの女性は友人の結婚の話に敏感になるお年頃。もれなくわたしも彼女の結婚の話を聞く以前から、他の友人の結婚の話を聞くたびにモヤモヤ嫌な気分になっていた。純粋に人の幸せを喜べない自分のことをなんて醜い嫌な人間なんだろうって思ってた。
第一印象は最悪だったちょっと癖のある彼女。(彼女もわたしの第一印象は悪かったみたいだからお互い様w)彼女とバンドをはじめてから、ほぼ毎週スタジオに入って練習し、そして飲みに行くという生活を10年くらい続けていた。仲がいいのか悪いのか分からないような関係。お互い闇を抱えていてそんなところも似たものを感じていたし、今思うと共依存だったのかなって思う。
社会人になってからココロの問題が大きくなっていたわたしにとって、間違いなくバンドは唯一の居場所だった。どう生きたらいいのかわからなくて迷子になっていたわたしには、彼女の「バンドやりたい」「屋根裏(下北沢にあるライブハウス)に出演したい」という強い想いと言葉は、いつの間にか自分の夢であるかのように錯覚させる力をもっていた。
「彼女の夢を叶えることが自分の夢」
彼女にもそう伝えてきたし、周囲にもそんな風に言っていたくらい本気でそう思っていた。
わたしは結局誰のために生きてきてた?
彼女の結婚の報告を聞いて、祝福するどころか「はぁ???!ふざけるなよ」と悲しみと怒りの入り混じったなんとも複雑な感情になったことに対して、最初は本当になんてひどい人間なんだってしばらくずっと自分を責めていた。
でも、どうしたって快く祝福できない自分がいて、なぜだかわからないけど怒りが湧いてきて収まらなかった。
「はぁ???!ふざけるなよ」という心の言葉の後に続いて湧いてきた想いは次のことだった。わたしはその当時、パニック発作を2年前くらいに起こしていて、それからは必死になって普通の生活が送れるようにって頑張っていたのに、その最中も「スタジオ入ろうよ」「ライブやろうよ」って彼女は言い続けてきてた。心配してくれていたのかもしれないけど、わたしには自分がバンド出来なくなるのが嫌でそんな風に言ってきているとしか思えなかった。だって「わたしにはあなたしかいない」「あなたとバンドがしたい」って言ってくれていたけど、それは今まで彼女と合わなくてバンドを一緒にできなくなってきた人のことを何人か知っていたから。結局わたしは彼女にとって都合のいい女だったのかもってその言葉を言われるたびに心底悲しくなっていた。
好きなものが全然違う二人
彼女とは好きなジャンルも演出スタイルも違う。はじめはコピーバンドとして好きな曲を持ち寄って演奏してたんだけど、そのうち彼女の作る曲をアレンジしてオリジナル曲でライブするようになってた。彼女はギターボーカルでわたしはベース。ドラムは安定せず、入れ替わり立ち替わり。わたしと相性のいいドラムは彼女とは合わない。そして彼女が気に入るドラムはわたしが合わなかった。
わたしと同様に彼女もココロが不安定な人だったけど、順応性や適応力は私の方が高かったから結局最後はいつも私が妥協して、彼女のやりやすいドラムと組むことを選択してきた。
パニック発作を起こした時は、わたしとは相性がいいドラムと組んでいた時で彼女が精神的におかしくなり始めていた時だった。彼女の機嫌を取るためにドラムとの間に入ったり、かなり気を遣っていた。彼女の目標としていた屋根裏に出演するためにはドラムがいなければどうにもならない。定着しないドラムをなんとか定着させていい曲が演奏できるように練習していきたい。この時は自分がそうしたいと思ってたと思っていたんだけど、どうやら違ったみたいでカラダには限界がきていた。
我慢の限界にカラダが悲鳴をあげた
ちょうどその頃に、名前も知らないようなレコード会社から話がきて、とりあえず話だけ聞きに行ってみようかと彼女と電車に乗って向かっている時、はじめてわたしはパニック発作を起こした。それは自分の気持ちに嘘つくことにカラダが限界を感じて悲鳴をあげた瞬間だった。
女に二言はないとばかりにそれでもバンドを続けなくちゃ・・・と自分の体調の立て直しとバンドをどう続けていこうかと日々悩んでいたのに、その間にその結婚する相手とデートを重ねて彼女は楽しいことをしていたかと思ったら、胸の辺りがむかむかとしてきて「わたしってなんなんだろう・・・」って悲しさと怒りでおかしくなりそうだった。
必死に彼女の夢を叶えるためにってやってきたのに、わたしって本当になんなんだろう・・・今までなにをやってきていたんだろう。バカみたい」ってとてつもなく悲しくなった。。。
わたし、自分のために生きてなかった。人の為によかれと思って生きてきたのに、その結果がこれか・・・。人生の華ともいえる20代から30代前半の時代、わたしは自分の人生を無駄にしてしまったのかと思ったら、もう悔しくて悲しくて・・・言葉にならなかった。
はじめて客観的に自分をみれた瞬間
しばらく自分責めが続いていたし、彼女に対しての怒りの感情も常にふつふつと湧いていて一向に収まる気配がなかった。
そんな中、エステやアロマの資格を取得していたわたしは彼女の家でブライダルエステをやり、そして結婚式では友人代表のスピーチもした。
今までどんなに嫌な思いをしてきたか、全ぶちまけてやろうかという悪魔のささやきも何度もあった。それだけ小さなことも含めて自分を抑えて我慢してきたことがあったみたい。だけど、自分が傷ついた時のことを思うと、自分の言葉で人を傷つけることはできなかった。
それに彼女は自分の幸せのために行動したに過ぎない。
なんら悪いことなんてしていない。それなのに、わたしは被害者ぶってなんて醜い考えしかできないんだろうってぐるぐる考えていたある時、
「あれ、わたしいつも自分を責めてるかも。。。人の為にいろいろとやってきても報われないと思っている上に、自分からも責められているなんてめっちゃわたし可哀そうじゃない?!」「わたしだけは私の味方してあげなかったら、私は誰からも味方してもらえないじゃん。そんなの可哀そう過ぎるし・・・」
「え、マジでごめん!今まで本当にごめん!ずっとずっと責め続けてばかりで可哀そうなことしてた・・・。うわー、気が付かなかった。本当にごめんなさい。。」
この気づきはとても大きかった。
そしてはじめて客観的に自分をみれた瞬間だった。
そしてこのあと、自分のことを一番大切な親友のように接してあげようって誓った。
いつも自分から責められてたら、嫌いになって当然だよね。
いつも自分から責められていたら自信なんてなくなって当然だよね。
はじめは慣れないから、いちいち「一番大切な親友にそんなこと言う?」「大切な人にはこんな風に声掛けしてるよね」って話しかけてた。親友の自分とおしゃべりする感覚。わたしにはこれがとってもしっくりきて、少しずつ自分でじぶんに優しい言葉をかけてあげられるようになっていった。
そして彼女の夢をわたしの夢だと思い違いしていたわたしは、自分の人生を放棄していたんだとこの時やっと気が付いた。
そう、わたしはいい人ぶって人に無駄なおせっかいを焼くことに一生懸命になっていて、自分の幸せを考えてこなかった。正直な話、外食の時も何を食べればいいのか分からないくらい自分を見失っていた。好きなものを選んで食べればいいだけなんだけど、それができなかった。何を選んだら正解なのか?と考えていたから周りをみて決めていたし、これを頼んだらなんて思われるんだろうってビクビクしていたからみんなで食べる外食は全然楽しめなかったし好きじゃなかった。
そんなのも分からないくらいだから、自分の人生を真剣に考えることが恐かったんだと思う。せっかく興味があってエステやアロマの学校に通ったのにそういうお店は土日休みがほとんど取れない。バンドを優先して彼女に合わせるために結局まったく違う業界の土日休みが取れる就職先を探していた。
選択基準が自分じゃない。
バカなんだけど、これが私が彼女に怒りを感じていた理由だった。彼女のためにと思って色々としてきたとしても、これでは報われるはずがない。彼女にとっても迷惑な話である。
自分の人生を真剣に考えて選択してこなかった私が悪い。
なのに、わたしはこれに気が付くまで、散々自分責めをしながらいい人ぶって生きてきた。自分が我慢すればその場に争いが生まれず、相手も気分を害さずに済むし、そうするのが正解だって思っていた。それにそもそもやりたいことがあまり浮かばなかったのかも。というか、自分のやりたいことを主張して貫くことに許可がでていなかったのかもしれない。これは幼少期のトラウマや愛着障害なんかが関係していると思う。
だけど、それはとんでもなく自分に弊害のある生き方だった。
人生はいつだって気づいた瞬間からやり直せる
わたしは生きるのが不器用だなってよく思う。だけど、わたしにはこれがベストで経験してきたこの順番でしか学べないのかもとも最近よく思う。
心理学もいろいろと学んできて思うのは、悩みのない世界なんてないということ。心配事や不安な事はいくら心理学でココロや脳のことを学んだとしても起こるときは起こる。だけど、心理学を学んだり、自分のココロと向き合ったりすることで、うまく対処できるようになっていくんだと思う。
そして、自分をじぶんで喜ばせたり、自分が幸せになることに一生懸命になっていると自然と周りの人を喜ばせたり幸せにすることに繋がる。
だから、迷わずにまずは自分を喜ばせてあげようね。
わたしは長らく、正しく生きなきゃって思って生きてきた。けど、人生はどうやら楽しむためにあるらしい。そしてご機嫌でいい気分でいることが人生の目的らしい。
だから正しく生きることを気にするよりも、自分がその時やりたいと思ったことをやらせてあげることを大切にしていきたい。親友を応援するように、自分のやりたいことを精一杯叶えてあげられる自分になれるようわたしも変化を楽しんでいきたいと思います。
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