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無意味の真骨頂

 「全てのモノには意味がある。」
よく、そんな教えを見聞きしながら生きてきた。誰かが誰かに怒る時、そこには言い聞かせて分からせたいという裏の心が潜んでいるし、何か事象が起こっているのに何も言わない、とかも、それなりにメッセージのある行為だったりする。

 ただそこに本があったから読んだ。そういうのも、かなり先の未来まで進んだ後に振り返ると、その本が何らかのターニングポイントや肥やしになっていたりする。

 そして、そんな風に全てのものに意味を持たせながら歩いていく生活に、私は疲れた。
 意味なんてなくていいじゃない。生きとしいける人間達が、勝手に意味を後付けしてるだけだよ。

 無意味な事って、本当に楽しい。非効率な事って、すっごい満たされる。
 ストーリー作りの教科書を、敢えてベランダで読むの楽しい。そこに意味なんてないんだけどね。
 ドライブ中に迷子になって、結局目的地に辿り着けないのも、それはそれで結構楽しい。どうにでもなっちまえ!って思う時の開放感はたまらない。

 そして、ひとしきりそれらを浴びた後、現実に帰らなくてはいけない時の、あの悲壮感もたまらない。こっちはなるだけ味わいたくない方のやつだが。

 長編小説のプロット作り、苦戦しているんです。進まないって言いながら、今日ももう時間切れで、もうすぐ夜の仕事が始まっちまう。

 『長編小説を描き切りたい』
これは、私がそうしたいだけのただの自己満足。書くことに意味なんてない。プロットすらまだ納得できるものに辿りつけていない。やりたくてやってる事なのに、思うようにいかなすぎて、クソほど苦しい。なんなら執筆を始めたら、きっと中盤くらいで「吐きそう・・・」って呟いてる未来が見える。

 だけどどうしても、夢を見てしまう。
もしこの小説を書き切る事ができたなら、『物語を作ること』を生業にして生きていける未来に、少しでも近づけるんじゃないかって。


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