長編小説[第19話] ネクスト リビング プロダクツ ジャパン
檻の中の道化師
スマホの時計はすでに午後14時12分を指している。開会予定時刻は14時、完全に遅刻だった。
この日は私、星光が所属する、ネクプロの成果報告会が開催されていた。市民センター内にある大ホール。入り口に設置された受付スペースには、古い長机と椅子だけが置かれている。
受付用の参加者名簿は撤収され、担当者はすでに会場の中へと入っていたようだ。
後で声を掛ければいいかと諦め、私は静かに会場の扉を開けた。
「私達は大きな夢に向かって、これからも皆で力を合わせ・・・」
どこかの支部のお偉いさんが、力を込めて演説をしている。その話に会場の参加者達は、終始頷き、皆真剣に耳を傾けていた。
会が進み、グループセッションの時間が取られる。客席の照明が入り、会場全体が明るくなった。
テーマは『私の見たい未来』。支部の垣根を超えた隣どうしの2~3人のグループで、テーマに沿って語らっていく。
私の両隣には、それぞれ同い歳くらいの女性が座っていた。彼女達は、初めましての別支部の方々だ。
「こんな自分を変えたいんです。ネクプロに入って、お金持ちになって、健康になって、自分の自由な時間を手に入れられる未来が、ようやく見えてきました。」
隣の女性が力強く語っている。彼女は目だけがギラついていて、頬が少しだけこけていた。どこか身の丈を超えて無理をしているような、そんな違和感を感じる。
ふと珠(すず)との、リゾートバイト中のひと時のことを思い出した。
かつての私達は貯金をしていて、無駄金を使うまいと必死だった。仕事終わりは狭い寮のどちらかの部屋に集まって、支給品の緑茶を飲みながら語らっていた。
今日どんなお客さんに会って、どんな話をしたかとか、持ち場の先輩がこんな面白い事をしていたとか、大体はお互いに、そんな話し。
私達は、未来じゃなくて、今の話しをしていた。
家もお金もない私達だったけど、うまく時間の波に乗っていて、なんというか、あれはあれで楽しかった。幸せだったんだと思う。
足るを知っていたかつての珠と、足らぬを求める隣の女性。私は無意識にそれらを比べた。そして非情だと自覚をしながらも、彼女のことを、哀れだなと、そう思った。
旅立ちの朝
玄関に積み上げられていた段ボール箱達が、手際よくトラックに積み込まれていった。引越し屋さんが玄関で私達に声を掛けて出発していく。
かつて渚さんの部屋だったそのアパートの一室は、すべての荷物が取り除かれ、かつての誰の所有物でもなかった時代のものに、その姿を変えていた。
「撤収って、あっという間なんですね・・・。」
「そうだね・・・。星光ちゃん、手伝ってくれてありがとうね。」
渚さんは自分のリュックを背中に背負うと、駅に向かって歩きだす。私もその横を一緒に歩いて、アパートから徒歩10分くらいの、小さな最寄り駅へと送って行った。
渚さんがネクプロの脱退を決めてから出ていくまでは、本当にあっという間だった。報告を聞いた導さんは、最初こそ引き留めようとしていたが、渚さんの確固たる意志を前にして、最後は素直に彼女の意思を受け入れていた。
私ももう、この組織に用はない。明日には導さんへ、出ていく旨を伝えようと思っている。
「ここまでで大丈夫、ありがとう。それじゃ星光ちゃん、元気でね。」
渚さんが、キラッキラの笑顔で私の肩を叩く。それから彼女は、地下鉄の改札口を抜けて行った。
「渚さんもお元気で!」
私も渚さんへ、とびっきりのエールを返す。
改札の向こう側で立ち止まり、渚さんはもう一度私に振り返る。
「またね!」
そう言って渚さんは、私に思いっきり手を振った。私も手を振りかえしながら返事を返す。
踵を返した渚さんは、颯爽と電車のホームへと向かって行った。私はその姿を見守りながら、いつかまたきっと会える、そんな予感がしていた。
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