「セクシー田中さん」実写化問題についてオタク歴10年以上の私が思うこと
芦原妃名子先生の訃報に関し、心よりご冥福を申し上げます。
今回の「セクシー田中さん」実写化問題では日テレや小学館が批判の目にさらされている。
中には不買運動までやっている人がいるらしい。
もちろん、今回の件は日テレや小学館に責任があるのは間違いない。ただ、それとは別に、「実写化」に関わる多くの放送局や映像制作会社にとって全く無縁とは言えない。
というのも、筆者はそれなりに小さいころから漫画やアニメを見てきて、「ひどい実写化」あるいは「完全な別作品になっているような実写化」はそこまで珍しくないからだ。
おそらく、業界全体の問題なのだろう。
むしろ、今まで問題にならなかったことがあり得ないレベルだ。
私と同世代あるいは少し年上の漫画・アニメファンにとっては「反実写化」の人は多いだろう。(ちなみに私個人はそこまで反実写ではない)
それは、今回のように、制作側の「改変」であったり、明らかに原作・原作者を軽視しているような「拝金主義」に由来するものだ。
分かりやすい例を書くと「作品の展開上絶対に恋愛関係にならない(むしろなってはいけない)2人」が実写化では今をときめくイケメン俳優と美人女優の恋愛関係になっていたことがある。
ただ、そういった作品は我々のようなオタクから批判が出ても、世間的に問題になることはほぼなかった。
漫画やアニメはあくまで「サブカルチャー」であり、ドラマや映画といった「メインカルチャー」とはパワーバランスが違いすぎたのである。
それを象徴するような話がある。
「マツコ&有吉の怒り新党」という番組で「実写化許せないという人を許せない」といった投稿があった。
マツコさんも有吉さんも「実写化批判はダサい」という意見だった。
私はこの回をちょうど見ていて違和感を持った。
マツコさんは「漫画やアニメの地位が上がったから実写化が増えた」とおっしゃっていたが、当時の私は「じゃあ何で作品の趣旨を理解していないテキトーな実写化ばっかりなんだ、地位なんか上がってないだろ」と思っていた。
決してマツコさんらの批判をしたいわけではない…のだが、当時は「実写化を批判する人はダサい」という見方が一般化しており、メインカルチャーとサブカルチャーのパワーバランスの差によって、「なぜ実写化が批判されているのか」について注目されることは少なかった。
しかし、「実写化嫌い」の人々の多くは「自分の大好きな作品をめちゃくちゃにされた」経験を持っている人なのである。
ただやみくもに嫌っているわけではなく、そこにはそれなりの理由があったわけで、その声をちゃんと聞けていれば今回のような事態は避けられたのかもしれない。
ともかくも、こういった実写化に関する問題は今回の件で初めてちゃんと認識した人が多かったのではないだろうか。
しかし、この問題は自分が認識している範囲でも結構前からある問題で、実際声は上がっていた。しかし「大きな力」に「小さな声」がかき消され続けた結果、問題視されるまでに時間がかかってしまった。
日本では「小さな声」を「大きな力」がかき消した結果大惨事になった例が今でもたくさんある。旧統一教会問題なんかはまさにそうだろう。
重要なことだが、今回はその「小さな声」が届いたわけではない。漫画やアニメのパワーバランスが以前より大きくなり(あるいはテレビ局などの力が弱まり)、そして一人の女性の犠牲によってその声を聞かざるを得なくなってしまっただけだ。
先ほど例に挙げた旧統一教会問題だって似たようなものか。
この社会はいつになったら「小さな声」が届くのだろうか。
その先は、自分にはまだ見えない。
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