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4.生い立ち(中1〜3)

皆さん。こんにちは。

今回は中学1年生〜3年生までについてを書き下ろします。

中学生になると同時に、
強い野球チームに所属するため父を除く家族で福岡に転校しました。
今となっては、首を縦に振ってくれた父に本当に感謝しかありません。

また友達0人からのスタートでしたが、
たまたま野球や運動好きな人が多く早い段階で多くの人と仲良くなりました。

レベルの高い野球がしたかった私は部活動ではなく、クラブチームに所属しました。

所属したクラブは全国大会常連の強豪で、それはもう福岡県内から集まるわけですから、めちゃくちゃ刺激的なチームでした。

今振り返ってみると、学校生活:野球生活=2:8くらいの力量で過ごしました。

学校生活では、ヤンチャなグループで色んなことを経験しました。

通っていた中学校が区で名の知れたヤンチャな学校であったため、多少は影響を受けていたと自負しております。人間は環境の生き物だという言い訳ですが。

当時の好きなファッションは、B系。
※B系とは、ダボっとしたよくイキってる中坊が着ているような服のジャンル。

XXLのダボダボのピンクのパーカーとデニムに、靴はNIKEのair forceみたいな。笑

ただ親からは勉強しないなら野球はやらせないとしこたま言われ続けていたため、勉強会はちゃんとやっており常に定期テストでは上位にいました。

学校が終わってからは、中学校の友達よりクラブチームの友達と一緒に遊んでいました。
当時は自転車さえあればどこへでも行っていました。(自転車のハンドルはもちろんイキってへんな角度)

クラブ活動では、
厳しい監督や先輩に揉まれ野球の技術だけでなく、礼儀や上下関係、人間的に大切なことを沢山学ばせていただきました。

当時の思い出は、宮崎のサンマリンスタジアム(巨人のキャンプで使われる球場)にて、1番キャッチャーで出場した際、コンタクトが片方ない状態で試合をしたことや、遠征時にチームメートが悪さをしてその友人の母親からグーで殴られていたことなど。
ここでは書き切れないほどあります。

中学生は基本皆が経験する反抗期がありますが、
親に対してはあまり無かったと聞いております。
その代わりに、コーチに噛みついたりと大変な暗黒期がありました。

3年間土日は、朝5時半起きで両親にサポートもしていただき、充実した中学野球生活を過ごすことができました。

正直、中学で野球はやりきったと思っていたので高校で続けるつもりはありませんでした。

が、高校生入学する前からなぜか高校野球部のグラウンドでインターバル走を繰り返していました、、、

何故?

続く


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