第1章「彼との出会い」〜新書「正しい病院のかかり方」ができるまで
2019年11月28日に新書「医者が教える正しい病院のかかり方」を出版しました。本連載は、この新書の企画段階を振り返り、その執筆の動機を語ったものです。
私が彼に初めて会ったのは、昨年8月のことだ。
場所は、京阪電鉄出町柳駅を出てすぐの、もつ鍋屋である。
京都の夏は、夜も蒸し暑い。
件のもつ鍋屋は大学からほど近かったが、店に着いた時にはすでに、Tシャツにひどく汗がにじんでいた。
店の扉を開け、入口にいた店員に話しかけると、すでに彼は到着しているという。
まだ約束の時刻まで10分以上あった。
座敷に案内されると、彼と思しき人物は随分前からそこにいた様子で、座布団の上であぐらをかき、スマートフォンに目を落としていた。
誘ったのは私からだ。
聞きたいことは山のようにあった。
何から話そう。
彼に会いたいと思ってから、もう2年近くが経つ。
私に気づいた彼はスマートフォンから視線を上げ、
「あぁ、どうもはじめまして!」
と屈託のない笑顔で私に話しかけた。
そして私が席に着くなり、
「何とお呼びしましょう?けいゆうさんでいいですか?」
と少しはにかんだ表情で問うた。
彼は決して医師を「先生」と呼ばない。
年齢の上下を問わず「さん」付けである。
簡単な自己紹介が済み、生ビールで乾杯したのち、彼はこう言った。
「僕はね、今日はけいゆうさんに何を聞かれても全て正直に答えますから。一切の嘘はつきません。」
緊張していた私はすでに、旧友に会ったかのような落ち着きを取り戻していた。
彼の名は、中山祐次郎。
同じ消化器外科を専門とする、私より3年上の先輩医師である。
私は彼を、随分前から「一方的に」知っていた。
当然だ。
彼はすでに、Yahoo!ニュースや日経ビジネスといった大手メディアで連載枠を持つ、押しも押されぬ人気ライターだった。
しかも彼の書く記事は、メディア内の閲覧数ランキングで常に1位、2位を争う。
その筆力は、出版業界で高く評価されていた。
加えて、彼が出版したばかりの新書「医者の本音」が売れに売れていた。
彼は、単に「文章が上手い」というのとは少し違う。
彼より豊富な語彙を巧みに操る人や、豊かな表現技術を持つ人は多くいる。
そういう技巧的な物書きではない。
彼の文章は、とにかく素直で、正直だった。
自己陶酔がない。
筆に酔うことがない。
読者に寄り添い、「知りたい」という希望を隅々まで満たし、分かりやすさを追求する。
そういうことに腐心する物書きである。
私から見れば彼は、伝えたいことを大勢の人に伝えられる、「拡声器」を多く持つ存在だった。
羨ましくて仕方がなかった。
私も書きたい。
伝えたい。
抑えきれないほどの渇望があった。
29歳の時から、大手新聞社に文章を送り続けた。
某新聞社の担当者から名前を覚えられるほどに、膨大な数の文章を書いた。
でも何も変わらなかった。
ただただ物足りなかった。
毎回文章を送るたび、投書欄への採用の電話が来るのを待つだけの日々だった。
医師として伝えたいことがあふれんばかりにあった。
日々の診療では、患者に伝えたいことを伝える時間があまりにも足りない。
毎日が「もどかしさ」との戦いだった。
その上、ネットやテレビ、書籍から、日々誤った医療情報が発信され続けている。
自分の知らないところで、多くの人が医療デマに晒されている。
情報の海に溺れ、適切であるはずの治療に不信感を抱き、私の前から去っていった患者もいた。
私は「拡声器」が欲しかった。
同時に数千人、数万人に声が届く「拡声器」が。
この思いを彼にぶつければ、きっと彼は共鳴してくれるに違いない。
彼の書いたものを数えきれないほど読んできた私は、そう確信していた。
だから私は、どうしても彼に会いたかった。
彼は福島県の一勤務医であり、関西にいる私が容易に会えるような存在では到底なかった。
ところが、その彼が1年だけ、大学院生として臨床研究を行うため京都大学にやって来る。
その情報を得たのも、日経ビジネスで彼が書いた記事からである。
またとないチャンスだった。
私はこの思いをまっすぐに彼にぶつけた。
彼は静かに傾聴し、時に驚き、時に感心し、そして時に褒めそやしたりした。
そして彼はこう言った。
「けいゆうさん、本、書きませんか?
僕なら力になれると思う。
僕は、けいゆうさんに全力で協力する。
企画書の作成から出版社への取次まで、全て僕が一緒にやる。
いいですか?これは約束です。
けいゆうさんの本がもし売れても、僕は一切の見返りはいらない。
こんな熱い思いの後輩と一緒に何かをやる。
こんなに面白いことがありますか?
それだけで十分です。」
何の邪気もなかった。
驚きだった。
誰しも、大なり小なり、自己顕示欲や承認欲求はあるのではないか。
一線で活躍するライターであれば、なおのこと、そうだと思っていた。
だが彼は依然として、私の企画に多大な時間を割いたことを表に出す素振りすらなく、傍観者を「装って」いるのだ。
(第二章に続く)