第2章「孤独な戦い」〜新書「正しい病院のかかり方」ができるまで
2019年11月28日に新書「医者が教える正しい病院のかかり方」を出版しました。本連載は、この新書の企画段階を振り返り、その執筆の動機を語ったものです。
(第1章はこちら)
2014年春、私は初めて自分で書いた文章を朝日新聞社に送った。
天声人語にあった、元経団連会長、石坂泰三氏の逸話がきっかけだった。
同氏は医療に対して後ろ向きで、
「15分や20分ぐらい診た医者に(自分のことが)わかってたまるか」
と言い、健康維持にも全く無頓着だったという。
しかし記事では、同氏が最終的には長命であったことに触れ、そのたくましい死生観を紹介していた。
病気の予防や検診の重要性が軽視されないか、底知れぬ不安を抱いた私は、即座に同新聞社に文章を送りつけた。
私たち医師は、同氏と似たような考えを持つ人によく出会う。
定期的な検診や適切な治療を勧めても聞く耳を持たず、
「自分の体は自分で責任を取るから放っておいてくれ」
と言う。
ところが、病状が悪化すると、治療に難渋する。
本人も辛い思いをする。
「もっと真面目に治療に取り組んでおけば良かった」
後悔の声を本人から聞くことも多い。
何より、日々病院に通いながら患者の心と体を支える重責を担う家族は、徐々に疲弊していく。
家族関係が壊れることもある。
「自分の体の責任を自分だけで取る」というのは、現実問題として難しい。
人と人とは支え合って生きている。
健康の維持は本人のためだけではないのだ。
このことを書き連ねたところ、運良く朝日新聞の投書欄に掲載された。
こんなことが何度もあった。
新聞だけではない。
テレビ、ネット、週刊誌、書籍。
とにかく、毎日のように「物申したいこと」があった。
その後、約3年に渡り、私は複数の新聞社や出版社に文章を送り続けた。
目的は「全国に流通する紙媒体に自分の文章を載せること」だけではなかった。
これをきっかけに「声の大きな誰か」から認知してもらい、大きなプラットフォームで発信するチャンスを得ることが最大の目的だった。
患者から、
「ある週刊誌で知った健康法がいいらしいので治療はやめたい」
「ネットでこの薬は危ないと書いてあったから飲みたくない」
「テレビで〇〇手術は危険だと知った」
といった声を聞くことは日常茶飯事である。
診察室に来る前から、もう勝負はついているのだ。
私は、診察室から出て同じ土俵で戦わねばならない。
切迫した想いがあった。
だが、そんなチャンスもないままに、時は過ぎた。
2017年5月、私は新たな挑戦をすることにした。
医療情報ウェブサイトの開設である。
どうやら、多くの患者は病院に来る前に病気や症状を "ググって" いるらしい。
であるなら、ググった先に適切なコンテンツがあれば問題は解決するのではないか。
当時、ネット上の医療情報は乱れていた。
のちにBuzzfeed Medicalの医学部出身ライター(現朝日新聞社)、朽木誠一郎氏が白日の下に晒したWELQ問題。
(WELQ問題についてはこちらの記事を参照)
その他、多くの医療・健康系キュレーションサイトが、検索エンジンの上位を独占していた。
読者に健康被害を引き起こしかねない、あまりにも杜撰なコンテンツの数々。
私はここに勝負をかけることにした。
200以上のウェブサイトを研究し、SEOを徹底的に学習した。
多数のコンテンツを自分のウェブサイトで作成し、その多くで検索エンジンの上位表示に成功した。
開設4ヶ月後には、1ヶ月あたりの閲覧数が60万PVを超えていた。
当時私は、右肩関節の腱板断裂という大怪我のせいで手術を受けたばかりで、右腕がギプスで固定されていた。
一人で入浴や更衣すらできず、妻の介助が必要だった。
約1年にわたる週3回のリハビリ通院も堪えた。
それでも、左手1本で記事を書き続けた。
私が件のもつ鍋屋の座敷で、初対面の中山祐次郎氏を前に滔々と語ったのは、こんな話である。
「書きたい」「伝えたい」という気持ちだけは、誰にも負けない。
この想いに彼は共鳴してくれたのだ。
のちに彼は、この時の私の想いを『狂気』と呼んだ。
(第3章に続く)