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「アナウンサーたちの戦争」をみて、戦争と放送を考える:一戸信哉の「のへメモ」 20240901

劇場版「アナウンサーたちの戦争」を見てきました。NHKでの放映時にも目にしていたので迷いましたが、新潟での上映もそろそろ終わりそうなので、夜の上映に足を運びました。

現代に生きる私たちには、戦時中のラジオ放送が持っていた戦意高揚の力を実感することは難しいかもしれません。映画の中でアナウンサーたちが発する声の抑揚も、あの時代本当にこんな感じだったのか?と感じるところはありました。実際のアナウンスの音声は、NHKが放送前にまとめたページである程度確認できます。やはり映画でいうほどの「力」は感じませんでした。

https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=C0060973

しかし、当時の人々にとって、ラジオを通じて、プロの声で届けられる言葉には、計り知れないインパクトがあったのだと思います。

映画の中で、昭和15年の招魂祭のシーンが印象に残りました。主人公の和田が「母さん、元気かい」という語りかけで放送を始め、ラジオの前に座る遺族が涙を流す場面が描かれています(軍関係者には叱責されます)。このシーンは実際にこちらの動画でも紹介されていますので、ぜひご覧ください。これが本当にあったのか、実際の音源を聞いてみたいと思いました。


放送局や局員たちは、社会の要請に応えるためにやむを得ずプロパガンダを担ったのか。それとも時局に合わせた放送をすることに、放送人としての使命を見出したのか。開戦時の議論の中に、彼らの葛藤が浮かび上がっていました。

学徒出陣で戦地に向かうことになった学生が主人公に、「どうせあなたは戦争にはいかないだろう」とぶつけるシーンもありました。安全な場所で「伝える言葉」に悩んでいたアナウンサーたちの苦悩は、前線で命を落とした人々の苦しみに比べて大したことではないように見えるかもしれません。ですが、実際には多くの放送人が、外地でプロパガンダ放送を行うために送り出され、命を落としたことも描かれています。

私たちがこの映画から何を感じ、何を学べるのか。特にラジオ番組を作るメンバーにあらためて考えてほしいのは、声の抑揚や読み方一つで、伝わり方が大きく変わるということです。その伝え方の違いが、場合によっては社会に重大な影響を与えることもあります。確かに、現代のラジオの影響力はかつてほど強くはないかもしれません。しかし、放送に携わる者として、発する言葉の一つ一つに責任を持ち、その重さを意識することは、今も昔も変わらない重要な役割でしょう。

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