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大倉喜八郎と台湾出兵:一戸信哉の「のへメモ」 20240310
自宅のHDDレコーダーに、NHKの「大倉喜八郎」特集が録画されていました。「知恵泉:明治の実業家・大倉喜八郎から学ぶ、ゼロからの成功術 先人たちの底力」という番組です。新発田藩出身の実業家、大倉喜八郎の偉業について、起業家のゲストを交えながら紹介する番組です。
この番組の影響か、2021年に、新発田への蔵春閣移築について、学生たちがどんな反応を示しているか書いた記事にも、多少のアクセスがありました。
この記事の後、無事蔵春閣の公開は始まり、新発田の新しい観光名所として、期待されています。
番組の中で、若い頃の大倉のエピソードとして、「台湾出兵」の話が登場しています。大倉喜八郎本を買うだけ買って、ちゃんと読んでいなかったので、私も実は知らなかったのですが、昨年度・今年度と、台湾と沖縄で見てきたものと、大倉喜八郎がつながりました。
1874年の台湾出兵は、台湾で殺害された宮古島民の「保護」、あるいはこれに対する報復として行われていて、日本の台湾への領土的野心も背景にあったとは思いますが、まずは沖縄本島、八重山諸島の領有権を明確にするというのが大きな狙いであった時期かと思います。
台湾出兵の後、1879年に沖縄県が設置され、さらに1880年には米グラント将軍の仲介で日清が交渉、琉球を分割し、宮古・八重山を清国領とする案で、一度両国は合意しています(その後最終的には、日清戦争により、沖縄・八重山はもちろん、台湾も日本が領有することになります)。
現代の感覚でいうと、宮古の島民が台湾で犠牲になったことに対して、日本側が抗議するのは当然のようにも見えます。しかしこの時、琉球や宮古が置かれていた状況を考えると、日本政府の政治的意図によって、(思い切って)台湾出兵を行っていたことがうかがわれます。
台湾出兵の是非については、日本政府内でも意見が割れていて、出兵を支援する民間企業にも大きなリスクがあり、三井などの大手が二の足を踏む中で、あえてこれを引き受けたのが、大倉喜八郎だったという説明でした。この困難な事業をなしとげたことで、大倉喜八郎は事業発展のきっかけをつかんだ、のだそうです。
一方、台湾と沖縄には、台湾出兵に関する史跡が残っています。西郷従道率いる日本軍が攻め込んだことで、台湾の現地住民にも多くの犠牲が出ました。そもそも宮古の島民が漂流の末に、屏東にたどり着き、その後なぜ殺されてしまったのかは、よくわかっていません。おそらく両者の間に何らかの行き違いがあったのだとは思います。ただそれは、日本と清国の存亡に関わる話だったわけではなく、日本政府がこれを利用したのではないかとは感じます。
台湾屏東県と那覇に、それぞれ宮古住民の墓があります。
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また台湾では「牡丹社事件」、パイワン族の人々が犠牲になった事件として知られていて、南部屏東県に、記念公園が整備されています。
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私の担当する授業として、海外と国内での研修・撮影を伴う収集講義を実施しています。2022年度に台湾、2023年度に沖縄を訪問し、それぞれ「台湾出兵」に関係する場所を訪問しています。
牡丹社事件 マブイの行方ー日本と台湾、それぞれの和解 https://amzn.to/3VtHnYT