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日本サッカーは、なぜ年齢が上がるにつれて世界との差が開いていくのだろうか。ユースまでは強いのに…。その理由を考察する

河内一馬さんの著書より

日本サッカーは、「子供」の段階では世界のトップに引けを取らず、年代が上がるにつれて世界のトップから離されていく。
よく議論されるテーマだが、これは「フィジカルの差が出てくるから」あるいは「育て方が悪いから」などの理由というよりは、子どものサッカーにおいては「相手プレイヤーに影響を与える手段」としてほとんどの比重をしめるのが「技術」であるから、である。
年代が上がるにつれて、サッカーというゲームでは「技術的な影響」以上に、「戦術的な影響」「精神的な影響」「身体的な影響」「社会的な影響」がより多くの比重を占めていく。
それ以外にも無数の「影響の与え方(与えられ方)」が存在しており、それはピッチ内の要因に留まらない。日本は技術の国なのである。しかしサッカーは、影響のゲームだ。

河内氏のこちらの著書は、非常に興味深い視点で、深い思考の末に書かれている。

彼の視点は、非常に面白い。

日本サッカーは年齢が上がるにつれて世界トップから離されていく。引用部のテーマを抜粋して、その理由を考察していきたい。

育成年代が強い理由

「日本は技術の国なのである」と河内氏がいうように、やはり相対的に器用な子供が多いように思う。中南米を旅していた時に幾つかの国の子どもたちとサッカーをしてきたけれど、日本の子たちの方がボール扱いは上手いな、という印象を持った。

日本の育成年代の現場を見ていても、ボールを自由に扱うことを非常に重視する傾向がある。

リフティング、ドリブル練習に没頭する結果、”ボール扱い”の上手さという点において世界に引けを取らないし、むしろ高いように思う。

また、海外の子供たちの方がサッカーをより”遊び”として捉えているのに対して、日本の子どもたちはサッカーをより”本気・真剣”と捉えている傾向があることが影響しているかもしれない。
あるいは、海外の子供たちの方がサッカーをより”表現”するものと捉えているのに対して、日本の子供たちはサッカーをより”制御”するものと捉えている傾向にあるからかもしれない。

いや、「子供たち」ではなく「大人たち」と言った方が適切かもしれない。

私たちは子どものうちから感情を制御すること、大人の教えを守ることを徹底的に叩き込まれ、大人も制御することを重視する。
年功序列社会、一方的な教育文化の影響もあるかもしれない。

これらはネガティブに捉えられるかもしれない。いや、どの時間軸で捉えるかで評価は変化する。しかし、短い時間軸で捉えるならば、つまり育成年代においての結果が世界トップということになるならば、極めて成功に近いとも言えるのではないかと思われる。
他国が、どの時間軸で捉えているかを無視すればの話だけれど。

育成年代における優位性の考察

では、育成年代において結果に貢献していることはなんだろうか。
この視点で考えると、「本気・真剣」「制御」というテーマは鍵になるような気がしている。
技術の高さに加えて、指導者の教えを忠実に守ることができるという点においては、海外の指導者が日本の子供を指導する際にも評価が高い。
日本の子たちは技術が高く、言われたことを忠実に実行できる。その点において素晴らしい。日本の育成年代が強い理由は、統率されていて、機動力が高いと言われる。その点において海外の育成年代よりも優位であると。

これらを後押しするのが「強制力」なのではないかと思われる。
これは指導する側の影響力と言えるが、子供たちが教えに忠実で従順であるが故に、結果にコミットさせやすいということが考えられる。
強豪国よりも、先回りして教え、それを徹底的に仕込む傾向がある。

あらゆる犠牲を伴っても、勝利に貢献する姿勢は美談になり、讃えられる。

続いて、犠牲になっていることについても書いておきたい。

犠牲になっていること

育成年代における優位性を考察してみたが、ではそれらによって犠牲になっていることはなんだろうか。

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