《お念仏だより#59》悟りの境地
悟りを開くとか
悟りの境地とか
・・・
悟りとはいったい
何でしょうか?
悟りはよく
山登りに例えられます。
山のふもとで
見える景色は
わずかですが、
登れば登るほど
見えるものが
増えていきます。
同じように
浅い悟りでは、
わずかなことしか
理解できませんが、
悟りが深まると
多くのことが
わかるようになります。
山を登っている間は、
見える景色が少しずつ
変わっていきますが、
頂上に着くと、
360度、視界が開けます。
悟りも、
途中の段階では、
少しずつの進歩ですが、
最高の悟りである
「正覚」に到達すると
いきなり、すべてが
わかるようになるのです。
しかし、いくら厳しい
修行を積んでも、
正覚に到達するのは
並大抵のことでは
ありません。
最高の悟りである
正覚を得た人間は、
お釈迦様ただ一人です。
そこで、お釈迦様のことを
ブッダとよぶのです。
釈迦如来ともいわれます。
人間の知らない世界には、
他にもたくさんの
仏がいます。
名前に
如来とついているのは、
皆、正覚を得た
仏様です。
次は、そんな仏様の一人、
阿弥陀如来の
話をしましょう。
正覚の一歩手前で
修行している人を
菩薩といいます。
阿弥陀如来は
如来となる前
法蔵菩薩という
名前でした。
法蔵菩薩は、
理想の国を作りたいと思い、
48の目標を立てました。
これを四十八願といいます。
やがて、法蔵菩薩は
すべての願を叶えて、
理想の国を作り、
阿弥陀如来となりました。
その国のことを
西方極楽浄土
といいます。
南無阿弥陀仏と
称える者は、
誰でも生まれることのできる
幸せに満ち溢れた国です。
南無阿弥陀仏