クサいモノには蓋をした「だけ」
芸能界のよしなしごとをどうこう言うのは趣味ではないけど…
NHKという公共放送が受信料徴収によって運営されている以上、どうしても民放のような対応だけでは許されにくいと思ったのでしょう…
配信、販売分を考えて、過去出演分まで撮り直しをすることになったようですが、そのことを聞いたときにタイトルのようなことを思ったわけです。
自由な使用許可のない嗜好品に手を出してしまったことについては、瀧氏が悪いのですが、芸能界に限らず世の中には一定の数は犯罪とされるものに関わってしまう人間は存在します。
では、その人が関わったものまでその人の痕跡を消してしまうのは如何なものだろうか?と思うわけです。
別に「作品に罪なし」みたいな偉そうなことは言いません。
しかし、人間社会を見回してみると身のまわりで良からぬ事は起きているわけです。
治安が特別悪い場所に住んでいなくても、昨今は盗撮や知らない人から声をかけられるということは、通報事案になっているわけでして「毎日のように身のまわりでは何かしら警察沙汰になっている」わけです。
そう考えると、ちょっとした犯罪者とは同じ空間に身を置いているわけで、別に隔離されたりはしていない状態で生活をしていますよね。
ただ、俗に「悪い事をしている人」と共に生活するからと言って、自分まで悪くなるかどうか?というのは別ですし、いわゆる「気の持ちようで如何様にもなる」というものではないでしょうか?
それを、排除、排除…としていくのは、記事にもありますが無菌状態というか、タイトルの通り『クサいモノには蓋をした「だけ」』ではないのかと思うわけです。
今は情報が不必要に溢れかえる時代なのですが、やれ○○が悪い…××が健康面に問題がある…と騒がれたら、あっと言う間に条例や法律が生まれてしまいます。
寛容な世の中であるか否かは別として、肝心なところで人間関係が希薄な社会のわりに、急に自分の好き嫌いの話になったら「世の中は~」と騒ぎだしているように思います。
身を守る努力には違いないのかもしれないので、その部分での評価は出来るのですが、そもそもそれを大きな声をあげてやり抜くようなことなのか?と考えると、随分レベルの低い話ではないか?とも思います。
別にあらゆる犯罪者、悪人と共存していけとは思いません。一定の悪を行った場合は、然るべき裁きの元、然るべき場所へ身を置くことは意味があると思います。
薬物犯罪を寛容、不寛容で処理するものではないのは承知なのですが、薬物だから一様にダメなのか?と言えば、医療目的であれば一定の意味がある、存在してもらわないと困るものだったりするわけで、それそのものに罪があるわけではないです。
同様に、芸能界は少々世間様とは違う世界のようですが、別に芸能人だから悪い人ばかりみたいに単純化するのはこれまた思考形態が貧弱だなと。
薬物がこの世の中で役にたっているように、芸能人だってその存在は尊いわけです。
上っ面というか、新聞で言ったら一面の記事のタイトルみたいな大きさのカテゴリで括って「良いの悪いの」と言い出すのはお粗末だなと思いますね。
肉体的、精神的に「健康に生きていく」と願うなら、良い事だけをしたり、取り入れたりするのではなく、良くない事、理屈じゃない事にも手を出していくのが人間らしさではないのかなと思います。
だからと言って、工場のばい煙の近くに住んだら良いとか、飲酒や喫煙をたくさんしましょうとは言ってませんよ…
「程度の問題」という都合の良い言葉があるのですが、正にそういうことじゃないですかね。
世の中には本当に見なくて良い事、経験しなくて良い事はあります。
そういうものは、是非とも遠ざけて、知らないで生活していけばいいと思います。
そこまでではない事については、手を染めたり、首を突っ込んだりする必要は無いにしても、知っておくことで経験値を高める事ができるかと思います。
知らぬ存ぜぬで生きるのは、単に努力不足であって、軽やかな生き方というよりは軽薄な生き方だと思うんですよ。
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