3.11の話。東北のおじさんが教えてくれた東日本大地震。
今日は3月11日。
毎年この時期になると、思い出す話がある。
東日本大地震から7年。
まだ10代で、世間のことは何も知らない僕でも事の重大さは、一日中流れるニュースから伝わってきました。
東日本に住んでるから地震も大きかったけど、一番大きな被害が出た津波の被害はありませんでしたが、ヒッチハイクの岩手県を横断している時に、乗せてもらった運転手の方から"リアルな津波の話"を聞く事ができました。
今日のテーマ:3/11の話。岩手のおじさんが教えてくれた東日本大地震。
その時は、確か青森へ向かうヒッチハイク3日目で、仙台から岩手県へ向かおうとヒッチハイクしている時でした。
季節は、9月中旬。
(少し生意気そうですね笑)
こんな感じで1時間くらいスケッチブックを掲げている時、
40~50代のおじさんとそのお母さんの車が止まってくれて、
岩手県まで乗せてもらえることになりました。
1時間近く立っていたので、本当にありがたかったです。
目的地まで乗せてくれるだけでありがたいのに、
「お前ら腹減ってるだろ」とラーメンまで奢っていただけることに。
寒い時に、食べる味噌ラーメンはとっても美味しかったです。
ラーメンも食べ終えて、海岸沿いの道を走っている時、地震の話になりました。
こちらとしても、現地の人に地震や津波のお話を伺うのは、
失礼かなと思ってました。
でも、少し悲しそうに当時のことを教えてくれました。
「ここら辺も地震の時はすごかったんだよー」
と悲しそうに話し出しました。
「その当時はトラックの運転手やっててね」
「ちょうど海岸沿いに運転してる時に地震きてさ」
「逃げようにも混んじゃってて」
「なかなか高台まで逃げられなかったんだよ」
「そうしたら、波が手前まで来ちゃったから」
「とりあえず、トラックの荷台に上がったんだけど」
「トラックごと流されちゃったんだよ」
「このまま死んじゃうのかなーって思いながら流されていたら」
「たまたまトラックが家の2階部分に引っかかってくれたから」
「その家の屋根に飛び移って、そのまま屋根の上で一晩過ごしたんだよ」
「まー、なんとか一晩経って救出された後に、道を通って避難所に向かう時」
「そこら中に津波に流された人が転がっててね」
「家族は無事だったけど、友人も流されちゃってつらかったよ」
と話してくれた。
その先は、聞けなかった。
僕たちは、ひたすらうなずきながら話を聞くことしかできなかった。
その方は、救出された次の日からすぐに、会社に残っていたトラックを使って、救援物資を取りに行ったらしい。
被災者でもあるおじさんが、みんなのために動いていた。
その時に、乗せてくれた人の優しさがわかったと同時に、
急にヒッチハイクしてることが申し訳なくなった。
タダで乗せてもらった挙句に、ごはんまで奢ってもらった。
僕らができるお返しは、お礼を言うことしかできない。
そんなことを考えて、少し暗い顔していたと思う。
でも、目的地で降ろしてもらう時、おじさんから
「ヒッチハイクするなんてすごいよな」
「これから君たち若い人が、日本を元気にしていってね!」
と声をかけられて元気が出た。
ヒッチハイクさせてくれただけではなく、励まされてしまった。
それから2年が経った。
まだ社会人にもなれていないし、社会に貢献できてもいない。
でも、あの時被災した生々しいお話が聞けたこと・励まされたことは、
ずっと心に残っている。
おじさんの言葉を忘れず、社会を少しでも元気にできるように頑張っていきたい。
今日も覗きに来てくれてありがとうございます!
ではまた明日!
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