【旅行記】山陰を走って、歩いて、冒険した【2日目】
山陰への旅行記として始めた記事ですが、こちらはこの旅行の本目的である山陰ジオパークトレイルを歩いてみた、という記事になります。
先の記事でも書きましたが、山陰ジオパークトレイルのすべての行程は約230キロになる。
しかし、公式のHPでは、全230キロを27のコースに分けて紹介いただいています。
今回、宿の場所や行きたかった経ヶ岬との距離を考えた結果、選出したのはコース22とコース23を1日で歩きとおすこと。
コース22は小天橋から浜詰夕日ヶ浦キャンプ場まで6.5キロ
コース23は浜詰夕日ヶ浦キャンプ場から八丁浜シーサードパークまで11.9キロ
合計18.4キロの道のり。
この道のりの実際の行程はYAMAPで記録しているので参考に貼っておきます。
さすれば、出発!
■小天橋~浜詰夕日が浦海水浴場
京都丹後鉄道で始まりの地、小天橋に行くために、小天橋駅まで行く。
レトロだけど綺麗なワンマン電車で駅までついたのだが
駅は無人駅で電車内で運賃を払う形式でかなり戸惑った。
駅を後にしたが、トレイルコースまで少し歩く。
久美浜沿いに歩くと美しい風景が朝の空気とともに体に入ってくる。
町の雰囲気もいいなと思いながら歩くと、小天橋という標識を見つける。
ここから、トレイルの道標なり、それらしきものを見つけようと思うが、
うろうろしても見つからないので、取り合えず出発してしまった。
個人的に川をまたぐ歩道橋、みやこ小橋はいいスポットと思う。
少し歩くと、海水浴のできる浜(小天橋海水浴場)に着き、ここからこのトレイルが始まるのだと感じる。
浜は海水浴客で満員という感じで、少し疎外感を感じる。
けれど、浜とトレイルコースは一応分離されていて、俺の良く道はこれだと感じ覚悟をもって進んだ
そんな覚悟も暑さの前に数分で崩れ去る。
シューズとソックスをはいている足が暑すぎて、高尚な覚悟はもろくも崩れ去り、浜を裸足で歩くことにする。
ただし、やはり砂浜の砂も非常に熱くなっているので濡れることを覚悟して波打ち際を歩かなければ意味がない。
海水浴客の爽やかな水遊びの中にあって、汗を拭くことも諦めて砂と波飛沫に塗れる。
海水浴客やサーファーたちの間に入り、怪訝な目を向けられながら黙々と歩を進める。
夕日が浦の海水浴場手前で、海鳥?が大量にいて可愛かった。
そのせいかわからんが、有名なブランコをいつの間にか通り過ぎてしまった。
■志布比神社~五色浜
この夕日が浦の海水浴場を抜けると一旦道路に出る。
満員の海水浴場を脇目に人気のない方へ‥
志布比神社なるものがあったので参拝。
さらに愛宕神社がその上にあったので参拝。
さあ降りてトレイルに戻るぞ、となったところで、来た道と違う道を発見。
問題はこの道、半分朽ちかけている。
丁度半分くらいの程度で朽ちている。
目に見える範囲のみで、その先は問題ないのかもしれない。
でも、あまり人が通った形跡がない。まったくないわけではない、、。
数分迷った挙句「人生は冒険や」という名言を思い出し、「冒険」に出る。
冒険は失敗だった。。
道は何とか降りれたが、だんだんと朽ちていき道路に出る間際、崩れた鳥居があり崩落もあり、道は途切れていた。
回り道をして何とか降りたが、蜘蛛の巣をたんまり絡めとり、汗とマリアージュして何とも気持ち悪い。神はいないのか。。いやこれは100%俺が悪い。
いろんなところを点検して、蜘蛛の巣と汗の無駄にキラキラした不愉快な物体を取り除いていく。海にダイブしたかった。
気を取り直して、トレイルの続きを行く。
トレイルの道標をこの辺りでようやく発見した。
浜から漁港となり、小型の船が陸にあげられていたり、係留していたりしている。
山に入ったり、港に出たり、いくつか繰り返した。
そろそろ疲れてきた。
昼時も少しすぎていたのだが、食べるところはこの先しばらくなさそう。
浜で海の家に行ったらよかった。
小川にかかる橋にて休憩した。木陰になっていて気持ちいい。
多めに持ってきていた水分と塩分と行動食をもりもり食う。
川で手ぬぐいを濡らして、首に巻くと気持ちいい。
服はもうすべての箇所が濡れている。
日焼け止めを塗りなおす。
30分ほど休憩したら、少し元気が回復した。
山道を行くと、すぐに五色浜に出る。
有名なスポットのようだが、あまり見学せずに通り過ぎてしまった。
■七竜峠
五色浜を出ると、道路を歩くことになる。
やはり照り返しがきつくなってくるのと、登り傾斜もきつい。
水や塩分をとりながら、一歩一歩進む。
七竜峠を迎えると、休憩所になっているので少し休憩。眺望もなかなかいい。
立て看板に、七竜峠に関する伝説があった。
・飛ばしてもいい自己満の話
(七竜峠に関する伝説を意訳して要約)
『旅人が七竜峠で休んでいると一匹の蛇が近づいてきて、人懐こそうにするので、イタズラ心で持っていた煙草で頭を小突いてしまった。
するとみるみる巨大に変化したその蛇は旅人を飲んでしまった。
村人はこの蛇を怖れ「七竜のへび」と呼んだ。やがて蛇は神であるとして、信仰され七竜神社がたてられた』
この伝説、なんかがっかりしませんか?
なんか期待してたのと違うって感じがして、、
七竜峠ですよ、セブンドラゴンですよ、その伝説レジェンドにはどうしても期待値が上がってしまっていたので少しがっかりしてしまったのです。
(勝手な期待と勝手な失望!)
立て看板の情報では、すでに七竜峠と名付けられた後の事件なのか、
まず「七竜のへび」事件があり、それに因んで七竜峠と名付けたのか、
よくわからなかったのもモヤっとポイント。
悔しかった?ので帰ってきてから調べたら、それでもよくわからなかったのだが、非常にいいサイトを見つけた。
丹後の地名というサイト。
最近、民俗学という学問領域があることを知り、興味深いと思っているが、これはまさに地域伝承や習俗などを研究対象にするものであり、
やや懐かしいHTMLのサイトであるが、ざっと見渡すだけでかなりの情報量が乗っているこのサイトは素晴らしいと思う。
(シンデレラや落窪物語に似た伝承があるというページには、OEDというワードがあって少しテンアゲ)
さらにいうと、直接関係ないが
蛇と竜の関係について、コテンラジオで現在やっている龍に関するエピソードで面白い話を聞いた。
こちらで、言う限り、
まず、古代中国に龍という概念や実態があった。
また、インド神話でナーガと呼ばれる蛇神(水神)が存在しており、インド仏教にも組み込まれていた。
仏典が中国に持ち込まれる際にナーガは「竜」や「竜王」として訳されたという。(おそらくナーガールジュナ=龍樹との訳もここからきている?)
ということで竜と蛇というのは歴史的につながりがある。
同一視していてもおかしくはない気がするし、ヤマタノオロチなども蛇としての認識をしているが、竜としてとらえても大意は変わらなさそう。
要は荒ぶる水神をどのような呼称にするか、である。
ここまで調べて、妙な納得感が去来し
「七竜のへび」が先か、七竜の地名が先か、などどうでもよくなってきた。
話をトレイルに戻して、、、
七竜峠で、七竜のパワー?を授かり、また舗装路を歩く。
少し下っていくが、また登りになっていく。
■静神社~子午線公園
静神社は、静御前を祀っている神社。
飾り気はないし大きくもないが、割と好きな雰囲気。
静御前は源義経公の愛妾だそうだ。
この丹後に生家を持ち、京都で白拍子(舞妓みたいなもの?)をしているときに、義経に見染められるが、義経が兄である頼朝と仲たがいして以降、幽閉されたりと、大変な目にあうが、何とか余生は故郷のこの地で過ごしたようだ。
そんな静御前の生誕の地も神社の近くに石碑が建っており、案内されている。
ガッツリ港の集落の真ん中にあるのだが、見晴らしがよく、地元民からも特別視しされていたのだろうと思いをはせてみる。
ここを過ぎると、もう少し登ることになる。
最後の登りだと思って、足に力を入れる。
登り切った後に出てくるのが、子午線公園。
日本標準時子午線である東経135度を通り、本州で最も北にある地だという。
ここまでくるとあとはゴールを目指すだけで少し気が抜ける。
休憩をとって、行動食などの栄養も摂取。
と、最後は疲れでヨロヨロとあるきながらフィニッシュ。
スタートと同じようにゴールもよくわからずフラフラして、なんとなく終わった。
静の里という、温泉施設に寄って汗を流す。
日焼け止めを塗っていても焼けた肌が痛い。
でも一日の疲労をねぎらうこの時間が愛おしい。
風呂から上がって、スプライトで乾杯。
汗を流すとはこのことか。
久しぶりのサラサラ爽やか爽感!
さて、帰りますか。と最寄り駅の網野駅までの経路を調べると、
え、徒歩40分!?
しまった!帰りのことあんま調べてなかった!
バスもあるけど、ここまで来たら徒歩にこだわりたくなってきた。
駅へと歩き出したら、吹き出す汗。
またしても汗ダク大盛りに逆戻り。
コンビニに寄って涼んだりしながら駅までえっちらおっちら。
珍しい形の網野駅について本日は終了!
汗ダクで宿までついて、汗ダクで焼き鳥屋行って、大盛りのご飯と生大いただきました😊
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