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クレイジースロット的ななにか

下書きで書いてた時には違うことを思ってたけど
全然別の方向から、その話につながって、理解が進んだけど、ちょっと失望してるって話。

わざと抽象的に言うとそんな感じ。



とりあえずクレイジースロットって何かというと

言わずもがなですやん、とかいうともう老害の始まりなので
しっかり概要を説明しておく。

大人気漫画『HUNTER×HUNTER』の登場人物カイトの念能力である。

気狂いピエロクレイジースロット
というのが漫画での正しい表記。

すげーつえーやつの能力なんだけど、かなり運任せの能力になっている。
漫画の設定上、能力は自分でデザインして磨いていくものなのに何故か運次第なデザインにしているのは誰もわからない。
(「制約と誓約」という概念があるのでそれかも。)


ここからは自分の話。

全く違う話するけど、いまだに一人称は何を使うのが最適かわからない。
俺?僕?私?

これからも一人称ブレブレでいくので覚悟してください。

そんなワタクシですが、
予定調和を崩したくなる瞬間が割とある。
いい年して恥ずかしい話をしていることは重々承知している。)

例えば会話。
初対面でする会話なんて数パターンしかなくて、それに辟易してしまう。

(だからと言って初対面の人にクレイジーな話題をぶつけるほど肝が据わっているわけでもない)

友達との会話だって、かなり似たり寄ったりな話題でうめつくされる瞬間があってそういう時に心底退屈を感じてしまう。
だから新たな展開を生み出そうとして、話の腰を折ってしまい場をしらけさせたことが何回もある。
同じ話を何回もしすぎて、話始めたものの、やめてしまったこともある。

奇人エピソードを自慢したいのではない。

生活でもそうだ。
習慣とか、ルーティーンとか、いつも通り同じように、ということに退屈してしまう。

言い訳するわけでもないけど、「習慣づけ」はできなくもない。
三日坊主にならずに続けることができる。
ただ、1か月~3か月くらいしたときにフツっとやめてしまう。
三か月坊主という言葉があればいいのに。


そこに習慣づけののストレスがあるから、というよりも
習慣に基づいて生活していることに嫌気がさす。

例えば、ソシャゲをやるとログインボーナスやデイリーミッションをこなすことがほとんど大前提で、それを実行しないとゲーム進捗が著しく悪くなる。

だから、毎日ログインして、ミッションをこなして、ゲーム攻略をする。
その時僕は楽しさを感じている。

何度も失敗したミッションをクリアしたときや
コツコツ貯めたポイントでレアガチャを回す瞬間、
脳汁が出る瞬間がたまらなくて、日々楽しんでいる。

それを3か月ほど続けたある日、ふと窮屈になってしまう。
しばらくログインしなくなって、ある日アプリを削除する。
そんなことを何十回とやってきた。


飽き性なのか?本当か?


これは「飽き性」という俺の性分なのだと片付けてしまってもよい。
そうだ、世間はお前などに興味はないので、早くそういうことにして話を切り上げろ。

そうだな、そういうことにしよう。
そんで、初対面の人とこんな変な会話をしたんだという話を書けばいい。
クレイジースロット的ななにかを作って、会話内容や行動を決めればいい。

全然盛り上がらずむしろ怒られた、とかいう話にすればいい。
奇跡的に盛り上がった、とかいう話でもいいかもしれない。

今度そんな話をするから楽しみにまっててくれ。



・・・

まあ、そんなことを下書きを書いた時には思ってた。



最近、モチベーションがない

ところで、また違う話なんですが、ちょっと相談したいことがあります。
悩んでいます。

最近モチベーションがわきません。
仕事の話です。仕事へのモチベーションがないです。

そんなこと万人が抱く悩みなのでわざわざ書くこともない、とだれかは言うかもしれない。

ただ、ワイはモチベーションを簡単に上げられるということを長所の一つとして持ってたんや。
だからそんな悩みは今までなかった。

いや言い過ぎた。
そういう悩みはつい最近抱えていた。
全く何の気力もない状態。


だから転職することにした。それなのに。

この異常事態は外部要因によるもであると思っていたからこそ
環境を変えるべく、会社を去り、新たな環境へと飛び込んだ。

そして今。

やはりモチベーションがどこから来ていたのか全く分からない。
どこにもいない。
向かいのホーム、路地裏の窓、
カバンの中も机の中も
君はいない その事実に Cry…そりゃ苦しいよな


ふざけてみてもこれは一大事だと思っていて
人生の生き方を左右しそうなので最近かなり考えている。


それで、仕事以外のことも考えてみた。

メンタル病んで以降、自己愛をかなり大切にしている。
甘やかすときは甘やかす。

そのおかげでかなり酒を飲んで飲んだくれてる。

それに趣味や楽しみとして、本を読んだり、映画ドラマを楽しんだりしている。
正直いま人生でかなり充実した時期かもしれない。

そういったことには指向性があって向かっていきやすい。


ランニングはどうだ?

今年の年明けから定期的に走っている。
これもあまりストレスにならないようにしているので、割と楽しんで続けている。
ランニングも趣味としていいのかもしれない。

が、8-9月は全然走れてない。

ちょっといろんな用事が重なったのでそういった影響もあるが
それもひと段落したいま、
走らなければならないと思いつつ中々走り出せない。



いまの結論:目的的なことに向かっていけない

これこそ儂の生来の性分と言えることかもしれないけど
目的的行動が苦手、それを本心でやれない。

目的的という言葉の意味が急に不安になったので調べたら
どこかの小学校の学校新聞のようなものが出てきた。

https://www.kuki-city.ed.jp/shobu-e/attach/get2/1235/0

校長先生が書いた文章のようで、少し引用する。

私は運動をするのですが、「やせるため」「健康のため」などの目的に向 けて運動してしまっています。こういうのを「目的的」な行動と言うのだそ うです。運動自体が目的になってはいないわけで、楽しんでいるとは言えな いなと、子どもたちを見て反省したところです。例えば「勝つために練習を する!」当たり前のようですが、「『勝つ』が目的になっていないか?」 「スポーツそのものを楽しんでいるか?」という視点に立つことも大事かな と思うわけです。
今朝もベースボールをしている子たちは、自然と笑い声、ルールについて 話し合う声などが聞こえ、プレーに一喜一憂していて本当に楽しそうです。 たくさん遊んでほしいなと思います。大人になると「目的的」になることが 多くなるかもしれませんから。 結びに、朝から運動すると学力も上がるという相関関係が明らかになって いるようです。「学力を上げる目的で運動する」ことはしませんが「楽しく 運動していたら学力もあがったよ!」と言えると最高だと思います。

もう、これ。
言いたかったのこれ。

校長先生さらっとわかりやすく書かないでよ!
アタイはこんな文字数かけて説明してんのに!


悔しいので拙僧の言葉で表現すると、
仕事とはまさに目的的にするものだ

「仕事そのもの」を楽しむなんてのは、サラリーマンやってたら永遠に不可能かもしれない。

「仕事」を分解して抽象化すれば
目標を設定して、計画し、実行することだ。
みんな大好きPDCAサイクルですよ。
めちゃくちゃ目的的行動なわけですよ。

それをしないで金を稼ぐ人もいるだろうが、今現在の俺様はそうじゃない

それに
飯を食って生きるため、老後の貯金のため
保険を払って備えるため、エトセトラ、、、

金銭を稼ぐ手段である以上
金銭に変えられるすべてのものが、仕事の目的になりえる。
だから嫌なのだ。


ランニングもちょっと目的的。だからちょっと嫌だ。

本や映画は金銭を払っているけどそれ自体は目的的でなくともよい。そういう楽しみかたをしてるので良し。

(この辺の線引きは自分の心持やフィーリングで如何様にもなるとは思う。)

冒頭で書いた、繰り返される会話への嫌悪感やソシャゲをふとやめてしまうことの説明もこれでできる。

定型の会話が繰り返されるのは、
周りのみんながすでに承知している会話内容があってそれに沿ったロールプレイングをしている気がして嫌だ。
そこには、なぜか共有された目標に向かう目的が発生してしまう。

ソシャゲも、初めは純粋に楽しんでいたものに
どんどん目的的な意味が付与されていく。
楽しくもないのに、義務でログインしてミッションをしなければならないことに冷めてしまう。


わがままいってるのわかってる

そんな乳飲み子のような戯言をいつまで言ってるんだ?
早く大人になりなさい!ブレ―ズさんとこのパスカル君はこの前「円錐曲線論」を発表したそうだぞ!

そんなことを言われることはわかってる。




言い訳がましいことを、しこしこと書いて自分語りするけど
努力してきたつもりではある。

(これまでも自分語りだったけど、ここからはハイパー自分語りです。)

さっき、モチベーションを簡単に上げられるということを長所の一つとしていたと書いたが
先天的なものではなかったと思う。

逆に、モチベーションがあまりない人間だと
幼少期から自覚があった

よく、「小さい時の夢は●●でした」とかいう話をするが
そんな夢を持ったことは一度もない。
消防士?宇宙飛行士?スポーツ選手?芸能人?大変な訓練や努力がないといけないんでしょう?
ってほんとに思ってた。

だからこそ
モチベーションを理由もなくあげる方法を習得したのかもしれない。
あるいは、それはモチベーションが上がったフリだったのかもしれない。


そして、目的的な行動が世間で評価されている、という構造にも気づいていた。
なんとかそういう社会構造に合わせて自分を変性させていった。
そういう努力をした。


そうやって身に着けたものがいま、すべてなくなってしまった気がする

風船がはじけて元の小さなゴムに戻るように。

残留応力を除去しないまま加工された金属が何かの拍子で破断するように。



これは目的的に書いたものでないのでオチはない

カイトが転生=子供に戻ったとかで上手いこと言おうと思ったけど思いつかないのでやめた。

閉店ガラガラ。

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