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八村塁選手の全てが分かる?(幼少期から高校時代)

2019年から今まで現役で活躍し続けている八村塁選手、今回はそんな八村選手の幼少期から現在、さらに八村雑学についてお話ししていきたいと思います。

まず初めに八村選手の出生についてです。
八村選手は1998年2月8日に日本人の母とベナン人の父の元に生まれました。ちっちゃい頃はイチロー選手に憧れ野球をしていました。
ここで小話、八村選手の名前である塁は八村選手のお爺さんが好きな野球の塁から来てるとか何とか。
ちっちゃい頃は八村選手の投げる球が速すぎて誰も取れなかったらしく、イヤイヤピッチャーをしていたらしいです。
さらに陸上競技を嗜んでおりトラック競技で全国大会まで行った経験者です。
ちっちゃい頃からアスリートだったんですね。
中学上がると成長痛の影響で野球を辞めて帰宅部になろうとしていたらしいです。しかし中学の友達が毎日粘り強くバスケ部に勧誘していたおかげでバスケ部に入部しました。
ここで小話、当時同じ奥田中学校には馬場雄大選手も在籍しており、八村選手が放課後にゲーセンに遊びに行ってたとある日にヤンキーに絡まれた八村選手を助けてくれた人だったそうです。そんな二人が今日本バスケを引っ張ってくれている、、、運命ですね!そうしてバスケに出会いました。そして2012年全中準優勝で悔しい結果となってしまいました。
ここで八村選手の名言、監督にお前はNBAに行くと言われた時、当時自分はバカだったんで「あ!自分はNBAに行くんだ」と思いました。一見何も無い発言のように感じますが、馬鹿だったとはいえ何も思わずに言えるのはそれくらい才能があったからですよね。羨ましい〜
高校に上がると大好きだった故郷富山を離れた宮城県の強豪明成高校に入学そこで何と、インターハイ3連覇を果たしました!そんな試合後のインタビューでは1年生時は「バスケは楽しいです」、2年生時には「バスケはすっごい楽しいです」、3年生時には「バスケはすっごいすっごい楽しいです」と毎年すっごいが増えていって八村選手がバスケにハマっていったんだなぁと感じますね!

今回は八村選手の高校時代までを振り返ってみましたこう見てみると幼少期からすごいスポーツマンですよね。尊敬できます。次回はアメリカ編です。大学からNBAルーキーシーズンまでぜひそちらも閲覧なさって下さい。こんなに長々と喋ってしまい申し訳ございませんでした。

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