渡邊雄太の全てが分かる?(幼少期から大学)
皆さんこんにちは。NBA日本人史上最長のNBAキャリアを持ち最近は最高の3&Dプレイヤーになってきた渡邉選手今回はそんな渡邉選手の生い立ちや雑学について触れていきたいと思います。
幼少期
渡邉選手は神奈川県横浜市で生まれ4歳で父親の地元である香川県郡三木町に移り住みます。渡邉選手は、小学生の時からバスケを始め2年生の時にはすでにNBAを目指していたらしいです。
ここで小話、渡邉選手が入っていたミニバスチームのコーチは渡邉選手のお母さんだったらしくそんな渡邉家、お母さんは過去に女子バスケ日本代表のキャプテンだったらしくお父さんは実業団チームに所属しているバスケ一家だったんです。そのため家での会話の8割近くがバスケの事らしく、友達とはあまりバスケの会話が噛み合わずそこで初めて自分の家系はおかしいということに気づいたらしいです。
中学時代
中学は高松市立牟礼中学校に入学し、2009年には香川県選抜チームに所属していたらしいです。
高校時代
高校は尽誠学園高等学校に入学しました。1年生と時からすでにスターターに定着しており、2011年と2012年の2年連続でウィンターカップ準優勝と惜しい結果に、しかし渡邉選手自身は大会ベスト5に選出される活躍をしました。2年生の時にはすでにアメリカ留学を考えていました。しかし渡邉選手は葛藤する日々を送っていました。世間の声は良いものでもなく批判的な意見がほとんど、挙げ句の果てにはJBAから辞めるよう言われ悩みまくる中、渡邉選手に電話で「君はアメリカに行くべきだ」と鼓舞してくれた人がいました。その人は、日本人初のNBA選手として歴史に名を残し小さい身長ながら今も日本バスケの先頭に立ち導いて来た田臥勇太選手でした。そんな助言をもらい渡米を決意しました!
大学時代
渡邉選手はプレップスクール入学後2014年に、NCAAのD1大学であるジョージワシントン大学に入学。しかし日本とは違い周りよりも圧倒的に細い渡邉選手はアメリカのフィジカルなバスケに苦戦しました。しかし4年目に大躍進、その活躍からチームのキャプテンに任命され、試合では得意のDFを活かして常に相手の主力とマッチアップする状態になるほど成長しました!
どうでしたか?今回は渡邊選手の大学キャリアまでを振り返っていきました。前回の八村選手の話に続き小話が少なく申し訳ありません。次回からはもっと増やしたいと思います。