起業する前の私 ~私が自衛官を目指していた理由~
産まれたときから起業家を志していたかと言われれば、残念ながら私はそうではない。
小学生の頃は、科学者になりたいとか、火星に行きたいとか、酒のつまみの笑い話にできるような夢を抱いていたものである。
そんな私が、中高6年間目指していた夢がある。
幹部海上自衛官だ。
本稿では、その夢を持つに至った経緯と、挫折した理由を語らせて頂く。
きっかけは東日本大震災
陸海空3自衛隊の中で、災害派遣の花形と言えば陸自である。
ただ、私は虫や汚れることが嫌いであったことから陸自は向いてないと当時から考えており、また視力もあまりよくなっかったので空自に入っても花形のパイロットにはなれなかいと思った。
よって消去法で海自にしたのだが、それについて調べていくうちに沼にはまっていった。
とにかくかっこいいと感じたのだ。
デジタルネイティブ世代なので、海自に関する動画などはそこらへんに落ちており、かっこよく見せるように編集されているものも多い。
影響を受けやすいたちの子供であった私は、海自に触れれば触れるほど、その魅力に惹かれていった。
私が目指したのは、護衛艦隊勤務である。
海上自衛隊に47隻ある護衛艦(事実上の水上戦闘艦)で構成される同部隊には、その中核を構成する4個護衛隊群があり、メディアなどで最もクローズアップされるのはここに所属する艦艇である。
護衛艦の艦長になろうと決心したが、特に何かそれに向けてアクションを起こすことはしなかった。
防衛大に入学して、2年次に海上要員に抜擢されれば、幹部海上自衛官への道は約束されたも同然であり、中高一貫校だったこともあって、まだ先の話だから何か努力する必要はないと、たかをくくっていた。
ついに高3受験期到来 -夢かなわず
しかし、時が経つのはいつの時代も早いもので、すぐに受験期はやってきた。
当時全く勉強などしていなかった私は、学力的に到底防大に合格することなど不可能な位置にいた。
このままではまずいと思い、人生で初めて「勉強」という行為に本気を出した。
その結果、3か月で防大C判定を達成。完全に射程に捉えられるようになった。
しかし、懸念点はもう一つあった。
視力である。
私は生まれながらの弱視であり、左目の視力が0.1しかない。
おまけに、弱視なので眼鏡をかけても視力が向上しない。
防大の基準として、裸眼で0.7、強制で0.3以上の視力が求められた。
たまたま、高校の同級生の父親が自衛官であり、相談することができた。
その人曰く、問題ないということであったので、当時の私は安心しきっていた。
その人が、統幕の課長級で一等陸佐であったから、なおさら発言に信ぴょう性が伴った。
そして、いざ志願というときに、今の自分の視力では合格は難しいと、防衛省の採用担当者が確認をとって告げられた。
絶望したが、受験期で忙しかったこともあり、そう長く落ち込んでいることもできなかった。
結果、私は立教大学観光学部に入学し、今に至る。
まとめ
中学生の頃に抱いていた夢がかなった人は、そう多くはないと思う。
事実、本稿で述べたように私もその一人であるが、悔しさはもうほとんどない。
結果今は起業家という形に落ち着いていることもあって、満足している。
より自分にとって実現したいと思える夢を見つけられたことは、幸運であったと思う。