読書メモ 十二国記(丕緒の鳥)

前回"前半戦"と銘打ったし次は後半戦と思ってたのに。
短編集「丕緒の鳥」一冊の感想メモがえらくボリューミーになったので、今回は一冊分。
とはいえ、
丕緒の鳥
落照の獄
青条の蘭
風信
の4篇が収録されてるので、4話分。

・丕緒の鳥

 陶器の鳥を飛ばして射るというのを王に見せる儀式(短文でまとめると謎の儀式みたくなる…)の、陶器の鳥を作る人の悩み。

 主人公はきっとアーティストで、作ったものへメッセージを込めて、それを自らの表現としている。ただそれが思うように伝わらない苦悩を抱えて、抱えすぎて何も出来なくなってしまった。
 自分は何をしたいのか分からなくなって、でも最後にそれを救うのは(今はもう居ない)仲間(同僚というか、ただなんとなくそれ以上の繋がりも感じる人)が実は何を思っていたのかという事。
 一緒に居たときは特に聞きもしなく、主人公から「こうしたい」と言うばかりだったことに居なくなってから気づく。表現や自分の思いというものは、何も自分の中からだけ湧き上がってくるものではなく、他者との関係や対話、思いを知ることで生まれてくるものもあるということを知る。

 そうして気づいた思いが、最後は新しい王(陽子)にちゃんと伝わるというハッピーエンドでよかった。人によっては、それですら伝わらないという事だって往々にしてあるはず。主人公もそれは長いこと悩んできたが、続けていればいつかは伝わる時もある、という話なのかもしれない。

・落照の獄

 司法のあり方について、悩む男たちと、王の無関心がいかにして信用を貶め、国を傾けていくかという、柳国という国の話。主人公はその国でいう最高裁の裁判官という立場で、凶悪犯への死刑の是非に悩む。

 刑の是非を問うのがメインの流れであるが、この国(柳国)は死刑制度があるものの、王によって禁じられていた国というのが巧い。死刑制度がなければそもそも適用されないし、禁じられてなければ有無を言わさず死刑適用されるほどの凶悪犯である。だけども死刑を禁じてきた王が急に「司法に任せる」と丸投げしてしまうからさあ大変。

 死刑は当然と市井に言わしめるほどの凶悪犯であるのに、司法のありかた、ひいては国の今後までを憂いるとそう簡単な判断は出来ない。
 傾きかけている国に「死刑適用はアリ」という判例を作れば、それは今後の濫用(国による虐殺的行為)になりかねないとか、刑罰を適用させないために刑罰を作るという思想(警察がいらない平和な世の中を作るために警察がある、というような)であったりとか、法知識が素人の自分では分からないが、きっと日本の司法でもそうして様々な議論が繰り広げられているのだなと思う。
 日本は先進国でも死刑が未だ残っている国として話題に出たりもするが、死刑を"命を奪う野蛮な行為”とするのか、一方その“野蛮な行為”で罪もない人を手に掛けた人は守られるのかという、なかなかにセンシティブで考えさせられるテーマだった。

 一方で賢治の王として長く国を治めてきた王が急に無関心に(曰く「王は無能になられた」とか)なったのが何故なのかがとても気になる。「風の万里、黎明の空」でも柳国の衰退に触れらていた。後の話に出てくるのかな。一国の主が、無関心になってしまえば国は傾く。当然のことにも思えるが、この世の中、丸投げだけのリーダーがどれだけの数居ることだろうか。

 あるいはまた、凶悪犯へ死刑を嘆願する主人公の妻や犠牲者となった子供の両親の想いもひどく共感する。私自身、幼い子供が居る身としてこれほど心痛むものはない。ただそれを、司法の義務として素直に聞き入れることが許されず、理解されない主人公の立場も読んでいて辛い。

 最後、自らの司法の論理に照らし苦渋の決断をした主人公たちであったが、その行く末は暗い事が当人たちには分かっている。どうあがいても国の荒廃を止められない無力感というか、悲壮感あるいは敗北感に包まれる。
 王の凋落とはそれほどに重く暗く影を落とす。単に裁判や死刑の是非の話だけでなく、司法という立場の者たちの目を通して、国がいかにして終わりを迎えるか、という様をありありと描く話だった。

・青条の蘭

 前の話が終わりの始まりなら、こちらは希望をつなぎ、希望が生まれる話。

 荒廃した国で、奇病に侵されたブナの木を助けるべく奔走する男たち。特効薬となる草(花)を苦心の末見つけ、それを育てるべくまた苦心する。次々とそれらが枯れていく中、残り少ない株を新王のもとへ届け、種を生んでもらうよう天帝へ祈ってもらえれば、新たな種がもたらされ希望が繋がる。果たして王のもとへ届けられるか、届いたとして王に聞き入れてもらえるか、という話。

 株を届けるべく文字通り必死となって奔走する姿は、なんとなく走れメロスのようだった。でも違うのは、決して一人で走破するのではなく(一人で届けようとはしていた)が、途中昏倒してから、見知らぬ人の手から手へバトンパスのように渡って王宮へ向かっていくという点。

 そんな上手くいくかい!と思えなくもないけれど、荒廃した国で、「これで国が救われる」と言われたものに(渡された人は詳しい事情などは知らないけれど)希望を見出す人たちの想いも分かる気がする。
 荒れ果てた国で、それだけ藁にもすがる思いで復興を望んでいる人たちなのだろう。細かな事情なんて何も知らなくても「少しでも救われる可能性があるなら、いっちょやったるか」という感じで手渡されていく。

 荒廃など知らない、「満たされた」世の中であれば全然合理的でない、無駄とも言える行為だ。この物語の人たちからしても、生きるのに必死で無駄な事などそうそう出来ないはずなのだけれど、希望をこそ大事にしたいという気持ちが根底にあるが故のミラクルが起こる。

 そもそもなんでブナの木を救うことが希望なのかという所も物語前半で分かるが、このあたりは作者の造詣(あるいは下調べ?)の深さ、広さにも(素人なりに)感心した。
 前の話「落照の獄」では司法について語り、方やこちらではまるきり別分野の、山奥の木の枯死が人々の住まう里へいかに甚大な影響を及ぼすかが語られている。
 また物語として、枯死した木が実は高値で売れ、パッと見住民からは「恩恵」のように思われてなかなか危機感が伝わらない、というもどかしさも巧いなぁと思った。 

・風信

 風信は風向きとか、風のうわさとかいう意味らしい。ふと伝わってくる吉報、の話と感じた。

 主人公は王の乱心によって親しい人たちと死別したものの、王が直後に崩御。この死別に意味はあったのかとひどく心を痛めつつ身を寄せた先は、国の暦を作る役目を負う人たちが住まう所。天候や生態の変化を読み取って、農作物の収穫時期などを予測するような事をしているのだが、熱心にセミの抜け殻を集めたりなど彼らの行動は不可解。
 国がこんなに乱れているのに何をのうのうとこんな事をしているのか!とひどく腹を立てるものの、調べていたほんのすこしの変化から、国の変化に良い兆しがあるのを知る、というような流れ。

 言ってしまえばオタクの巣窟に足を踏み入れてしまって「意味わかんない!」ってなる感じ。世の研究者の方々もきっと、「それって何の役に立つのよ?」という辛辣な質問に直面することが多いのではないだろうか。
 主人公が吉報を知り、救われていくという結末ではあるが、ある意味研究者たちへの救いの話のようでもある。
 世界観とかよりも、こんなに綺麗な流れで、やっていることが理解してもらえ、感動を生むという事こそがファンタジーな気がする。だからこそ面白いし感動するので大歓迎なのだけれど。

・全体を通して

 総じて、短編ゆえに大きな物語の展開は無いものの、そういう大きな物語の裏に息づいている人々へスポットライトを当て、彼らのふとした感動や絶望を描いている。
 おかげで、他の長編で活躍する主人公たちのいる世界も、決して彼らだけのものではない、色々な人達が居て成り立っている生きた世界なのだという事が裏付けられる。
 短編として楽しめるものの、十二国記シリーズの一つのリアリティとして、世界観をしっかりと深める必修科目だと思った。おわり。

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