是々非々の話
こんにちは。
今回は珍しく無料公開で記事にします。
何か伝わったら光栄です。
つい、先日、僕は恩人を亡くしまして。
これが僕には大きな衝撃でして。
僕自身が大変な時期に、
勝手に亡くなって、本当に、あの人は。
彼がどれぐらいの恩人かは、
皆さんに伝えられないのですが、
僕にとっては、
人生で一番の恩人かも知れません。
多分、実際、そうでしょう。
出会いは今から10年前ぐらい。
僕は30歳を超えた辺り。
状況は複雑で、夏が終わった辺りで。
当時、僕は、
所属先を退職する事が決まっていて、
「この先の仕事がない」という状況で。
ま、早い話しが、無職寸前。
そこで求人を見て、
この恩人に、電話したのが、
いつかの火曜日。
「へぇ。面白いじゃん。
おめぇ、いつ、面接、来れる?」って。
電話口が今回の恩人で、クラブの社長。
“木曜日なら行けます!”って。
普通は「履歴書送って下さい」では?
その段階はスッ飛ばされた。
“話しが早くて助かるなぁ”と、
そう思ったのは今でも覚えてます。
当時、僕は、貯金もなく、今もないけど、
大した実績も勿論なく、今もないけど、
ただの無名の一介のサッカーの指導者でした。
それも街クラブで指導をやってただけ。
僕としては「絶対にしくじれない。
頼む。何とか仕事が欲しい」と、
サッカーの神様に祈って、
新幹線で関西から関東まで、
不安を抱えて面談に行きました。
その木曜日に。
火曜日に電話して2日後の木曜日です。
事務所に着くなり、
さっさと面談して、数分。
3分ぐらいだったかな。
挨拶して、履歴書を見せて、
ちょっと話をして。
で、ちょっと待っててって、
電話をされていて。
で、部屋に戻って来たら、
「オメェ、来るか?」って。
“はい!”って、僕。
“(え?もう決まり?マジで!?)”と。
確か10分で決まり。
時計、見ましたから。
11時だか面談開始で、
11時10分には就職が決まってた。
そこからの雑談は、
1時間以上やったけど。笑
こちらは文句なんか無しでした。
こっちは何でもやる所存。
生き残る為、指導者を続ける為。
心底、嬉しかったなぁ。
助かった。セーフだった。
あそこで無理だったら、
今まで指導者は出来てない筈です。
ま、その方が良かったかな、もしかしたら。
でも、とにかく、僕は命拾いしました。
指導者としても、社会人としても。
あれは本当に助かった。
海外留学して、帰って来て、
就職活動に1年半も掛かりました。
憎きリーマンショックですね。
指導者になるのに1年半も掛かった。
でも、転職活動は2日で終わり。
今でもネタにしてます。
“就職は1年半、転職は2日”って。
そして、遠く関東に引っ越して、
そのクラブで働きました。
かけがえのない時間でした。
僕等、指導者って、
クラブハウスからグラウンドに移動します。
事務所と現場ですね。
事務所から出掛けるんです。
“行ってきまーす!”って。
すると、社長が、
「おー、頑張んなよ、きーす」って。
・・・「ガンバンナヨ」ですよ。
こんな社長って他にいるのかな?
また別の日に、
“行ってきまーす!”って。
「おー、力抜いてな、きーす」って。
「チカラヲヌイテ」ですよ。
“(力抜いたらアカンやろ)”と、
最初は思ってたっけ。
当時31歳かな?
生まれて初めての経験でしたよ。
生まれて初めての経験。
「頑張らない」とか「力を抜いて」とか。
聞いたことねぇよ、そんな言葉。
ガリガリの関西人で、
ゴリゴリの田舎者の人間ですよ、僕は。
「頑張らな、どうすんねん!」
「力入れて行け!踏ん張れ!」
そんなことしか、
言われたことなどないんです。
関西で働いていた頃でも、
“行ってきまーす!”って。
「頑張れよー!」でしたよ。
普通ですよ、普通。
加油ですよ!アニモですよ!
万国共通でしょ、そこは。
ところが、我が心のクラブは、
「頑張るなよー」なのです。
どんなに刺激的な環境だったかですよ。
僕も楽しかったですよ。
「頑張るなよ」って言われた時に、
すかさず社長に、
“そんなの言われたの人生初っす。
このクラブらしくって良いですね”って。
ニヤッと笑って嬉しそうだったな。
粋で格好良いんですよ。
で、今回の本題ですよ。
それも今のエピソードと同じ時期の話。
無学な僕は、その日、
一芝居を打ちましたよ。
起きたのはいつかの定例会議。
その社長がその会議で、
「もうそこは是々非々で」と、
先輩にビシッと言ったんです。
向かいに座る僕は、
“まあ、そうっすよね”って顔をしてました。
何食わぬ顔ですましてましたよ。
アカデミー助演男優賞も貰えるレベル。
ジョージ・クルーニーぐらい、
落ち着き払った態度でしたね。
内心は“(おい。ゼゼヒヒってなんやねん)”と。
定例会議終了後、自席に戻り、
是々非々の意味を調べたのは、
今でも覚えています。
「是々非々」とは、
客観的に物事を見て、
良いことは良い、悪いことは悪いと、
公正な判断をすることです。
どうなんでしょうか?
普段の生活で聞きますか?
僕の周りでは聞かない言葉です。
脳まで筋肉の方々が一杯いるので。
でも、その社長からは、よく聞きましたね。
実際に僕も何度も言われた事があります。
「おい。きーす、困ってる事はないか?
何かあれば相談しろよ。
希望に応えられるかは分かんないけど。
そこは、ほら、是々非々で」って。
あんなに働き安い場所はなかったです。
本当に全てが是々非々でした。
仕事上の便利な道具の購入をお願いしたら、
「ダメ。予算が無い」って。
でも、それよりも高価な、
サッカー道具の購入をお願いしたら、
「良いよ。現場で要るもんな」って。
1万円の道具が買って貰えないのに、
3万円の現場の道具は経費で買える。
“金額じゃないんだな。
どうしても必要かそうじゃないか。
「是々非々なんだな」”って。
そりゃ、そうですよね。
金額じゃないんですよ。
価値や意義なんですよね。
あぁ、働き易かったな。
是々非々で働き易かった。
街クラブって、基本的には、
世間の想像を超えるブラック企業で、
働いてりゃ、何でも不満は出るんですよ。
でも、思い出しても、特に無いんですよ。
そこのクラブに限っては。
あ、1人でバス5台の掃除はキツかった。
あれは手伝わない年下の先輩が悪い。
2人でやる仕事の筈だから。
ちゃんとやれや、ほんまに。
でも、後は、
おかしなことは何もなかったな。
全てが是々非々だもの。
良いモノは良い、悪いモノは悪い。
良いんだったら、もっと良くしよう。
悪いんだったら、改善でしょ。
それだけ。
人生の夢を一つ、
その社長に相談して、
それを叶えるチャンスも貰いました。
結局、上手く行かなかったけど。
でもそれも実は凄く感謝してます。
「頑張って来たんだから、
チャンスを貰うのは普通だろ」って。
粋だったなぁ、本当に粋だった。
力を抜くサッカーも彼から教わった。
試合中のコーチングも彼から教わった。
頭の上に両手を置く癖も、
話し方も、今でも僕に影響がある。
ポケットに手を突っ込んで、
偉そうに立ってるのも彼の影響。
ちなみに彼はとにかく現場で、
態度が悪い人だった。
斜に構えてる。
これも僕には有り難かったんです。
僕はいわゆる真面目。
良い子ちゃんだったんです、昔は。
現場で選手や同業者や他の指導者に、
ナメられることが多くて悩んでました。
選手はまだ指導や理論で、
黙らせられるから問題なかったけど、
同業者相手には困ってたなぁ。
サッカーの指導者って、
見てくれや、振る舞いで、ナメて来るんです。
脳まで筋肉の相手って難しいんです。
例え東大出身ですって言っても、
何にもビビりませんよ、奴等は。
基準は「怖そう」か「怖くなさそう」か。
見た目だけしか見えない。
勝手にナメて、ナメたまま接して来ます。
でも、僕は性格も引っ込み思案だし、
皆に愛想良くが染み付いてましたしね。
そこに付け込まれていた。
そこで、彼の振る舞いを見て、
「これだ!」と思いましたね。
常時、悪態を保持する指導者だった。
だから“とにかく真似してみよう”って。
おかげで、それ以来、
現場でナメられなくなりました。
笑っちゃいますよね。
態度を変えただけで、
人の接し方が変わるって。
人間の本質や実績も何も変わんないのに。
アホが多い世の中です。
でも、だからこそ、
僕の指導者人生には重要な要素でした。
“なるほど。こう振る舞うのか”って。
話を戻しましょう。
その是々非々こそが、
今では僕の基本理念なのです。
30歳を超えるまで、
存在自体を知らない言葉だった癖に。
「良いモノは良い、悪いモノは悪い」と。
常に基準はこれなんですよね。
選手にたまに笑われますよ。
今、めっちゃ怒ってて、
“お前さ、何で、逆サイド見てねぇの?
前が詰まってんだから展開だろ!”って、
吠えてる中で、
別の子が良いパスをスコーンと通す。
すると僕は“おお!ナイスパス!”って。
選手は「コーチ、今、怒ってたのに!
いきなり絶賛って!切り替え早ッ!笑」
とか言って笑ってる。
僕も“いやぁ、良いパスやん。
俺が怒ってる怒ってないは関係ない。
良いパスは良いパスやん?でしょ”って。
んで、逆戻って、
“んで、おめぇ、
何で逆サイド見てねぇんだ!
見る動作も瞬間も教えたろ!
何でやってねぇんだよ!”って、
説教に戻って行くと。
何故、そうなるんでしょうか?
そうなんですよ、是々非々だから。
良いモノは良い。悪いモノは悪い。
それが基準。
逆に言えば、
機嫌が良いから良いとか悪いから悪いとか、
あいつは良いけどお前はダメとか、
そんなの絶対おかしいじゃないですか。
そういうのが一切なかった。
そうやって何年も指導をしてます。
保護者からも、連絡を受けるんです。
「きーすコーチの
『良いモノは良い、悪いモノは悪い』の指導、
僕、大好きです。
あれは子供の為になりますね」とか。
「良いモノは良い、悪いモノは悪い。
めっちゃ厳しい。
でも何も間違ってない。笑」とか。
「悪いモノは悪いの潰し方が徹底してる。
“二度とやんじゃねーぞ”って伝わる。
子供も本当に注意する様になりました」とか。
そんな連絡をよく受けるんです。
何なら担当して来た子達の親には、
「きーすコーチは是々非々の人」と、
そう思われているフシすらありますね。
ま、悪いモノは悪いとなると、
ずっと悪いままの奴は、
どうするんだって奴もいますが。
この辺はアップデートしないと、
今の世では難しいみたい。
世の中には理屈が通用しない奴もいる。
約束したって絶対に守んないけど、
こっちが一度約束を破ると、
一生悪者の悪人扱いだったりしますから。
まあ、良いや。
僕は是々非々の指導者なのです。
多くの人にもそう言われる様になりました。
でも、それは、恩人の姿勢を引き継いだだけ。
彼の生き様を引き継いだだけです。
彼の影響でそうなったんです。
本当に、文字通り、
今の僕を形作ってくれました。
そういう人だから、
病気の進行も周囲に一切知らせず、
子供の進路の相談や進路先とのメールなど、
いまわの時までやっていたそうです。
医者も嫁も止めるのに、
クラブにも出社してたみたいですね。
まあ、社長席、気に入ってましたからね、
自分の社長席。
いつも足を乗せてたし、机の上に。
いや、どんな社長やねん。
でも「それがやりたかった」とも言ってたな。
「なぁなぁ、自分の会社の社長がさ、
新聞を読みながら、
足を机に乗せてるって、どう?」って。
あぁ、この口調だ。
僕もすぐ彼の口調で「どう?」って言っちゃう。
“ま、ええんちゃいますか。
ストレスフリーが、
一番業務にええでしょ”と僕。
「俺、これ、やりたかったんだよ」って。
子供がイタズラしてる時の顔で。
当時50歳ぐらいだと思うけど。
ま、格好良い社長でしたよ。
彼が亡くなった日は、
珍しく僕が「今日はノー怒鳴り」と、
選手と約束して、
特に1日静かに過ごせた日。
そして今季最高の内容だった日。
滅多にない日だったから、
天国から彼の後押しがあったのかも。
もしかしたら地獄からかも。笑
噂では、その日に、
彼のクラブのバスが壊れたとか。
流石は、あの社長。
他への影響がどうしても出てしまいますね。
あちこちに影響力があった人ですから。
本当、影響を与えて貰った良い社長でした。
僕にとっては良い社長でした。
世間ではウルトラ型破りな社長でしょうが。
そうだ。
折角なので、彼と僕だけのエピソードを。
良い話なんですよ。
昨年、そのクラブからプロが出たんです。
ご存じの方もおられると思いますが。
で、そのプロになった選手の同級生に、
僕のスクール出身で、
高校ではプリンスリーグで、
スタメンだった奴がいて。
その社長が、僕に語った言葉が、
彼の仕事を示す良い言葉なんです。
「ウチからまたプロが出たよ。
大したもんだな。
でも、一方では、
彼の同級生のあいつが、
プリンスリーグでスタメンだ。
小学校の頃は弱小のスポーツ少年団で、
しかも、そこの主力ですらなかったよな?
で、お前にスクールで教わって、
ウチのクラブの中学に合格。
あれ、確か合格ギリギリだったよな?」
“はい”
「で、中学でもスタメンじゃねぇぞ。
たまには公式戦も出てたけど。
でも、そんな主力でもなかったよな?
皆で一生懸命に教えてたけどね。
練習も練習試合もよく頑張ってたな」
“はい”
「でも、そんな奴が、
高校3年生になって、
名門でスタメンだよ。
それもプリンスリーグだよ?
総体も選手権も全国に出たよね?」
“はい”
「なぁ、きーす。
俺等は【こっち】だな。
俺等の仕事は【こっち】だな。
街クラブだからさ。
勿論、プロが出るのは嬉しいし、
プロを出したいんだけどさ。
でも、それは主にJの仕事じゃん。
俺等はプロにはなれない様な子も、
一生懸命に教えて鍛えてやって、
こうやって少しは花開いてさ。
豊かなサッカー人生を歩ませてやるのが、
俺等の仕事だよな」って。
そんな話をしていたのも、去年の話か。
良い話でしょ。
僕等の仕事の矜持ですよ。
彼の生き様でもありました。
惜しい人を亡くしたとは、
こういう事なんだろうと思います。
栄光の人生だったかは分かりません。
彼なりに後悔や失敗もあっただろうし、
人に言えない挫折や苦労も、
一杯あっただろうし。
でも、だからこそ、
人間臭くて良い人間だったんです。
僕にとっては恩人で、
良い指導者で、良い社長だったんです。
一緒に働けて、本当に有り難かったです。
また会いたいのですが、そうも行かず。
仕方がありませんね。
こればかりは涙が出ますね。
良いモノを沢山教えていただきました。
本当にありがとうございました。
また、いつか、グラウンドで。
「頑張んな〜い」って、声掛けて下さい。
どうしても、
心情が入り乱れる話ですから、
上手くまとまんないもんですね。
でも、恩人に敬意を評して、
ここに記しておきます。
皆様、長い文章、
お読みくださりありがとうございました。