大阪育ち道産子の知らんけど・・154「昔話13 いじけケータ 癇癪系」
久々に戻ってきたで~、タイムスリップ。
間に箸休めを3つ挟んで、と。
大腸に穴が開いて緊急手術。
もちろん手術しないと死ぬ。
手術しても死ぬかもしれん。
「こうなってしまっては、何とも言えません」
「アンタらがこないなるまで放っといたんやろ!」
と、叔母は泣きながら怒って、承諾書にサインせん!
言うてたし、姉も彼女も泣いてた(と思う)。
てなトコロから。
1.その様子を
まるで他人事のように眺めてたな~。
オレは、強力な麻酔的なナニかが効いていたのか、
諦めて力が抜けたからなのか、
なぜかそれまでの体感
イタイ × 下血 × 高熱
から解放され、心身に余裕があった。
「やらな死ぬんやろ? ほな早よやってや」
手術をしてくれるっちゅう、外科のイイヤマ先生に、やったか、
身内に、やったか、どっち向けか忘れたけど、言うた(気がする)。
ミズノ先生は押し黙ったまま、身動きしてへんかった(気がする)。
外科と内科、チカラ関係が見えたような気がした。
泣いてる身内に親指立てながら(らしい)、オレは手術室に入った。
2.ピッ・ピッ・ピッ・ピッ
自分に繋がれた装置が発する機械音で目が覚めた。
集中治療室。
「お、生きてるやん」
「いや、痛くも苦しくもないから、死んでるんかも」
そんなコトを考えてた。
で、
「頑張ってもどうにもならんコト、あったな」
と。
鼻・口・胸・右手中指・右下腹部・尿道・左足の脛。計7カ所に、
針なり管なり、命を維持するための何かを繋がれてた。
身長180㎝で63㎏あった体重は、42㎏まで落ちてた。
ほぼ骨と皮だけで、しゃがむ動作を支えられずに、
途中で尻もちをつくような筋力だった。
どう見ても満身創痍やったけど、
イタイ × 下血 × 高熱
から、解放されたオレは「ラク」になってたし、冷静やった。
大腸を全部とって、人工肛門(ナニソレ(*‘∀‘))になったらしいが、
どうでもよかった。
「早よ手術すりゃ良かったやん」
と、本気で思てたな~。
3.お金、アメリカ、テニス
全部、追いかけてた。そしてすべてが叶うと信じてた。
「頑張ればなんとかなる」
目的も根拠もなく、努力はおろか情熱すら足りてなかった、と今は思う。
遊ぶコトにも熱心で、楽しそうな誘いは断ったことがない。
テニスの練習を優先したことも、英語の勉強を優先したこともない。
目標の為に我慢したことなど1つもない。
片道切符でアメリカに行く勇気もなかった。
どれも夢とすら呼べん。
オレはやりたいようにやってただけや。
そのくせ根拠の無い自信は人1倍あった。
己を知らず傲慢だった。愚かで滑稽だった。
遠い記憶……。23歳(?)の夏。
☆彡 さー、ナニしよ‼️
最後、術後にぼんやり考えていたコトを挟んでしまい、
癇癪本番に辿り着けませんでした。
癇癪編は次回で最終話にしますね。
その後、新展開させます。
息切れしつつありますが現在に追いつけるでしょうか。
みなさんは、やろうと決めたけど面倒くさくなったコト、
どう乗り越えますか。
私は書き始めた理由を探しに、最初の記事読んでみます。
ホッと一息ついたなら、原点を見に行きましょう。
やる理由を思い出します。
知らんけど。
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