大阪育ち道産子の知らんけど・・155「昔話14 いじけケータ 癇癪系」
はい、手術でラクになったとは言え……。
自分のイケてなさと、これまでとは別の苦しみを噛みしめながら
過ごす日々が始まるで~。
「自分自身を受け入れられてへんかったな」
なんて、いい感じに気付くんは、だい~~~ぶ後のコト。
(アッチで書いた記事では短くまとめたけど)
集中治療室から個室、大部屋へと移っていくのに
1か月もかかったやろか。
大部屋行くまでの間に、
詳しい病気の説明受けたり、
摘出した自分の大腸見せてもろたり、
ヒラマツ先生に頼んで、
ミズノ先生に文句言う機会を作ってもらったり、
術後、1度も交換されず、1週間くらい放置された
人工肛門の周囲がただれたり、
まー、色々あったけど順調に回復した。
回復は早かったように思うけど、大部屋に入って以降、
とにかく癇癪を起しまくる。
目も当てれんほど。
食べ物のせいやった。
そんな日々を。
1.食べれん
結局診断が潰瘍性大腸炎からクローン病になったんは、
術前の口内炎多発と、術後の人工肛門周囲ただれが、
決め手になったみたい。
口内炎はともかく、ただれは明らか放置が原因なんやけどな (# ゚Д゚)
そして後で変わるんやけどな (# ゚Д゚)
潰瘍性大腸炎は比較的大腸周辺に病変が集中するけど、
クローン病は消化器官全域、口から尻まで連続するから、と。
で、このクローン病は。
「病変を切除しても再燃するから食事制限がある」
っちゅう代物。
潰瘍性大腸炎は、基本、切ったら終わりらしい。
オレ、直腸以外の大腸全部取ったのにクローン病。
そう、食べられへんねん。
基本は「低残渣食」言うて宇宙食なんかにも使われる、
高カロリー・高エネルギーの「エレンタール」っちゅう、
粉を水に溶いて飲む。
もしくは胃瘻を増設して、夜中に点滴ヨロシク流し込む。
あ、ハナから管入れて流し込むヒトも居るんやて。
オレσ(゚∀゚ )は、気合いで飲む一択。
300キロカロリー × 8袋 =2400キロカロリー
が、1日のノルマ。
フツーは1袋を300~500mlの水で溶くのを推奨されてたけど、
そんな飲まれへんから、1lの水筒2本に4袋ずつにした。
流行りの「濃いめ」ってヤツやな(ちゃうわ!)。
絶食水明けのしばらくはええ。当然飽きる。
で、カラダが元気になるにつれ、耐えられへんようになってくる。
大量の飴玉や、梅干しにお茶。
油分を含まず消化に良いモノ。
ホンマは梅干しにも難色を示されたけど、
そないに量を食べれるモンちゃうやろから、と、
半ば強引にOKを取り付けて。
それでも飽きる。
ゴハンが食べたい。パンも食べたい。
1週間に1食だけとか、無理やり了承してもらって、
梅干しとゴハンと刺身(刺身は非了承)とか食べるんやけど、
日に日に欲求が増すばかり。
2.また手術
とにかく、自由に食べれんコト、異常にストレスやった。
なんか食べても、容体も炎症反応も正常やのに。
「治る病気ちゃうから」
「加減せなアカン」
「また前みたいになるで」
と。
クローン病の症状は、寛解~再燃を繰り返すんが普通やから、
再燃時にエラいコトならんようにせなアカン。
慌てずゆっくり、回復に合わせて徐々に慣らさんと、って。
このガマンが堪えた。
外出時にわがまま言うて、なんでも買うては食べ、
彼女や友人を困らせ&心配させる自分が情けなかった。
帰宅時にこっそり冷蔵庫を開け、茹でた鳥のささみ(愛犬用)を
つまみ食いする自分が惨めやった。
病気になって3回、オレはナニかを削られていった。
1回目は漏らしたトキ。
2回目は歩けなくなったトキ。
3回目は今回、食欲に負ける自分を知ったトキ。
ナニかは「尊厳」やった。
あくまでオレ基準やというコトを強調しとくで。
自分にとってアタリマエやったコトができんようになる。
初めての経験やった。
こんなにキツいとは。
で、手当たり次第にアタリ散らした。
癇癪も癇癪、ザ・癇癪。
なまじっか、元気な上に頭も妙に冷静やったから、イヤなヤツの極み。
あのトキの自分が1番キラいや。
そうこうしてるウチに。
腸捻転を起こして、術後2回目の腸閉塞に。
前回はハナから管入れてバルーンとやらで経路確保して、
1週間くらいで治まったけど、今回はそうはいかんかった。
なんでも、手術したら10人に1人はなるらしいんやけど、
コレがまた、超絶オナカイタい。
ハナからの管のせいで常にえずく。
腹痛とえずく症状は、オレにとって再燃に等しい。
新たな外科の主治医、サナダ先生に嚙みついた。
「大した病気ちゃうって、なってる身からしたら一緒や」
「違うよ。腸閉塞は原因も対処もハッキリしてる」
「そら先生から見たら、やろ」
「いや、実際、薬や手術で治すというものじゃないよ」
「コッチは痛さも苦しさも一緒やねん」
「……」
「しかも薬でも手術でも治らん、て、も1つタチ悪いわ」
噛みつきもむなしく、腸捻転は治まらず2度目の腸閉塞は、
手術するコトになった。
「……。なんやねん、コレ」
3.やっぱ食べれん
術後は別の個室に入り、とにかく殻を閉ざし始めた。
もちろん、絶食水が復活。
今回の術後は前回と違って、開腹手術のイタみも感じる。
大嫌いなハナに管。尿道にも管。
また、管、管、管。
プラス、イタい&食えんて救いようないやろ。
どんどん落ちていく感覚があった。
また、ようなってもどうせ腸閉塞や。
アカンようにしか考えられず、気力が削がれる。
正気風やけど、オカシかったと思う。
入院中、
・エレンタールのボトル抱えて飲み会に参加する
・親しい友人の見舞いは拒否する
・個室から出てナースステーション前のベンチで一晩寝る
・コトあるごとに彼女を責める
・先生や看護婦さんにウソをつく
最後は、病院に内緒でテニスの試合に出た。
胸に点滴の針を刺したまま(心臓付近に埋められてるヤツ)。
「キミは三途の川を渡りかけてるんや。
ムチャはアカンて何遍言うたらわかる。
そないに元気なんやったら出て行き。
なんかあっても病院も責任とられへんわ」
常に、根気よく、相手してくれてたヒラマツ先生にも愛想をつかされた。
手術後、ミズノ先生に文句を言う機会を作ってくれただけやなく、
病気の会の紹介、
外出でジュディマリのコンサートに行く許可、
厚労省の大臣宛に手紙を書く案、
どうしてもガマンできんトキは思いっきり食え、
など、あんなに助けてもらったのに。
誰のせいにもできんコトにイラつき、
周囲に死ぬほど撒き散らしてたと思う。
入院してから約6か月、オレは退院した。
☆彡 さー、ナニしよ‼️
ようやく終わった入院編。
その後もまともに社会復帰するまで約1年。
癇癪を撒き散らし続けますが、みるみる回復しました。
週1検診の度にヒラマツ先生に報告します。
「先生、今週はアレ食べたで」
「よっしゃ。で、調子はどうも無いねんな」
という具合に、炎症数値確認をセットにしつつも、
食べれる量も種類も増えていきました。
最後は、クローン病から潰瘍性大腸炎に診断が変わりました。
「これだけ、ナニ食べても異常が出ないというコトは、
大腸全摘で症状が無くなったと考えるのが妥当。
直腸に僅かな病変を認めるが、便を通さない今の状態であれば、
悪化する可能性は極めて低いだろう。
人工肛門を閉じる決断をする際までに、ゆっくり治していけばよい。
クローン病を疑った大量の口内炎も、劣悪な栄養状態と病状に鑑みれば、
発生してもおかしくないし、その後口内に潰瘍の所見は無い。
人工肛門の周囲のただれは……。悪かったけどキミの言う通りやろう。
うん、潰瘍性大腸炎やな。」
と、ヒラマツ先生に太鼓判をもらい、毎週の通院も月1回になり、
エレンタールも最終は無くせました。
合計およそ1年半。
私の暗黒期であり、その後の自分形成に大きな影響を与えた、
病気体験記でした。
お付き合い頂いたみなさま、ありがとうございました。
今のご自身に影響を与えたコト、わかりますか。
わからない方、タイムスリップ、おススメですよ。
自分に集中できます。
知らんけど。