大阪育ち道産子の知らんけど・・471「じじばばの存在」
オレ、自分のじいちゃんばあちゃんの存在、
ほぼほぼ認識無いんよ。
父方は、北海道時代・幼少期に微かなじいちゃんの記憶。
母方は、モノゴコロついた頃には死んでたかな。
みんなはどやろ❓
いや、もはや両親の記憶も怪しい。
居らんくなってからの方が、それまでの人生より
くらい人生長いしなー。
さらに子供も居らんから、
父母がじじばばをヨロシク振る舞うんも見たコトない。
あ、妻の両親が、妻の妹弟の子供を可愛がってはいるな。
いや、今日はソコやなく。
「じじばばの存在そのもの」と、
「じじばばの存在そのものへの認識」が、
居る・有る場合を想像で書いてみようかと。
1.愛情面
孫は可愛い、って、よう聞くやん。
せやから、居った方が愛情を感じて育つやろうし、
存在を認識してた方が、愛情深いヒトになりそう。
(可愛がられてた前提)
2.金銭面
コレも但し書き付きやけどな。
フツーに暮らしてこれたじじばばが前提で。
たぶんお得、よね❓
おもちゃやお年玉はもちろん、
ランドセルから部活に使うナニかまで。
コトある毎の食事代も。
結構じじばばが出してくれるんちゃうか、
と、想像はする。
大学生になって小遣いもらったり、とかも❓
3.時間面
使っても、もらうんやろうけど、
使いもするよな。
顔見せに行ったり、どっか連れて行ったり。
大人になるにつれ、お世話で恩返し、的な。
☆彡 さー、ナニしよ‼️
どうでしょう。
トータルでプラマイゼロでしょうか。
十分な恩返し、できているでしょうか。
お金や時間に変えられないもの、
きっともらっていますよね。
倍返しだ!
…。
古いんちゃうか❓
知らんけど