女王様と僕 | 1−5 | 放り出すとHOLEY DANCE。文化と韻踏みの話
やぁ、僕の名前は下上ル(シモ・ノボル)。
この物語は、僕の気付きを書き留めるお話。
物だったり、者だったり。だりぃ桃だったり。
今日は、土地と日本語の話。
あ、今回は、いつもの漢字とカタカナの人は出てきません。
始める前に、前置き。
こんなことは無いかな?
一つのできごとを見たり聞いたりした時には何も思わなかったのに、いくつかのできごとに触れた瞬間に共通項を感じてハッとすること。で、大体すぐ忘れる。ハッとした瞬間は、とってもとっても大きな事に気づいたはずなのに、なんでか記憶にも留めず置いてきてしまう。
まるで、浮力を失った風船に対して子どもが興味を途端に失うように。
実は、この気づきってものすごく大事なんだっていうことを、なかなか人は気づかない。特に、日本がそうなのかな。テストに出る訳じゃない、売上が上がる訳じゃない、テレビで取り上げられているわけでもないし、Twitterのトレンドに入っているわけでもない。
んで?
そりゃそうだ。だって、君だけの気づきなんだから。これから、世の中が向かう方向。生まれているうねり。ここをスタート地点として何かを始めることって、ものすごく可能性にあふれていると思わないか?
つまり、今までにないからこそ、誰と競う必要があるでもなく、自分だけの価値作りが出来るんだから。
長い前置きは終わり。
何かっていうと、↓をひっくるめた一つの事象に気づいた。
1 NY(ニューヨーク)で、日本語が武器だということに気づいた。
2 原宿で、日本語のデザイン力に気づいた。
3 お台場で、繰り返す音の波に呑まれた。
正確には、
3→2→1の順番だったんだけど。
3は、サカナクションというバンドのライブ。
→生き急ぐとIt’s so good
2は、ファッションブランド。
→論理とLONELY
1は、YOUTUBEでMIYACHIというラッパー。
→「痩せてるにっさん(兄さん) / 車がNISSAN / 夢には一番 / Lexusいくら」
おまけでいうと、NETFLIXのMANIACに出て来る「変えられる」という壁に書かれた言葉。
感情的な日本語の圧と、論理的な英語の流れ。
逆もしかり。
混ぜるな危険じゃなくて、混ぜようWECAN。
いずれの文化にも根ざしたいわゆるダブルだからこそできる表現。中途半端な単色より、混ざって表現できるこれまでにない複雑な色の方が圧倒的に好き。
下上ル(シモ・ノボル)、若干賢くなってきています。
フリースタイルラップもいけるかも…。
世の中、ジワジワと変わってきています。
みんな気づいている。
圧倒的に変わっちゃう前触れがジワジワと来ていることを。
で、変わりたくない、今(まで)が楽という人が、しがみついていることを。
ある流れは、変えられないのです。
だから諦めてください。
物語は走り始める。君のは?