激動のシーズン 初めての日本一④
Mジョーダンの恩師でもあるディーン・スミス氏は、大けがをしたMジョーダンにこう言いました。
「神は、それを乗り越えることができる者だけに、試練を与える」。
Mジョーダンはケガで殆どを棒に振ったシーズン、この言葉を胸にリハビリに励んだそうです。
私も本当にそう思います。
なぜなら、王者になる前は、全ての人が「挑戦者」だからです。
会場に悲鳴が響き渡り
天皇杯の決勝戦、点差も開き、誰もが歓喜の瞬間を待ちわびていた矢先、「それ」は起こりました。
終盤、Y田選手が、この試合38得点目となる3ポイントシュートを決めた直後のことでした。
Y田選手がシュートの着地後、「カクン」と変な落ち方で、コートに崩れ落ちました。
私はその時、感覚的には(あ、膝やった)という感じでした。
一瞬、会場が静まりかえりました。
しかし、すぐにコートサイドの観戦者の悲鳴が聞こえ、レフリーが慌ててトレーナーを招き入れます。
会場はただならぬ雰囲気に包まれました。
私もすぐに駆け寄りましたが、信じられない光景がそこにはありました。
着地の時に捻ったと思われた足は、脛骨と腓骨すなわちスネの部分が真っ二つに折れている状態でした。
すぐに担架が呼ばれ、彼はフロアの外に運ばれました。
とても医務室で処置できる状態ではなく、トレーナーの応急処置の後、即救急車を待つことになりました。
試合は82ー54で勝利となりましたが、とても喜ぶ雰囲気ではありません。
H谷川選手はベンチで泣いていました。
この件は、夜のNHKニュースでも大きく取り上げられ、音声には、まるで割り箸を二つに折ったような音もはっきり聞き取れました。
試練の兆候、決勝前夜
実は、決勝戦の前夜、「?」と思うことがありました。
準決勝を終え、決勝戦TV中継の打ち合わせ、東京支社へ応援の連絡、関東OB会との打ち合わせなどを終え、ホテルへ戻りました。
すると、私の部屋の鍵がありません。
Y田選手が、私の部屋で密かにマッサージを受けていたのです。
彼は、相当疲れていたんだと思います。
しかし、私の部屋を出た後、今度は監督の部屋に行き、「決勝戦は最後まで試合に出たい」と直訴したそうです。
奇しくも、同じ夜、新人のH谷川選手も密かに「最後まで試合に出たい」と監督に直訴しているのでした。
点差が開いても、二人を出場させていたのは、こんな背景があったのです。
心からバスケットボールを愛し、公園で遊ぶ子どものようにバスケットボールを楽しもうとしていた2人にとっては、あまりにも大きな試練でした。
果たして乗り越えられるのか
これから、新しい黄金時代を築くはずの若きスーパーカンガルーズは、チームのエースを欠いたまま、シーズンの後半を迎えなければならない状況に陥りました。
チームは、7年ぶり8回目の優勝。
私にとっては初めての日本一でしたが、心境は複雑でした。
チームは大阪に帰阪しましたが、Y田選手は千葉の病院に残ったままです。
チームのエースを、予想もできない事態で失ったスーパーカンガルーズは、果たしてこの試練を乗り越えられるのでしょうか。
次回に続く。
-お詫び-
前回の記述で、試合会場を「幕張メッセ」と掲載しましたが、正しくは「千葉ポートアリーナ」でした。訂正してお詫び致します。
申し訳ありませんでした。
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