日本リーグ優勝の舞台裏 人生のライバル
日本リーグは、選手だけの戦いではありません。実はマネージャー同士も、共に競い合っています。
今回は番外編のさらに番外編、私の人生のライバルについて書きたいと思います。
マネージャー豊作の年
皆さん、ライバルっていますか?
個人的にはライバルはいた方が良いと思います。なぜなら、競い合う事が、自分を成長するスピードを早めてくれるからです。
激動のシーズンシリーズでご紹介した、二冠を達成したシーズンのファイナル4進出チームであるJエナジー、Iすゞ自動車、NKK、そしてM下電器。
ナント!この4チームのマネージャー全員が同期なんです!
我々は勝手に「マネージャー豊作の年だなあ」と言っていました。
今回は、この中でも、私が「人生のライバル」と勝手に決めている2人を紹介します。
勇気の男、清水満雄
Jエナジーの元マネージャー清水満雄君は、高校時代「憧れの人」でした。
彼はバスケットボールの名門F大大濠高校のチャンピオンマネージャーだったのです。
月刊誌でもクローズアップされ、同級生ではありましたが、雲の上の存在として読んでいたことを思い出します。
対面する機会が訪れたのは4年後、大学4年の関東トーナメント決勝戦の試合前。
TV中継があったので、放送関係者と両チームマネージャーの打ち合わせの場でした(前記)。
彼は高校を卒業後、N本大学のマネージャーになっていたのです。
憧れの人物が、ライバルになった瞬間でした。
この年から、N本体育大学とN本大学は、まさに〝ライバル〟凌ぎを削る時代の幕をあけとなりました。
さらにその4年後、大学を卒業してからも、日本リーグの決勝で再び相まみえることとなるのです。
私は、彼からいろいろなことを学びました。
彼の信条は「勇気」。
何にも屈しないその勇気と行動力は尊敬に値します。
彼の勇気に敬意を表して、私の結婚式では、友人代表としてスピーチをお願いしました。
ザ・マネージャー古賀敏陛
Iすゞ自動車のマネージャーは古賀敏陛君。
彼も九州男児で、K産大九州高校からK産大を経て、名将K浜監督に見出され、Iすゞ自動車のマネージャーになりました。
実は、彼と出会ったのは、実業団になってからでした。
当時、日本リーグでは、マネージャー会という協会公認組織が発足し、年に数回、全チームのマネージャーが集まって、リーグの事務レベルでの運営について会議をしていました。
そこに、彼は颯爽と現れました。
ビシッと決めた髪とスーツ。
銀色のアタッシュケースにはありとあらゆる文房具がそろい、会議資料はあっという間に蛍光ペンで染まるほどの熱量です。
その仕事ぶりはまさに〝ザ・マネージャー〟。
冷静沈着、K浜監督に「彼は日本一のマネージャーだよ!」と言わしめたほどです。
ライバル関係は続く
マネージャー会議での我々3人の様子を、ある関係者はこう表現していました。
「会議では3人が常にリーダーシップをとっていた。まず、最初にM下が提案する。その案をJエナジーが練り上げ、会を盛り上げる。最後に、Iすゞがまとめあげる。」
まさにその通りでした。
もちろん、試合前の打ち合わせや、情報の交換も積極的に行いました。
試合ではライバルでしたが、体育館の外では心許せる仲間でした。
よくお互いの失敗談や、苦労話を話しながら酒を酌み交わしたものです。
残念ながら、所属チームは全て休部となってしまい、3人とも会社を退社しています。
もう、バスケの試合で切磋琢磨することはありませんが、「人生のライバル」として、今でも交流は続いています。
2人はそれぞれの分野で大活躍しています。
清水君は、海運会社の社長。海賊さながら、世界を忙しく飛び回っています。
古賀君は、バスケットボールのエージェント。日本と世界とをつなぐ、橋渡し役として、バスケットボール界に貢献しています。
私も、ライバルたちに負けずに、世界を目指して頑張っていきたいと思います!
今回は以上です。
いつも最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。
前回の濱田さんの回が、「スキ」歴代最高を更新しました!ありがとうございます♪
皆さんに共感していただき、本当に嬉しいです。
今回も、ライバルの二人には〝念のため〟実名でご登場いただきました。
なぜ冒頭の写真が六本木なのか?は、皆さん、勝手にご想像ください。