「スポーツバー物語」③ー着工からオープンー
お店の場所も決まり、工事が着工されました。日々出来上がっていくお店に胸を膨らませながら、オープンに向けての準備をします。
「たまには覗きに来てください」
お店の工事が着工しました。
工事業者も知り合いがいなかったので、専門学校から紹介していただきました。
本来ならば、工事業者と現場で詳細な打ち合わせをするべきなんですが、ほぼ任せていたため現場にはあまり足を運びませんでした。
業者の人からは、「たまには覗きにきてください」とまで言われるほどでしたが、その間遊んでいたわけではなく、オープンに向けての準備に追われていました。
「ケイタズバー」という名前
さて、肝心なお店の名前を決めなければいけません!
バスケらしさを取り入れ、「ダンクシュート」、「ファーストブレイク」、「トリプルダブル」・・・でも何かしっくりきません。
バスケに特化しても、サッカー好きな人もいるでしょう。
ふと、アメリカのスポーツバーを思い浮かべてみると、アメリカでは、自分の名前を店名にすることが多いことを思い出しました。
映画「カクテル」でも、「フラナガン’s」と名前でした。
これは、「ケイタズバー」しかない!
そして、スポーツバーというのを表すため、「ケイタズバー スポーツ」としました。
あえて「ケイタズスポーツバー」としなかったのは、「ケイタズバー+スポーツ」という意味で、もしかしたら将来、「ケイタズバー ロックカフェ」や「ケイタズバー JAZZ」などと展開できるかなという淡い思いもあったからです。
次に、オープン日です。
当然、工事は着工しているのですでに家賃は発生しています、あまりのんびり構えるわけにはいきません。
そこでまず、オープン日は2001年の9月1日とし、そこから逆算して準備を進めることにしました。
その準備とは
・お店の宣伝用のチラシを作る
・お客様に提供するメニューを決める
・お酒の業者を選定する
・アルバイトの募集と面接
・グラスやお皿などの什器を整える
などです。
中でも、スポーツバーになくてはならないものは、スポーツを流すモニターとプロジェクター。
モニターは家電量販店で売っている安いテレビでいいんですが、メインとなるプロジェクターとスクリーンをどうするかが、課題として浮上しました。
人とのつながりを模索し始める
家電といえば、「そういえばオレは家電メーカーに勤めていたんだ」という事を思い出しました。
そこで初めて元職場の同僚に相談し、松下を退職して独立している映像関係の専門家を紹介していただきました。
早速連絡するとその方はすぐに現地に来てくれて、工事業者と打ち合わせをしてくれました。
そこで出た案が〝スクリーンを使わず壁に直接映写する〟という当時では類を見ない画期的な案です!
しかも、壁いっぱい使うので120インチ以上のスペースがとれるというのです。
工事業者に方からも、スクリーンとなり得る素材を壁に壁紙として貼る事が可能だと説明がありました。
映像の専門家曰く、この120インチという数字はおそらく個人店舗では日本一に相当するのではないかとのことでした。(根拠はありません)
問題はそれを投影するプロジェクターです。
一般家庭用のプロジェクターでは120インチは負担が大きいそうで、業務用のプロジェクターを探してもらう事になりました。
幸い展示会に出品した、新古品を見つけていただき、格安で買えることになりました。
それは、USJなどでも使用しているタイプで、正規で買うと軽自動車が買える程の値段でした。
この映像専門家の方には、本当にいろいろ助けていただきました。
人嫌いが、人に助けられる
こうして、お店は無事完成しました。
窓側にはツインタワーの夜景を一望できるカウンター、正面の壁側には120インチの大画面、コーナー3箇所にテレビモニターと、小さいながらスポーツバーらしい内装に仕上がりました。
お酒の業者も、キリンさんに決まりました。
これまたバスケットボールのつながりで、大きな協力者が現れてくれました。
川本浩司君と言って、身長2m(!)のバスケマンです。
大学時代から有名で、スーパーカンガルーズへスカウトしていたんですが、彼は無類のビール好き(笑)!複数の実業団からの誘いを断り、キリンビールに就職したのです。
その最初の赴任先が大阪支店だったので、彼に協力を求めたところ、酒屋の選定から、アルバイトのオリエンテーションまで、惜しみなく協力してくれました。
こうしてトントン拍子で、プレオープンを迎え、スーパーカンガルーズの仲間やお世話になっている先生方を招待させていただきました。
2001年9月1日、お店の経営など全くわからなかった私が、周りの人に助けてもらいながら、なんとかオープンまで漕ぎ着くことができました。
会社を辞めた直後は自暴自棄になり、人とのつながりを絶とうとしていた自分でしたが、会社時代に学んできた「人との出会い」「人とのつながり」が改めて形になった瞬間でした。
今回はここまでです。文字に起こしてみると改めて人に恵まれていたなと感じると同時に、お世話になった方々を大事にできていなかった反省もあります。「受けた恩は石に刻め」ではありませんが、〝もっと謙虚に人と接しなければ〟という気持ちしかありません。後に気づいて感謝しても、時は過ぎ去ってしまっています。「時を戻そう」、戻せるものなら戻したい!
本当に最後まで読んでいただいた皆様に感謝です。