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聖地での優勝で得たもの

 誰もが「勝ちたい!優勝したい!」と思っている事でしょう。しかし、私はその思いが強い時ほど、落ち着いて周りに配慮してほしいと思います。

なぜなら、「勝ちたい!」と思うより、「かってほしい!優勝してほしい!」という思いの方が多いからです。

聖地「代々木第二体育館」

 今でこそバスケットボールもプロができ、観客が増えたことにより、代々木第一体育館や埼玉スーパーアリーナなどで決勝戦を行われるようになりました。

当時、代々木第一体育館は人気のバレーボールの会場、バスケットボールをプレーする人、指導する人にとって目指す場所・聖地は隣の「代々木第二体育館」でした。

スーパーカンガルーズが東京で試合をする時は、代々木第二から徒歩15分ほどの渋谷T武ホテルが常宿です。

試合の日は、ホテルで着替えをすませてゲームジャージでチェックアウト、各自でロッカールームに集合でした。

渋谷公会堂の前を通り、NHK脇の石畳みを期待と緊張の面持ちで歩きます。
そのうち左手に晴天に向かって渦を巻いたような斬新なデザインの体育館が近づいてきます。

選手は選手入り口から入りますが、私は正面入り口から入り、会社受付をされている応援団・東京支社の皆さんにまずはご挨拶です。

そこから、観客席に向かってコートを見下ろすと、まるでコートが浮き出たように輝いていて、ボールをドリブルする音も観客席まで響き、他の体育館には無い景色、空間が出現します。

そこから、選手ロッカーに入りますが、実はロッカーやロッカー前の廊下はあまり広くありません。

チームの荷物などが廊下に並び、相手チームの選手とも良く顔を合わせるようなオーセンティックな感じでした。

まだ成し遂げていないこと

 私は大学時代、全日本学生選手権大会(インカレ)では、代々木第二体育館での優勝を経験しています。

しかし、どうしても実業団で優勝したかった。
大学時代、観客席から実業団チームの試合を観戦し、「大人のチームはすごいなあ」と感じました。そして、優勝してその仲間に入りたかったのです。

以前にもお伝えしましたが、二冠を達成したシーズンは、代々木第二が改修中で、決勝戦は千葉ポートアリーナと横浜文化体育館でした。

そして、1996-1997年のシーズン、そのチャンスが巡ってきました。

このシーズンは〝変革のシーズン〟といえる1年でした。

まず、それまで指揮を取られていた清水監督が、副部長としてサポートする側にまわりました。
新監督として、OBからS田監督が選ばれ、指揮を取ることになりました。

選手も代わりました。
二冠達成の立役者、PGのH谷川選手が他チームに移籍。
外国籍選手も引退したマーチン選手に代わり、Nチェンバース選手が新加入しました。

新人は大阪体育大学からパスセンス抜群のPG・比嘉靖君と、流通科学大学から人並外れた運動能力(私が日本人選手で試合中アリウープを決めた選手はIすゞのM山選手と川地君のみです!)を持つF・川地昌吾君を向かい入れることができました。

二人とも関西の大学出身ということもあり、すぐにチームに溶け込みました。

「あのガードは誰だ?」

 特に、H谷川選手が抜けたこともあり、PGの比嘉君は、新人ながらスタートに抜擢されました。

彼は沖縄出身で、人懐っこい性格。
身長は175センチと人並みでしたが、ガッツがある選手でした。

ただ、高校・大学と全国的な実績がなく、卒業したら地元で教員をする予定だったところを口説いて入社した選手でした。

試合を重ねるたび、周りからは「あのガードだれ?」という声が挙がりました。

相手チームの監督が、試合中に慌ててリーグプログラムを見てキャリアを調べるという珍事も起こりました。

彼自身も、職場での朝礼で「新人王を取るつもりで頑張ります!」と挨拶しましたが、一般社員と身長が変わらない彼を見て、活躍を信じる社員はあまりいませんでした。

そんな中、天皇杯のレギュレーションが外国籍選手オンザコート1※となりました。

※コート上に1人しか出場できない。日本リーグはこのシーズンからオンザコート2になっていた

これはスーパーカンガルーズにとって追い風でした。

スーパーカンガルーズには日本人ビッグセンターがいるので、チェンバース選手とのツインタワーは他チームからみたら脅威です。

1997年1月の全日本総合選手権大会(天皇杯)
会場はもちろん、東京代々木第二体育館です。

他チームがオンザコートの対応でもたつく中、順調に勝ち進み、決勝戦へと駒を進めました。

徹夜で臨んだ決勝戦

 準決勝の激戦を勝利してから決勝戦を迎えるまで、いろいろなことが重なりました。

まず、決勝前夜、新監督をフォローしてきた清水副部長が、来シーズンから他チーム(女子日本リーグ)への移籍がスタッフに告げられました。

私は動揺しました。

清水さんにはまだまだサポートしていただくことがたくさんあり、チームもそれを期待していたからです。

すごくやるせない気持ちで部屋に戻りましたが、決勝前の緊張と相まって全く休めませんでした。

私は気分転換に外に出ることにしました。
一人タクシーを六本木まで飛ばして、テキーラをがぶ飲みしてしまいました。

すると早朝、アシスタントコーチから連絡が入りました。
「あ、外出がバレた」と思い、すぐにホテルに戻りました。
土下座する思いでホテルに戻ると、誰もいないはずのロビーにスタッフが全員そろっていました。

その異様な雰囲気にすぐ、(何かあったな)と察しました。

その〝何か〟とは、スーパーカンガルーズOB社員の突然の訃報でした。

亡くなったのは、五連覇・黄金時代のエースのMさんで、元日本代表のシューターでもありました。
引退後も国体や社業で現役同様、バリバリご活躍されていた方で、ショックを受けました。

スタッフが集まったのは、決勝戦を前に選手たちに訃報を知らせるかどうかを協議するためでした。

話し合いの結果、選手の動揺を配慮し、試合後にチームに伝えることになりました。

結局、部屋に戻る頃には日の出を迎え、一睡もしないうちに決勝戦を迎えることになりました。

会場も異様な雰囲気に

 以前記したように、二冠達成の年も歴史に残る大事件(天皇杯は阪神淡路大震災、日本リーグは地下鉄サリン事件)が起こりましたが、この年も例外ではなく、ペルー日本大使館占拠事件の真っ只中でした。

天皇杯なので宮家の来賓が来られるということで、大会本部からこの事件に配慮し、シンセサイザーなど鳴り物を使った応援合戦は禁止との通達がありました。

試合後も、どちらが勝っても紙テープや紙吹雪などは無し。
会場は試合前から異様な雰囲気に包まれました。

対戦相手は宿敵・M菱電機。
電キ会社同士の対決です。

NHKの地上波生中継があり、M菱電機の現役日本代表PGと、M下電器のルーキー比嘉選手とのPG対決が、注目の対戦として取り上げられました。

試合が始まると不思議なことが起きました。

スーパーカンガルーズのシュートが落ちないのです。
明らかにタイミングを逸したシュートも、ゴールに吸い込まれるように決まります。

この不思議な得点に、ベンチは盛り上がりますが、我々スタッフは顔を見合わせていました。試合中、Mさんの顔が浮かんで、胸が熱くなりました。

試合は一進一退、競り合いの好ゲームでした。
新人の二人ものびのびとプレーしていました。

比嘉選手はパスでリズムを作り、川地選手もワンポイント起用でしたが、出場してすぐシュートを決め、強心臓ぶりを発揮しました。

最終的には、スーパーカンガルーズが75-72で勝利し、念願であった代々木第二体育館での優勝を勝ち取りました。

試合後すぐ、選手がロッカーに集められ、会社幹部からMさんの訃報が知らされました。

それまで、歓喜に沸いていたチームは、一気に無言になりました。
皆、突然すぎる訃報に、涙を浮かべて静かに黙祷を捧げました。

胸中は複雑でしたが、改めてこの勝利の意味を噛み締めました。

鳴り止まない電話

 NHKの生中継はすごい影響力です。

おそらく放送終了時、その直後からでしょう。私の携帯電話が鳴り始めました。

もちろん祝福の電話です。
中には受話器の向こうで泣いている方もいました。

電話はずっと鳴っていました。
私は、確信しました。
「勝ちたいと思うより、勝ってほしいと思ってくれる人の方が多い。感謝の気持ちを忘れてはだめだ。多くの人の応援、支えがあってこその優勝だ。」と。

寝ていない事もあったのかもしれません。
鳴り止まない携帯電話を握る手は、少し震えていました。

「あのガードは誰だ?」と言われた比嘉選手もシーズンを通じて成長し、本当にそのシーズンの新人王を獲得しました。

彼の職場の上司からも、「彼の言った通りになったねえ!」と感激のお言葉をいただきました。

川地選手もすぐに日本代表候補に選ばれ、長きに渡り、スーパーカンガルーズを牽引してくれました。


今回はここまでです。
ひと大会を一気に書き上げたので、長文になり読みにくかったのではないでしょうか。
最後までお読みいただきありがとうございました。
文中の比嘉靖君と川地昌吾君には実名での登場を快諾いただきました。ありがとうございました。比嘉君は現在、母校大阪体育大学の監督、しかもユニバーシアードのコーチとして後輩の指導に尽力しています。すでにBリーガーを数名輩出しており、今後益々の活躍が楽しみなコーチです。
川地君は引退後も会社に残り、社業に専念してくれています。お子さんもバスケットボールをされているという嬉しい知らせもいただきました。

参考文献:松下電器バスケットボール部創部50年記念誌「さらなる飛躍を期して」

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